いくらでも肌を重ねて、言葉を重ねて、唇を重ねているのに、気持ちだけは上手く重ならない。日に日に大きくなっていく好意に彼は気付いているくせに、目を瞑って甘い声で私をその暗闇へと誘う。私はそれを甘受して、二人で深い闇に堕ちていく。藻掻けば藻掻く程、彼に溺れてしまうことは疾うの昔に知ったのに。私は敢えて藻掻くのだ。
 溺れ死ぬことが怖いと思ったことはなかった。愛しくてやまないものの中で死んで逝けることがどれだけ幸せなのか、私は心の奥底で理解していたからだ。もっと深くに沈めば彼の中に『私』という存在が骨を埋めると信じているからだ。

 それなのに何故だろう。近頃は藻掻くことに体が躊躇するのだ。
―― どうしてこんな男のために、お前は自ら死にいくのだ。
 対になった私が声をかける。
―― だって彼が愛しくて愛しくて、ひとつになりたいんだもの。
 私が私にそう答えると、『私』は酷く傷ついた顔を見せた。
―― 私は間違ってるわ。だって体中、傷だらけなのよ。
 つうと頬に涙がつたった。その感覚に驚きながらも『私』は一枚一枚服を脱ぎ捨てていく。
―― ほら、こんなに痛々しい。
 布切れの音が終わる。私はいつの間にか一糸まとわぬ姿になっていたらしい。私の前で裸体を惜しげもなく晒す私が居た。その体は夥しい程の赤に染められている。
―― こうやって傷つけられてるのよ。
―― 違う! これは涼太が愛してくれた、
―― 愛?
 私の喉元から氷よりも冷たい音が発される。瞳だって、切れ味の鋭いナイフよりも殺傷力があるようだ。
―― これが愛? ただの所有物のように扱われる、これが? ただの一度だって「愛してるとも言わない」あの男から愛されてる? ふざけないでよ、馬鹿馬鹿しい。
 キスマークと呼ぶには恐ろしい、辺り一面を染める鬱血痕に私が爪を立てる。泣きたくなるほどに痛いはずだった。だって私の爪は鋭く伸びているから。それなのにちっとも痛くない。
―― 残念、私は私を傷つけられないの。
 自傷行為のような手つきで、私の首元をつうっとなぞる。まるでお前みたいなひよっこは、ここを掻っ切ってやれば一発だと言われているようだった。
―― もう気付いてるじゃない。私だどれだけ藻掻いても、涼太の

 ばっと意識が冴え渡る。乱れる呼吸と激しい動悸、尋常では考えられないほどの寝汗。窓の外は街頭の明かりのみがあたりを照らす。時計は午前2時を指して、私を嘲笑っていた。
「あれ、名前…」
「りょ、た」
「起きちゃったんスか?」
 すぐ側にはこんなにも愛おしい人がいる。たとえもう一歩下がってしまえば、そこが暗闇だったとしても、二度と這い上がれない場所だったとしても、私は彼を求め、彼の愛を乞うのだろう。
「ちょっと…、怖い夢を見ただけ」
「ふーん」
 大きく呼吸をして、不規則なリズムを奏でていた息を整える。そうだ、彼の呼吸に合わせればいい。だって私と彼は何時かは上手く重なるはずなのだから。
「じゃあ…、はいっ」
「え、なに」
「何って、怖い夢みたんしょ? だからー、名前がちゃんと眠れるようにオレがぎゅーって抱きしめてあげる」
 本当はとっくの昔に気づいていた。彼という名の海で溺れ死んでも、私の骨は溶けてしまうことも。まぶしすぎる彼の向こう側には深い深い暗闇しか存在しないことも。何時か、なんて甘い期待は脆く砕け散って、風に拐かされてしまっていたことも。
 それでも私は私の言うことを信じられなかった。だって私が信じてやまないのは、今目の前で私のためだけにたくましい腕を広げる彼だけだから。
「そしたら…、お言葉に甘えて」
「どうぞどうぞ」
 鼻腔を通る香りに毒が混じっていたのかもしれない。私の体は痺れて、それこそ一生彼の側から離れられなくなったのだ。
 だけど私はそれを甘受する。きっと藻掻くことを躊躇している私も、もうすぐその抵抗をやめる。だって私は私でしかないのだから。隙間なく鬱血痕を残されているのも、一生彼と想いあえないのも、それでも彼の側を離れないのも、ぜんぶ私だから。

堕ちる声の夜をほどいて/130219
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