祇園でバスを降りる。目の前にはかの有名な八坂神社が建っていた。ここは年越しの際にいつもテレビ中継が行われる神社で、新年には大層な人で溢れかえっているという。石段の上にある朱色の門を眺めながら、悶々と思い巡らせる。
「ここに行くの?」
 すぐ隣にいる清志にそう尋ねると、呆れたような顔で首を横に振られた。
「行くぞ」
 それだけ告げると彼は道路をわたる。無駄に横断歩道の白い部分だけを渡ってみる。目の前には新撰組があの池田屋事件の際に集まったといわれる祇園会所…跡地に立てられたコンビニ。京都の風景を壊さぬよう、淡い光が漏れるそこで、こっそりここがその跡地だと主張していた。
 どうやら彼の目的地はコンビニでもないらしい。横断歩道を渡り切ると、清志はくるりと左折する。なんだ、ここ周辺ではないのか。
「歩くの?」
「まあな」
「じゃあもうちょっとバス乗ってたらよかったじゃん」
「気分だよ、気分」
 京都の風景を楽しむとか何とか彼は言ったが、車の通りは多いし、さほど古い建物が続いてるわけでもない道のため、私の気分は少しずつ坂を下っていく。体だけはゆるやかな坂を登っているのだが。
 ひたすら道なりに歩く。ときどき視界に入ってくる京都らしいおみやげ屋さんの看板とか、小料理亭とか。胃袋をくすぐられるような香りとか、湯豆腐や湯葉、お蕎麦の文字。おなか減ったなと思って腕時計を見たけれど、南禅寺の近くで湯豆腐を食べてからさほど時間は経っていなかった。私の体の燃費は予想以上に悪い。
 道の向こう側は清水寺へと続いてるらしい。もしかしてそこか、なんて思ったけれど、だったらわざわざ道を渡らなくてもいいし。それこそバスに乗っていったほうが早かった。
 もう疲れた。さすがに歩きたくない。バス乗りたい。一歩前を歩く清志の腕を何度掴んで引きとめようと思ったことか。ちらりと見えたコンビニは何軒目になるんだろうか。はあと溜息をつきつつ俯いて歩いていると、くいっと首根っこを掴まれた。
「どこ行くんだよ、着いたぞ」
「え?」
 彼が指差す場所には確かに鳥居があった。
「悪縁を切り、良縁を結ぶ…?」
「そういうこと」
 にっと笑うと、清志はまたすたすたと歩き出す。
「待ってよ!」
 彼の後を追うようにわたしもまた歩を進めた。



 鳥居の先は駐車場になっていた。こんなところに本当に神社なんてあるのか。そう不安になっていると、道が突然日本のホラーゲームなんかで出てきそうな神秘的なものへと変わる。ところどころに立っている灯籠がなんとも言えない不気味さと優雅さを兼ね備えていた。
 本当に神社に繋がっているのか。改めて納得しつつ、右の小道を見た所で私の思考回路は停止する。
「き、清志」
「あ?」
「あっちには行かないよね…?」
 あっち、と私が指さした場所。そこにはいわゆるラブホ街が広がっていた。さすがの清志もこれは予想外の展開だったらしく、ぼっと頬を赤くして「いかねえよ!」と叩かれてしまった。そんなに拒絶されるとさすがに凹むのだが、黙っててあげよう。
 先ほどの小道からそんなに歩かない場所にそれはあった。何やら石で出来たようなトンネルにたくさんの御札のような紙が貼られている。その不思議な物体の前では数名の女性が並んでいた。
 何なんだろう、これは。そう思ってじーっと見ていると、石の向こう側からにょきっと女性が現れた。もしかしてこれをやるのだろうか。今度はじーっと清志の顔を見ていると「やる前に清めっぞ」と腕を引かれてしまった。ああ、やるんですね。
 杓で水をすくって、右手と左手を洗う。その左手でお椀を作って今度は口を濯ぐ。最後に杓の柄を洗って、そっとお礼をする。これで完璧、さあ並ぶか。くるりと翻して清志を見ると、またもや腕を引かれて、今度は石の近くに設置されたブースへと連れて行かれた。
 そこには先程の御札のような紙がたくさんに置かれていた。それとお金を入れるような場所。説明書きがされている場所を見れば、百円以上のお気持ちを…的なことが書かれている。
「お金いるの?!」
「当たり前だろ」
 本日何度目かの頭を叩かれる。お気持ちといっても、生憎わたしは貧乏な労働学生である。バイトのお金をやりくりして、どうにか京都旅行にこぎつけたのだ。財布の中身と相談しつつ、手に百二十五円をとる。百円と、二重にご縁がありますように…なんて験担ぎだ。
 お金を入れて紙を持って、備え付けられたテーブルに腰掛ける。今度は願い事を書くらしい。先ほどの鳥居で何となく察しはついていたが、此処は悪縁切り良縁祈願に長けた神社らしい。願い事もそういうことを書く人がおおいのか、サンプルで置かれているのもそのまんまというか…。
 とりあえずサンプルに習って私も「今までの悪縁を切って、新しい良縁と結ばれますように」と書く。向かいの清志は必死に書いているようで、覗こうとしたら人を殺めるような勢いで睨まれてしまった。怖いよ、清志くん。
 書き終えるとまた先程のブースへと進む。今度は紙に糊を塗るらしい。懐かしいタイプの糊を指で取って、つーっと紙に塗る。ここでも清志は一生懸命塗っていたので茶化すように肘で脇腹を押すと、これまた人を殺めるような勢いで睨まれてしまった。
 その終わりのない攻防は順番を待っている間続いた。清志があまりにも必死に隠すものだから、途中から面白くなってきてしまったのだ。もちろんそんな私の思考回路は彼には手に取るようにわかったらしい。人よりも頭一個分以上飛び出た長身にピッタリの大きな足で、人並みの身長にピッタリの私の足を踏みつけた。神様の御前でこんなことしてるんだから、清志の願い事は叶わないってーの。
 いざ通るぞ、という前に清志から通り方を説明される。まず手前の石に上ったら二礼二拍。その後、紙を持ったまま向こう側に抜ける時に縁を切りたい人の顔や名前を唱える。逆に向こう側から帰ってくる時に、縁を結びたい人を思い浮かべる。抜けきったら最後に拝みつつ一礼し、トンネルに願いを書いた紙を貼り付ける。というのが手順らしい。とりあえず前の人の見よう見まねでやってみると意気込むと、清志は呆れたような顔をした。
 二礼二拍。そこまでは良かった。いざ参る!そう意気込んで通り抜けようとした時に気付いたのだ。
―― この穴、意外と小さい!
 膝を立てて抜けようと思ったが、思ってた以上に苦しいというか、抜けることに必至になってしまう。案の定、縁を切りたい人のことを思い浮かべる余裕なんて無くて、抜けてしまってからそのことを思い出したのは言うまでもない。
 清志が待つ方へ戻る時こそ、きちんと思い浮かべながら抜けよう。意気込みだけは一人前に持って、もう一度例のトンネルの前に立つ。縁を結ぶために思い浮かべる相手なんて一人しか居ないのに、何となく未来は見えていて、通り抜けながら少しやるせない気持ちになった。
 通り抜けて一礼し、トンネルに紙を貼り付ける。叶わないと知っていても、願うだけならタダ。あ、いや、百二十五円だ。そんな無駄なことを考えていると、清志も私に教えてくれた手順通りにトンネルを抜けていく。彼の長身ですんなりと抜けていくさまを見ていると、自分の体型がどんな状況にあるのか思い知らされた気がして歯がゆかった。それに彼の顔が嫌に真剣で、虫の居所が悪くなる自分が居た。



 本殿へお参りを終え、運試しとばかりに恋みくじを引く。ここの恋みくじは可愛らしく、全てお持ち帰りするらしい。並べられたおみくじなんかも、やたらと良縁だの悪縁祈願だのそういう類ばかりで、とりあえず此処に来た記念に縁切り縁結びのお守りセットを買うことにした。縁は切ってもらえるかもしれないけれど、結ばれる縁はあるのだろうか。
 恋みくじの結果は、まあ…可もなく不可もなく。これといっていいことが書いてあるわけでもなければ、待ち人こずなんて突き刺さるような言葉があるわけでもなかった。どうだったのかと問うてくる清志の顔が何処か晴れやかだったので、奴は大吉でも引いたのだろう。むかついたのでお返しとばかりに足を踏みつけてやった。

「お前さー」
 やることやったし、きた道を戻っている時だった。来た時と違うのは太陽の角度と隣に清志が並んでいること。そんな違いが私と彼の間に浮かんでいて気持ち悪いな、なんて思っていると彼の方から声をかけてきたのだ。
「新しい縁とか結ばれてえの」
「え? は…、なんで知ってるの?!」
「お前堂々としすぎ。丸見えだっつーの」
 信じられない。自分が隠してんなら人のものを見ないのはマナーというか、察せよ。そんな想いも含めて彼をキッと睨み上げると、何故だか複雑そうな笑みを浮かべた清志と視線が絡まった。
 ここでひとつおさらいしたい。私と清志はこうやって二人で旅行に出かける間柄であるものの、付き合ってはいない。今回の京都旅行だって、私が新撰組の縁の地に行きたいと嘆いていたら、清志が誘ってくれたのだ。断じて付き合っていない。
 もうひとつ蛇足だが、私はこいつ、宮地清志のことを密かに好いていた。けれども、この気持ちを口にした瞬間に彼との心地良い関係が終わりを迎えるのは目に見えていた。終わりが分かっている無謀な恋なんてするだけ無駄。だから私は気持ちをお腹の中に閉じ込めて、彼と接する。
 そう、私だけが密かに想っていて、でも一歩が踏み出せない意気地なしの恋が現在進行形で育まれているのだ。
「まあ…新しいっていうか、こっち向いてくれるような縁が欲しいなというか」
「ふーん」
 聞いた割には大して興味が無さそうな彼の声に己の眉毛がぴくりと反応した。
「ていうか、私の見たんなら清志のも教えてよ!」
「鈍感娘な名前がちゃんとこっち見てくれますように」
「そうじゃなくて…って、え?」
 呆気にとられたせいで行きと同じような、清志が一歩前に進んだような位置になる。待ってと慌てて追いかけるも、彼は歩くスピードを緩める気はないらしい。
 それって、そういうことなのか。つまりは清志が振り向いて貰いたい人って私なのか。ていうか、人のこと鈍感娘呼ばわりってどういうことよ!
 嬉しいようなムカムカするような、消化不良の気持ちを抱えたまま清志を追いかける。
「待ってよ!」
 一瞬だけ振り返った頬の色に私の期待が確信に変わった。…いくらなんでもご利益ありすぎでしょう。

place:安井金比羅宮、東山安井、祇園/120207
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