「たら〜いま〜」 玄関からへらへらとした男が顔を覗かせる。久しぶりの面子との飲み会だからって羽目を外したらしく、彼の声は酒やけしてしまっていて、何処か嗄れている。 「名前〜」 名前を呼ばれても全然ときめかない。そもそも此処は貴方の家じゃなくて、私の家だ。何を我が物顔で鍵を開けて、どうどうと私が腰掛けるソファに座っているんだ。あ、臭い。いつもみたいな香水と彼が好んで吸う煙草の匂いじゃなくて、いろんな煙草が混じってるし、油物臭いし。なにより、 「涼太くんお酒臭い、寄らないで」 「え〜」 ふーっと酒臭い息を吹きかけてくる、約190センチの巨体を押し返すもびくともしない。それどころかどんどんと体は傾いていく。事を致すとしても、ソファなんてごめん被りたい。というか、こんな酒臭い男と事に至りたくない。 今の私の状況を風前の灯なんて言うんだろうか。暖簾に腕押し、みたいな。私の貧弱な腕で彼の胸板を押したって、もちろん起き上がれるはずもない。あーもー、お風呂に入ったばっかりなのに。最悪だ。 「重いやだしたくないどいて」 「いやー」 「嫌なのは私だってば! んもー!」 胸板を押して起き上がることを諦めた私は、彼の大きな背中をべしべしと叩く方へと攻撃を変化させる。相変わらず景気のいい音が出る背中だ。適度に背筋が付いていて、適度にくびれた私好みの背中。好きなのは背中だけじゃないけれど、背中フェチとしては堪らない背中をしているというか。 両手でべしべしと背中を叩いていると、彼は私の首元に顔を埋める。そのままうなじあたりに鼻頭をつけて、くんくんと犬みたいに鼻をならして匂いを嗅ぐ。それが擽ったくって、体を捩らせれば彼はまた気を良くしたらしい。 「名前ちゃんもノリ気じゃんー。ねー?」 「ねー? じゃないの。おばか」 くいっと顎を上げて、彼は小首をかしげる。無駄に可愛らしい。自分の可愛さを知っている彼だからこそなせる技だろう。うーむ、腹立たしい。 さらさらの髪の毛がある、かしげられた彼の頭をぺしっと叩く。いてっ、なんて。痛くもないくせに態とらしく痛がる彼の姿にまた腹が立つ。酔っ払いめ、いい加減にしてくれよ。 「ほんと涼太どいて」 「いや」 「私ね、明日一限からなの。早いの。涼太の相手出来ないの。ベッドで寝たいの」 「んふー、名前ちゃんってばだいたーんっ」 「はあ?」 頭の付近に佇んでいた彼のたくましい腕の片方は折りたたまれて、もう片方が私の唇の輪郭をするりとなぞる。ぞっとする頭の片隅で、はたと気付いてしまった。 (あれ、涼太くんてこんなにお酒弱かったっけ…) 涼太くんとお付き合いを始めたのは半年前。周りによく続いてんなーと褒められたのが記憶に新しい…って、そんなことはどうでもよくて。彼と出会ったのは今の大学に入ってからで。彼はバスケサークルに入ったらしいんだけど、それ以外にも誘われたから私も入っている飲みサーに入ってて…。そこでよく飲んでいたけれど、彼はこんなにもべろんべろんになる人だっただろうか。 『アルコールは強いんスよ、オレ』 へらりと笑った彼は、時にはオン・ザ・ロックスで、時にはストレートでウイスキーの入ったグラスを傾けていた。 そうだ、彼はお酒に強い。いくら羽目を外したからといっても、元々が強いのだ。ここまでへろへろになるはずない。 「涼太くん」 「んー?」 「酔ってないでしょ」 「えー?」 「こっちみて」 視線を彷徨わせる彼の輪郭を掴むように、そっと頬に手を添えてこちらを向かせる。琥珀色の瞳にぼんやりと私が映り込んでいた。彼の双眸が私を捉えている。なんだか妙にむず痒い。 「酔ってない、でしょ?」 「…バレちゃった」 「うっかり忘れてたけど、涼太くんお酒強いし」 開き直ったらしい彼はにんまりと笑みを浮かべて、私の頬に唇を寄せてくる。だからしないって言ってるでしょ。制止をかけるように彼の背中を叩く。もちろんエンジンがかかっているらしい彼にそんなものが効くはずもなく、必死に私の唇へと己の唇を寄せてくるのだ。嫌々と首を振って逃げているのに、彼は必死に追ってくる。終わりの見えない鬼ごっこみたいだ。 「なんでそんなにシたがるの!」 「だってさー…」 「だって、何よ」 追いかけることを諦めたらしい彼が私の瞼に唇を落とした。 「赤司っちとか紫っちはもちろんだけど、オレより経験すくねーと思ってた黒子っちとか青峰っちとか緑間っちまで『彼女とは一日一回する』とか言ってくんだよ? オレなんてさー、名前の部屋の合鍵持ってるけど名前とえっちするのなんて週に一回あればいい方じゃん。そりゃあオレが仕事で忙しかったりすんのは分かってっけどさ…周りがそういう仲になってんのに、オレと名前って全然だなーって思って」 「それでその日に事に移したと」 もぞもぞとした反応の彼は可愛らしい声で「うん」と頷く。少しだけくぐもっているのは私の耳がおかしいんじゃなくて、彼がまた私の首元に顔を埋めたから。 「でも、」必死そうな声を漏らした彼が首を擡げる。 「帰ってきたらさ、名前お風呂上りじゃん」 「帰ってきたらって、ここは涼太くんの家じゃ」 「いいの! で、帰ってきたら名前はお風呂上りですっげえやらしいしさ」 襲いたくなるじゃん。そう言った彼はまたまた私の首元に顔を埋めた。んーんーなんて声を漏らした彼はぐりぐりと頭を押し付けてくる。やっぱりちょっとは酔ってるのかもしれない。 「涼太くん」 さっきみたいな力任せの攻撃じゃなくって、ぽすぽすって音がするくらいの力で彼の背中を叩く。できるだけ優しく、赤子をあやすみたいに。 「私ベッドがいい」 できるだけ甘く、子猫が強請るみたいに。 「ソファはいやよ」 できるだけ可愛らしく、子犬が瞳を潤ませるみたいに。 ぱちりと瞬きをした彼は、それは嬉しそうにその瞳を細ませた。 「お姫様の仰せのままに」 すぐに抱き上げてくれたらいいのに、感極まったらしい彼は私を押しつぶすみたいに抱きしめてきた。うーん、苦しい。そんでもって、やっぱりお酒臭い。本当は涼太くんの匂いだけがする涼太くんとするのが一番なんだけど、あんな切羽詰まった顔されちゃったら、私が折れるしか。 別に毎日してるから愛し合ってるとか、週に1回だから冷めてるとか。愛なんて、そういう簡単なものさしで図れるものじゃないけれど、彼が幸せそうならばそれでもいいかな、なんて。 アルコールの魔法/130203 |