※同性愛表現があります。



「じゃあ後は日程だけだ」
 綺麗な弧を描いたような笑みを浮かべて、彼女がそっとカレンダーをなぞる。それを習うように彼もスマートフォンのカレンダーアプリを開いて、日程を確認していく。夏の陽射しが厳しい日程は嫌だと彼女が笑うから、必然的に季節は秋を選択せざるを得ない。指をスライドさせて月を変更させていく。8月じゃなくて、9月…。
「あ、」
「ん?」
 彼、黄瀬涼太はすっかり忘れそうになっていた。いや、忘れたかっただけかもしれない。きっと一生忘れたくても忘れられない日を人差し指でなぞって、そっとタップする。彼女は困ったような顔をして「どうかしたの」と尋ねてきた。すると彼は目尻を細めて答える。
「命日っス」
「え、」
 彼女の、名前の顔が申し訳なさそうに歪む。違う、違うんだ。誰かが死んでしまったとかじゃないんだ。だから大丈夫だと、彼はへらりと笑って、今度は彼女の眉間を優しくなぞる。が、次の瞬間、彼の顔はどこかに消えてしまいそうなくらいに儚い表情に変わった。
「旅行に行こうとしてた日、オレの初恋の命日なんスよ」
「初恋、の?」
「そう。伝えられることはなくただ募っていった感情を自分の手で葬ってあげた日。もう二度と好きにならないようにって」
 人差し指で触れただけで壊れてしまうような笑顔。今までも色んなニュアンスで笑う彼を見てきた名前だが、こんなにも綺麗で儚くて、そして手の届かない笑顔は初めてだった。だからこそなんと声をかけていいものか分からずに口籠る。そうだったのとか、どういう人だったのとか。いろいろな質問は浮かんでくるのに、どうしても言葉にすることが出来なかった。音にならなかった言葉たちは彼女の口内で飴玉のように転がって溶けていく。やがては小さくなって噛み砕かれた。その一連の流れは、彼が次の句を告げるまで何度も何度も繰り返された。

★ ★ ★


 彼の初恋は何時だったのかと聞くと、中2の夏だと笑った。今から考えると、もう10年近く前の話だ。思っていたよりも遅い初恋だと彼女が驚くと、彼も彼で「オレもそう思う」とより笑みを深めた。
 相手はとても儚くて綺麗な人だったという。輪郭すら曖昧な透明な姿。だけど誰よりも真っ直ぐな瞳で彼を見つめて、誰よりも『彼』を見ていた。なんて彼の昔を懐かしんだ瞳が伏せられる。男性にしては長い睫毛が羨ましい。そんな場違いなことを考えずにはいられないほど、彼の雰囲気はいつもと違うものとして名前の双眸に映る。
 大好きで大好きで、とても大切で愛おしい人だった。彼の薄く色付いた柔らかな唇が、同じように柔らかに言葉を紡ぐ。その単語単語から感じ取れる暖かな色味に名前の胸が震えた。それが寂しさからなのか嫉妬からなのか、彼女には一向に分かる気配は無い。ただ彼の薄桃色に色付いた頬とか愛しそうに開かれる唇が、名前の知っている黄瀬涼太とは別のものに思えて悔しいという気持ちだけは確かだった。
 誰にも知られずに彼の甘酸っぱい初恋は募っていった。時折触れる掌が異常な熱を持つことだってあった。笑いかけてくれる瞳があまりにも優しくて、嬉しくて胸がひくりと震えることもあった。だけどその色が己の特別と交じることは一生無いことも知っていた。その悲しさが別の意味で彼の胸を震えさせて、つんと鼻の奥を刺激した。
 冬にしんしんと降り積もる雪のような恋だった。春は来ない。花は咲かない。芽吹くことのない大地。地平線の彼方まで真っ白な空間。触れてしまえば、あっという間に溶けてしまうような儚い想い。その終わりも呆気ないものだった。
 ある晩夏。彼の初恋は唐突に終わりを告げた。彼の初恋の人は彼の前から消えてしまったのだ。伝えることは無いといえど、本当に伝えられなくなってしまったのだ。己の意気地なさに涙が溢れそうだった。崩れていく日常を見つめることしか出来なかった自分の不甲斐なさに腹が立った。だけど泣けなかった。
 涙とともに消えてくれたら簡単に忘れられた想いなのに、涙すら流れなかった。黄瀬涼太の初恋は行き場をなくした。ふと見上げた空だって嫌味なくらい晴れていて、彼の代わりに泣いてくれる気配はなかった。胸の蟠りは黒く濁って彼の心を重くする。
「さよならを言うことすら許されなかった」
 そういった彼の横顔は繊細なガラス細工のようだった。薄さ数ミリのガラスの膜が複雑な表情をしていた。
 誰にも何にも許されなかった彼の初恋は、自らの手で葬られた。二度と蘇らないように、お墓の奥深くに厳重な鍵を掛けて葬った。それが彼のいう初恋のお葬式。彼の初恋が崩れ去ったのがちょうど1日前。それが彼の初恋の命日。
「初恋の人と再会はしなかったの?」
 恐る恐る名前が尋ねる。壊れ物を扱うような言葉尻に彼の目元が情けなく揺れた。
「再会したよ、わりとすぐに」
「そんなに?」
「そんなに」
 納得できてないと訴える彼女の不満気な顔に黄瀬が困ったような溜息を漏らした。
「でも好きにはならなかった」
「…」
「また好きになっちゃうかとオレも思ったんスけど、久しぶりにあったら今まで以上に綺麗だったけど、それが恋には変わらなくって」
 初恋は実らない。よく使われるフレーズだが、彼もまた『実らない』という括りにいれられてしまうような恋をしただけだった。若かりし頃の、恋に恋をしていた自分。
「あの日以上に傷つきたくない自分が制止したのかもしんないっスけど」
 若気の至り。それがイケナイコトだと分かっていたのに、ただ『あの人』しか見ていなかった。今でも『あの人』は彼の心深くに根付いている。
「まだ好きだったり?」
「…それはないけど、まあ…ある意味じゃあ好きかな」
「わ、彼女の前で」
「恋愛感情じゃないから」
 黄瀬の腕が名前の腰に回る。どくどくと大袈裟なくらいに鳴る鼓動は彼の心臓なのか、彼女の心臓なのか。ただじっとりと汗ばんだ彼の掌が小刻みに震えていて、名前には酷く怯えているように映った。
「ねえ、ひとつだけ聞いてもいい?」
「んー」
 聞いて欲しくない。そんな意味も込めて、黄瀬は彼女のぷっくりと膨れた唇に己のそれを重ねる。もう言葉にしないで。そう伝えるように舌を絡め取ろうとするも、彼女の細い人差し指で制されてしまった。
「お願い、聞いて」
「…ん」
「その人は…、女の子だった?」
 核心めいた彼女の瞳に黄瀬の喉仏がゴクリと上下する。言い逃れは出来ない。そんな空気に意を決して彼が言葉を紡ぐ。
「男の子だよ。とても綺麗で、壊れそうなくらい繊細な」
葬想
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(130114)
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