このお話このお話の続き


 焼け焦げてしまったあとは、燻った香りのする黒い塊を残した。咀嚼すると苦っぽい風味だけが口の中に広がるこの感情を人は嫉妬と呼んだのかもしれない。

Kill the spring summer
夏は春を殺すの


 しかしながら嫉妬と呼ぶにはちゃちなこの感情を私は手放せずにいた。結局あの日、清志さんが口籠った後に続いた会話は会話と言えるようなものではなく、必要最低限の相槌だけが交わされるものだった。お互いの胸の内がわかってしまった手前、下手な言葉を紡ぐことすら出来ない。
 お店を出て、分かれ道に差し掛かった時だ。街頭に照らされた、整いすぎた彼の横顔が淋しげに歪んで「式まであと2ヶ月しかねえのに、気持ちの踏ん切りってつくもんなのか」と呟いた。人工的な光によって陰影がはっきりとした鼻筋は、春というのに少しだけ冷たさが残る風にひくりと動いた。きっとそれは私も同じだったのだろう。大袈裟なくらいに、出ていやしない鼻水をずずっと啜り、けほっと咳き込む。「つけるしか無いんですよ」呟いた言葉は肌に刺さるような春風に乗って消えてしまった。
 
● ● ○


 春は移ろいで、やがては夏を連れてくる。陽射しが少しばかり眩さを増した。花々が綻んだ季節はあっという間に消え去った。今となっては深い緑の隙間から溢れてくる温かさが心地よい…を通り越して、暑苦しい。うなじあたりにじんわりとかいてしまった汗が気持ち悪くてしょうがない。おしゃれに見えるからと後れ毛を残すんじゃなかった。美容室でセットしてもらってる時の私は血迷いすぎていると思う。
 6月、ジューンブライド。待っているつもりは微塵もなかった健志くんの結婚式がやってきた。私まで式に呼ばれるとは思っても居なかったのだが、我が家には私と母と父の連名で招待状が届いたのだ。大方、おばさんがそうさせたのだろう。母は酷く喜んでいたが、私としてはありがた迷惑である。
 この日のために新調したドレスは私服よりも丈が短めで、太ももあたりがスーッとする。ふわふわとしたシフォン素材のワンピースは、普段の私ならば選ぶことのない淡いピンク色で染められていた。似合わないことは百も承知だが、選んでしまったものはしょうがない。緩いアップヘアーの髪型が夏らしさをアピールしているのに対して、身を包んでいる春色がなんとも言えない中途半端な私の気持ちみたいだった。
 親戚と呼べるのかもわからない薄い関係の私だが、席はきっちりと親族席が用意されていた。見たことある同級生の顔がちらつく中、そっと親族席に座る居心地の悪さを彼らは知っているのだろうか。ふうと吐いた溜息は、この幸せが溢れる空間にはあまりにも不釣合いで、もう一度溜息が出てきそうだった。
 一番前で肩を寄せ合う男女は何処からどう見ても幸せそうだった。この世界で眉を寄せているのは自分だけなんじゃないかと思うくらい、幸せに溢れすぎていた。私には耐え難いそれらに溺死しそうだった。窒息死なのかもしれない。息苦しさに彷徨わせた視線は、私と同じような寂しさを滲ませた目をした清志さんへと定まった。彼の横顔はあの時と同じで、すこし歪んでいた。
 誓いのキスも指輪交換も見なかった。美容室の予約が取れなかったとか適当な嘘をついて、現実から逃げたのだ。私は弱い。パンドラの箱が開いてしまったあの日から、日に日に「好き」という感情に飲まれ弱くなっていったのだ。きっとそれらを目の当たりにしていたのならば、弱りに弱った私の体はとどめを刺されていただろう。まだ死にたくはなかった。まだこの「好き」を殺してしまいたくなかった。
 だから清志さんはとても強い人だと私は思っていた。最後に新郎新婦からの手紙が読まれるまで。
 結婚式のある意味では見せ場である新婦から両親へ向けた手紙。今回は新郎からも読まれるらしい。珍しいパターンだなと思っていたら、どうやら宮地家の結婚式では恒例のパターンらしく、母が「懐かしいわね」と頬を染めていた。こういうのもあるのか。私も何時かこんな日が来たら…。いや、こんな日が訪れるのかどうかすら怪しいか。
 まずは健志くんからの手紙だった。ありきたりな両親への感謝の気持ちが綴られていく中、清志さんのことに触れる言葉たちがちらほらと見えてきた。「キヨ兄がいたから」「ずっと憧れていた」「裏切るようなことも何回もやった」もしかすると両親への感謝の言葉よりも清志さんへ向けたメッセージのほうが割合的には多かったかもしれない。ぶっちゃけた話、両親へ向けたものよりも清志さんへ向けられたもののほうが涙腺を刺激するものがあった。たった2人だけの兄弟。生まれた時からずっと一緒だった特別な存在。健志くんが憧れてやまなかった大きな背中。それがどうした。今となっては彼の言葉を聞いて小さく丸まっているじゃないか。
 彼の涙はさらに流れることとなった。それはお嫁さんからの手紙だ。同じように両親への感謝の気持ちが綴られていく中に清志さんの名前が浮かんだ。「私は清志さんを裏切ったかもしれない」「清志さんも健志くんも今日から大切な家族です」二人して裏切っただなんていったら、清志さんが彼女を取られてしまったことが分かるというのに、それでも言葉にした彼らの気持ちは私には微塵もわからなかった。ただ分かったのは、清志さんの心には強く響いているのだということ。
 だから言ったのだ。私と清志さんの気持ちは一緒じゃないと。私の気持ちは健志くんに届くことすら無く、ただ今日という日に埋もれて消えていく。彼の気持ちは彼女に届いて、今日という日に昇華されていく。「好き」という気持ちが愛に変わるのだ。

――― 恋が愛に変わった時、人は成長するのだろうか。
 少しだけ人が居なくなった空間でぼうっと座り込む。父と母は先に会場を出てしまったらしい。娘を置いて行くなんて、まったく薄情な両親だ。引き出物や荷物をある程度まとめて、私も会場を出ようと立ち上がる。
「名前ちゃん」
 までは良かったのだが、出ていくという行為は彼の声によって制止されてしまった。
「綺麗でしたね」
「おー、馬子にも衣装ってやつだよな」
「素直じゃないですね」
 少ししかオレンジ色を残していないグラスをことりと傾ける。アルコールの入っていないそれは、いつもと違う風味がしてちょっと物足りなかった。
「健志もアイツも幸せそうだったよな」
「ムカツクぐらいですね」
「のわりには、やたらと晴れやかなか顔してんじゃねえか」
 図星だった私の思考回路は「うっ」だなんて情けない声をあげることを指示したらしい。曖昧な笑顔を浮かべて頬をかき、項を撫で上げた。そんな私の反応を見て、彼はくぐもった笑いを零した。「それはオレもだけど」そうだ、彼もやけに晴れやかな顔をしているのだ。
 私が彼、健志くんに向けていた感情は本当に恋だったのか。恋だと思い込んでいただけの「好き」だったのかもしれない。ただ焦げ臭いと苦い風味が、恋のそれに酷似していたからそう思わざるを得なかったのかもしれない。パンドラの箱を封じていた鍵が焦げ落ちた時に、そういった感覚を刺激されたのかもしれない。もう答えなんて、このオレンジ色に沈んでしまったから誰にもわからないけれど。
「失恋しちゃったんですよね」
「そうだなー」
「…なんと呆気ない」
 大きな体が一際大きく背伸びをする。釣られたように出てきた欠伸を咬み殺せば、背伸びをした大きな背中はふっと笑みを零した。
「新しい恋は甘酸っぱいといいな」
「できるかな、恋」
「少なくともオレよりは可能性あるだろ」
 自嘲気味に言葉を零した彼の腕をつかむ。思わず触ってしまった彼の右腕は少しだけ熱を帯びていて、少しだけ震えている。私より失恋の痛みが重いくせに強がるのは、お兄さん故なのか。
「私と恋しますか」
「冗談」
「ですよね」
 私も暫くは宮地の顔と恋する気はないのだ。柄にもなく冗談を口にした時、口の中には例の苦味が広がった。
――― ああ、なんだ。これは失恋の味だったのか。

(130106)
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