※宮地弟を捏造しています。



「名前ー、タケちゃん結婚するんだってよー」
「たけ、ちゃん?」
 久しぶりに聞いた名前は私の記憶にかすりもしなくて、ただ何となく『あー、誰か結婚しちゃうんだなあ』ぐらいにしか思ってなかった。

Kill the spring summer
夏は春を殺すの


 母が言った「タケちゃん」というのは、私にとって再従兄弟にあたるらしい。誰だっけと言わんばかりの素っ頓狂な私の反応に母はむうっと年甲斐もない子供らしい表情を見せた。
「小さい頃はあんなに一緒にいたじゃない」
 どうやら私はその「タケちゃん」とやらとよく一緒に居たらしい。
 私と「タケちゃん」は同い年で、母とタケちゃんの母、いわゆる母の従姉は仲が良くて、よく互いの子供を連れて遊びに出掛けていたらしい。それも互いの子供が大きくなるに連れて少なくなって、今となっては母親同士の交流しか無いとか。そんな状態なのに娘が覚えていないことを咎めるとは、なんか、理不尽。
 そもそも「タケちゃん」って誰やねん、と。再従兄弟だということ以外、根本的な解決には何一つ至っていない。「タケちゃん」の正式な名前も、おそらく男性だと思うけど性別も。あと名字とか、何処に住んでるかとか。そう母に問いかけると「宮地健志くんよ」とにこやかに言われてしまった。
「は、まじで」
 宮地健志。その名前は我が母校で知らない者などいなかった。容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。おまけにサッカー部の主将で、私の友達だった可愛いマネージャーが彼女で、順風満帆なんて言葉じゃ表せないくらいに充実した青春を送っていた男だ。気になるなあと思っていたのは血縁者だったからか、そうかそうか。
 妙に納得していた顔をすると、母は「キヨちゃんがお兄ちゃんなのに先越されちゃったわねえ」なんて言葉を零してキッチンの影に姿を消した。
 おそらく「キヨちゃん」ってのは、彼の1つ上の兄のことだろう。こっちも他校ではあったが、やたらと完璧なイケメンで、バスケもうまくて。多少言葉はきついところはあるが、根はとても優しい人間だ。と、バスケ部マネージャーの友達が言っていた。
 イケメン宮地兄弟なんて噂されていたが、そんなイケメンたちと血が繋がっているだなんて鼻が高い。実際の鼻が高いのは私じゃなくて彼らだけど。残念ながら私はそんな人間と血が少しでも繋がっているような顔面ではない。平々凡々、漫画とかでもとりわけ雑に描かれているモブキャラだ。
「え、てか弟が結婚って…同い年だし、まだ学生じゃないの」
 高校を卒業してからもうすぐ4年。年齢としては21歳が大半を占めている。秀才と謳われた彼のことだから、おそらく大学に進学しているものだと思っていた。が、どうやら私の読みは外れたらしい。
「タケちゃんはね、専門学校に進んでるから社会人なのよー」
 なるほど、納得。それなら学生より幾分かマシだろう。しかしながら、あんな頭いい人間でも、後先考えずに結婚してしまうのか。人生何があるかわからないな。
「どうにもデキちゃった婚みたいなのよねー」
 言葉に羽根でも生えているんじゃないかと言うくらい軽い音色で「今はおめでた婚っていうんだっけ」と笑う母。そんな母とは裏腹に、私は驚きのあまりソファに掛けていた肘をぐらりと揺らしてしまった。『あの』宮地健志が、まさかのズッコンバッ婚。目玉が飛び出そうだ。なんて思ってたら、その思いはどうやら口からは飛び出ていたらしい。母が「まったく下品な娘ね! だから彼氏の1人もできないのよ」と辛辣な言葉を私に向けて発していた。

○ ● ●


 先日母から仕入れたばかりのネタを片手に友人に会いに行く、春。進級も無事に確定したので、心晴れやかなまま遊びに出かける私の背中には、おそらく妖精か天使の羽根があったと思う。あまりにも浮かれている私に「就職が決まらないとねえ」なんて現実を突きつけてきた母を恨みながら向かうは、彼女と待ち合わせた、いつものカフェだ。
 私が着いた時にはすでに友人の姿があった。クラシックな店内に彼女の雰囲気はとても良く似合うと思う。この際、中身についてはそっと目を瞑っておこう。
「おひさー」
「おっそ、30秒の遅刻よ」
「いやいや、それはセーフの域でしょ」
 先に頼んでいたカフェモカに口をつけながら「私がアウトって言ったらアウトなのよ」と、某国民的アニメのいじめっこイズムにも似ていることを述べたのは、紛れも無く私の友人であるリコだ。彼女とは高校こそ道を分かったのだが、週に何度かは連絡をとるほど密接な仲だと私は思っている。もちろん英文学を学びたかった私とスポーツ学を学びたかったリコの進学先が被ることはなく、大学も別々だ。しかしながら月に何度かはこうして会って話をしている。
 不機嫌そうな彼女の向かい側に腰掛けながら「聞いて聞いて」と、私が話を切り出す際によく使うフレーズを口にする。リコ曰く、たいていそのフレーズの後に続くのは山も落ちもない話しらしい。そのため彼女の唇が更に不快そうなカーブを描いた。
「あー、まず確認ね。リコってバスケ部だったよね、男子の」
「まあねー。選手じゃないし、マネージャーってだけじゃあなかったけど」
「じゃあさ、えーっと…宮地…、きよ…」
「宮地清志さん?」
「そう! …ってわかるかどうか聞こうとしてたんだけど、その反応なら知ってるね」
「まあねーん」
「でね、その宮地さんと私が血縁者だったのでーす」
 意気揚々とリコに報告すると、彼女は少し冷めだしたカフェモカを嚥下して「へえ」とだけ反応した。さほど仲の良くない人間同士ならば、あまりの冷め切った反応に苦言を呈すところだろう。しかしながら私はリコの興味が無いことにはとことん反応がないような素直でサバサバしたところが大好きだ。おそらくこの話題でのこれ以上の彼女の反応は見込めない。店員さんにキャラメルティーラテを注文して、別の話題を彼女に振った。
 リコは今日の夕方から実家のスポーツクラブを手伝わなければならないらしい。いつもより早めに切り上げて、別れを切り出そうとした時だった。
「そういえばさ、」
「なにー」
 リコがどこか神妙な面持ちで私を呼び止めた。言い淀むような唇がとても可愛らしくて頬が緩んでないのかとても心配だ。
「あんたの行ってる大学の院生に宮地さんいるわよ、兄のほうだけど」
「は? てか、何でリコが知ってんの…」
「名前は興味なかったろうけど、バスケ強いのよ。で、私が育てた部員たちも割りと進学してるのよ。だから色々聞いててねー」
 私が育てたってフレーズにもびっくりしたが、それ以上に同じ学校に進学していたという事実に驚いてしまった。兄とはひとつ違いだから、かれこれ4年間一緒のキャンパスで過ごしてきたというのに。もしかしたらどっかですれ違っていたかもしれないというのに。
 世の中狭すぎるな、と思った心の身震いはどうやら体にも出てしまったらしい。ひくりと引き攣った私の口端を見たリコが「向こうはあんたの事覚えてないかもしれないのに、なに震えてんのよ、キモい」と冷たく一蹴した。そういうリコも大好きだよ、って言葉にしたら更に気持ち悪がられそうなので空気を読んで黙っておこう。

 春になったとはいえ、夕方は何処か肌寒い。服の間を抜けていく風が冷たいのに、足元には春らしい草花が芽吹いていて、ちょっとアンバランスな感覚に笑みが零れそうになった。
 それにしても…、まさか宮地兄と一緒の大学だったなんて。変な感じだ。こっちはイケメンだと騒がれていた彼の顔をぼんやりと知っているし、弟と似てるならば、同じ高校だったし面影くらいはわかるけれど…果たして向こうは覚えているのか。幼い頃の顔つきから考えると、私は大分変わっていると思う。もちろん整形なんてものには手を出していないが、年を取っていくごとに化けることを覚えたのだ。一重の友人が化粧でぱっちりドーリーアイに変わっていく姿を見ていると、化粧ってものは怖いとつくづく思う。
 宮地兄弟について思いを巡らせているつもりが、化粧のこと、そして自分のメイク道具の残量について考えだす辺りまで脱線した頃、我が家の玄関が見えてきた。今日も今日とて愛犬が甘えて吠えている。それにしてもやけに吠えているな、なんて私の疑問は玄関から垣間見えた長身の蜂蜜色2つと可愛らしい女の子の姿で解決した。
「あ、名前帰ってきたのー」
 にこやかな母の手前で不思議そうに見つめる6つの瞳。おそらく一番大きいのがお兄さんの清志さんで、その後ろのカップルがずっこ…いや、結婚する弟の健志くんと彼女だろう。わざわざ再従姉妹の家に報告に来なくてもいいんじゃないだろうか。というかお兄さん場違いじゃん。
 どうやら私の疑問は彼らに対する挨拶で見え見えだったらしい。「キヨちゃんは付き添いでね、ほら、沙和子ちゃんこれなかったから」と母が説明する。沙和子ちゃんというのは、宮地兄弟の母であり、母の従妹であり、私の遠い親戚だ。ほうっと納得しながら先ほどの自分の状態に吐いて考える。確かに口から滑り落ちた「どうも」という3文字が酷く震えていたのは自覚していたが、まさかそこまでわかりやすいとは。
 健志くんの隣に居たのは、私の知ってる友だちの可愛いマネージャーではなかった。どこか意地汚そうにも見えてしまった化粧に、先ほどまで自分が考えていた化ける事を思い出して苦笑いしてしまった。こんな事を思ってしまう私も意地汚い、というか性格が悪い。
「名字さんだったんだ」
 健志くんの驚いた声が聞こえた。高校では選択授業以外で顔を合わせることはなかったが、彼はどうにか覚えてくれてたらしい。「久しぶり」とへこりと頭を下げれば、相変わらず整った笑顔を見せてくれた。これだからイケメンは。
 心のなかでイケメンに対する負け犬の遠吠えを吠えた辺りに、今度は別の男性の声が私を呼ぶ。「名前ちゃん、でっかくなったんだな」おそらく宮地兄の方だ。「き、清志さんも」と他人行儀な挨拶を返せば、彼はにかっと笑って「昔はタケの真似して、キヨ兄って呼んでたのにな」って。たった一年でもこんなに記憶に差があるのか。それとも私の記憶力がなさすぎるだけなのか。
「オレの真似ぇ? 名字さんが?」
「おう。ってかタケも名前ちゃんのこと名前で呼んで、すっげえ尻追っかけまわしてたし。ねえ、おばさん」
「そうねー、そんな事もあったわねえ」
 母と清志さんと健志くんがケタケタと笑い合う中、健志くんの彼女さんはむっとした表情を見せた。私はその表情が意味する感情を知っている。おそらく…――、嫉妬だ。自分だけが知らない空気、知らない過去、知らない人間関係に言いようのない孤独感に苛まれているのだ。そろそろこの話はやめよう。じゃないと私がどっかで刺されそうだ。そう思って「あの」と私が声を発するよりも先に、彼女の「タケちゃん」という声が響く。
「どうした?」
「そろそろ、御暇しよっ?」
「おー、だな」
 ああ、この表情も知っている。これは幸せってやつだ。彼の、健志くんのその表情を見た途端に胸の奥がちりりと痛んだ。何かが焼け焦げるようなにおいがする。薄暗い部屋の隅に追いやったパンドラの箱の鍵が焼き崩れていく気がした。

(121227)
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