※本誌ネタバレキャラがでます。 私と黄瀬が付き合いだしてそれ相応の時間がたった。時間が経っているはずなのに、私と彼の間にはキス以上の何かは起こらない。キスだってそういう空気になった時に私が無理やり奪ったといっても過言ではない。それくらい彼、黄瀬涼太は私に手を出すことを躊躇するのだ。 「実はね、昨日とうとうヤッちゃったんだ〜」 だからこうやって、周りが処女を喪失しただとか彼氏とまぐわっただとか、そういった話題には作った笑顔で乗り過ごすことしか出来ない。 『名前と黄瀬くんは、もうやることやってるでしょ』 って。私は何度その台詞を聞いては苦笑いを浮かべたことか。やることやってる? 私と彼が? なんて笑えない冗談だ。一緒の布団に枕を並べて寝ても、そっと手を握る以上のことをしなかったヘタレ野郎なのに。アンタたちのほうがよっぽどやってるわよ。…なんて、言えたらいいんだけどね。 「で。何でオレに相談するわけ」 「笠松、早川は論外。小堀は彼女いるし、中村は彼女以外もいそうだし」 「オレは、」 「彼女居ないけど、やることはやってそうだもん」 遠くで中村が「先輩のなかのオレのイメージって酷くないですか」と溜息を吐く音が聞こえた。目の前の男、森山は頼られて嬉しいのに、その理由が嬉しいものとは言えなくて、複雑な表情を浮かべている。 だって本当にそう思うんだもの。笠松はそういう話題を振った途端に「おま、そっ…?!」って言う反応して、プシューって再起不能になるじゃん。早川はうちの天使くんだもん。いつまでもピュアなままでいて欲しいから、絶対そういう話題は振らないの。小堀はさっきも言ったように彼女持ちでしょ。今の彼女は私の友達でもあるし、そういう話聞いたらその子をそういうフィルター通して見ちゃってやだもん。中村は絶対彼女以外ともそういうことしてるじゃん。ああいうおとなしそうな顔して、夜のオレは暴れん坊だぜってタイプだよ。論外論外。私の黄瀬はね、私の下の名前を呼ぶだけで顔を真っ赤にしてるんだから。 「相変わらず失礼な先輩ですね、名字先輩って」 「え?」 「ていうか、最後おかしくないか」 「どこが」 「黄瀬がそんなピュアなわけねえだろ」 「えー」 ぶーっと唇を尖らせて反論すると、森山は何とも言いたげな顔をしていた。しかしながら次の句は溢れてこない。なにか言いたいことあるのかと問うても、うーんと唸るだけ。 「…まあ、いいわ。それでお前が幸せならな」 「はあ?」 「オレも森山先輩に賛成です。先輩が幸せならそれでいいかと」 「なにそれ」 どういう意味よ。そういう気持ちも含めて目の前の森山、そしてその後ろで練習に向かおうとする中村を睨みつける。 「お前の相談の本題はそこじゃねえんだろ」 「…そうだけど、」 「で、なに」 さあさあと言わんばかりに私の言葉を急かす森山。しかしながら、いざ口に出そうと思うと些か恥ずかしいものがある。んーっと口籠る私に、彼はふっと笑って「黄瀬とセックスしたいんだろ」と告げた。おぉ…、おう。 「それならオレが良いアイディアをお前にプレゼントしてやるよ。黄瀬って、今日は外せないモデルの仕事で部活休んでたよなー」 にたり。森山の不気味な笑顔に口の端が思わず引き攣った。こいつがこんな笑みを浮かべるときはたいていよろしくないことを考えている時だ。そうわかっているのに、今は藁にも森山にも縋りたい思い。彼のことをじっと見つめていると「報告よろしくな」といって、とあるロッカーからとあるモノを頂くことになった。 森山といらぬ会話のあと、部活はいつも通り行われた。自分の鞄にしのませた例のブツに胸は変な鼓動を奏でていて、正直気が気じゃない。そんな私の様子が手に取るように分かるのか、森山は終始ニヤついていた。むかっとしたので笠松にチクって、しばいてもらったのは言うまでもないだろう。 明日は学校が休みなので、黄瀬の家へと直帰する。今年の彼の誕生日になぜか私が貰ってしまった合鍵を使って玄関を開けると、肺に広がるのは嗅ぎ慣れてしまった彼の匂い。残り香すらイケメンとは。ちょっとだけ森山がぶうたれる意味が分かる気がした。 袋の隙間から見える「海常」の文字に、くらりと目眩が襲った。本当にやるのか、本当にやるのか、これ。森山に縋ってしまった手前、やらなかったという報告は即却下されるのだろう。やったからといって事細かに報告するのも恥ずかしいし癪だけど。 仕方ないので頂いたものに袖を通す。しかしながらコイツには袖ってものが存在していないに等しい。上に何か羽織りたいところだが、森山曰く「それ一枚ってところがソソられる」とかなんとかと言っていたような。とりあえず部屋の暖房をいつもより高めに設定して、その場を凌ぐか。 「そういえば、ニーソとかあったかな…」 それを着るならニーハイソックスは外せないな、と森山が豪語していたが、果たしてこれでいいのだろうか。鏡に映った己の姿は、下手すればただの痴女…。いや、下手しなくても痴女だ。やはり下はスカートぐらい履くべきなのか。 脱ぎ捨てたばかりの制服のスカートを両手で広げてうんうんと唸っていると、がちゃりと玄関の扉が開かれる音がした。「ただいまー」…どうやら家主が帰ってきたらしい。 持ったままだったスカートと脱ぎ散らかした制服をくるくるっとひとまとめにして、自分の鞄の近くに投げやる。廊下を歩く足音は少しずつ近づいて来て、それにともなって心臓も早鐘を打つ。もうすぐこの部屋に繋がる扉が開いてしまう。力いっぱい握った裾がくしゃりと不規則な皺を刻んだ。 「たっだいまー…あ、」 「お、おおおかえり」 擬音語で表すならば、まさしく『ポカーン』だった。くりくりとまではいかないけれど、人よりも大きな瞳をぱちぱちと瞬かせて、私よりも薄い唇は閉まることを忘れたみたいに開きっぱなしで。少しだけ火照る頬を知らぬふりして「き、黄瀬ー」と彼の前で手を振る。 すると彼は正気を取り戻したらしく、いそいそと着て帰ってきたばかりの上着を脱ぐ。その上着は脱ぎ捨てられること無く私が羽織ることになったのだが、彼の機嫌はすこぶる悪いらしく「何やってんスか、アンタ」と怒鳴られてしまった。 「なにって…、彼ユニ」 「見りゃわかんスよ、そんなこと。何でそれ着てんスか」 彼が言う『それ』とは、我らが海常高校バスケ部のユニフォームだ。伝統のロイヤルブルーが目に鮮やかで、見るものを魅了する。…現実は見るものを怒らせているのだが。 すっかり不機嫌な彼氏様はその感情を隠すこと無くぶつくさと文句を垂らしている。「だいたい何でオレのユニフォーム着てんスか」って、え。 「これ黄瀬のなの?」 「オレのっすよ。背番号7っしょ」 「え、あ…ほんとだ。森山が貸してくれたから、てっきり森山のだと」 「はあ?!」 キッチンに向かい、いつものように冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出そうとする。その後ろをパタパタと鴨のヒナの如くついてまわっている時の会話に彼は過剰な反応を示した。それはそれは、口に含もうとした水を吐き出すほどだ。 勢い良く咳き込む彼の背中をさすっていると「本当アンタ信じらんねえ」と更に怒られてしまった。いい加減挫けそうだし、大丈夫だと豪語した森山をグーで殴りたい。さっきの言葉を皮切りに私への不満をぶちまけ出した黄瀬の腕をくいっと引っ張る。 「なに、」 「ムラっとか、ぐっとこない?」 ぎょっとした顔をする黄瀬が私の全身を舐めるように見る。すると視線は胸元と太ももあたりを重点的に見るようなものに変わった。なにかあるのかと彼の視線が集まる場所をちらりと見てみると、そこには私のお粗末な谷間がこんにちはしているじゃないか。 「ひっ」 黄瀬と私の身長差は頭一個分以上ある。ユニフォームを着た時からでかいなあ、ワンピースみたいだなあとは思っていたが…。まさか彼の視点からは谷間がこんちはしてるなんて予想外だった。 思わず胸元をくいっと引っ張るも、今度は下半身がこんにちはしてしまう。先ほどまでそんなになかったのに、いざ本人を目の前にして本人のユニフォームを着ているとなると、恥ずかしさがどんどんと込み上げてくる。 見ないでとか、やだとか。適当なことをいってその場から逃げようにも、それは未遂に終わってしまった。「もー…、勘弁してよ」なんて彼の弱々しい呟きが聞こえたと思ったら、ぐいっと彼の胸にダイブすることになったのだ。 「名前さん、オレね、めっっっちゃくちゃ我慢してんの」 「う、うん」 「セイヨクカタ?ってやつ? ほんとはヤれるもんならヤりたい年頃なの」 「うん」 「オレの言いたいことわかるよね」 上から降り注ぐ言葉よりも彼の体を通してダイレクトに鼓膜に響く言葉のほうが恥ずかしい事をこの男は知っているのだろうか。本当にくっついているという感じがして、実はすっごく照れる行為なのだときっと彼は知らないんだろう。 でも、それよりも私が気になるのは…―――。 「きっ、黄瀬」 「なんスか」 「あのさ、その…お腹の辺りに固いのが…」 それの正体だって知ってるし、生理的現象だってのもわかってるけど、いざ密着して確認すると顔から火が出るほどに恥ずかしい。黄瀬も同じだったらしく、ぼっと音がするほど顔を赤くした。それから照れ隠しをするように私にキスをせがんでくる。 「ちょ、んっ」 「んー、名前さんの匂い」 いつもよりも深すぎるようなキスの後、彼は私の首筋に鼻を寄せて犬のように匂いを嗅いでいた。「ムカつくけど、森山先輩には感謝っスね」注意してないと聞こえないような声でそう呟いた彼は、酷く切ない顔で私の頬を包み込んだ。 「名前さんが悪いんスからね」 Wait×Wait/121225 |