これの続編

 ひんやりとした空気が辺りを犇めいている。小さな動作ですらこの空間には大きな音として響いた。
 一時的に保護しているといえば聞こえはいいが、彼女のお目当ての人物はここ牢屋に収容されている。コンクリート打ちっぱなしの壁は酷く寒い印象を与える。季節は冬だというのに、此処には暖房器具という器具がなかった。
 カツカツと態とらしく音を立てて目当ての場所へと足を運ぶ。とある鉄格子の向こう側に彼女が会いたいと切望した人物が横たわっていた。間に合わせのようなベッドに彼の大きな背中は似合わない。
「尊」
 たった三文字、されど三文字。一息で終わるこの名前を呼ぶのにどれだけの勇気が必要だっただろうか。呼ばれたはずの赤髪はぴくりとだけ反応するも、彼女を振り返ることはない。
「…尊、そのままでいいの聞いて」
 彼女の細い腕が己の脇腹を撫でる。其処にあるのは赤のクラン― 吠舞羅 ―の一員であった証。
「ヒトリゴトだと思って流してくれればいいから」
 彼女が赤のクランを離れ、青のクランに移ったことには目の前の男、周防尊が大きく関係している。王の力を制御するために、彼には常にストッパーが存在していた。それが彼女と、十束多々良だった。しかしながら彼らの目がない場所では意味をなさないその役目に、彼女は日々頭を悩ませていた。
 そうして取った行動が、彼らを裏切るようなものであったとしても、彼女は何ら後悔していなかった。
 内のストッパーが十束多々良だとするならば、彼女は外のストッパーになりたかったのだ。敵対する立場ならば、彼の行動を更に制御できるのではないかと、彼女なりに考えた結果だった。
「あの日…、多々良が死んだ日。あの日って翌日がアンナの誕生日だったでしょう」
 彼女が胸の内を明かしたのは、吠舞羅のNo.2である草薙出雲と青の王である宗像礼司だけだった。
「そのためにね、私と多々良はプレゼントを買いに約束してたの。馬鹿でしょう、多々良って。私はもう貴方達と一緒じゃないって言ってるのに、私と買いに出掛けたいって言うんだから」
 それでも彼女の変化に気付いた者は居たのだ。そう、例えば…―――。
「だからね、一緒に行く約束してたんだけど、私が急に仕事が入っちゃって、それで」
 ぐっと言葉に詰まった音がする。飲み込んだ言葉は彼女の鼻を、瞼を、声帯を次々と刺激していった。
「あの日ちゃんと多々良と出掛けてたら、…私が多々良を殺しちゃったんだよ…」
 彼女の悲痛な叫びは彼に届いたのだろうか。
 ガシャンと鉄格子が揺れる音がする。ごめんなさい。彼女が謝罪を繰り返す声は、この静かな空間に響きすぎている。ごめんなさい。揺れる空気は依然として冷たいまま。
「お前のせいだなんて、アイツもアイツらも思っちゃいねーよ」
 震え上がる声とは別の温もりを孕んだモノが聞こえた。鮮やかな赤髪の大きな背中が振り返ることはない。けれども確かに彼の声は温かかった。
「みこ、と…」
「それ以上にお前にそういう台詞を吐かせちまったことを悔やむような奴だ、アイツは」
「ごめん…」
 ふっと彼が笑う。表情は見えないために核心はないけれど、確かに張り詰めていた空気が弛んだ。彼女の口から零れそうになった、ダメ押しだと言わんばかりの謝罪は彼の溜息によって掻き消された。
「アンナには会ったか」
「…まだよ」
「お前に会いたがってた」
 鼻をすすった彼女に彼はもう一度だけ告げる。「お前のせいじゃない」と。もしかすると他の誰でもない彼からそう言われたかったのかもしれない。胸の中につっかえていたままの氷が少しずつ溶かされている気がした。
 
凍てつけない/121215
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