静寂に包まれた廊下にカツカツというハイヒールの勇んだ足音が聞こえる。とある一室の前までやってきた時、その部屋の扉が勢い良く開け放たれ、中から眼鏡の青年が出てくる。その顔は眉間に深いシワが刻まれており、お世辞にも上機嫌とは言い難いものだった。
「また無理難題押し付けられたの」
「…いつものことですから」
 盛大な舌打ちを響かせながら、彼は眼鏡のブリッジをくいっと押し上げる。外に漏れだしそうな笑みを抑えながら「大変ね」と彼女が言葉を発すれば、彼は「思ってないことなのに、よく言えますね」と至極厭味ったらしい音色で答えた。今度こそ彼女は笑みを抑えきれなかった。もちろん苦い方の。

 申し訳程度に4回ノックすれば、開け放った扉の中にいる人物から柔らかな返答がある。この部屋の主は
、部屋の片隅に設置した茶室でお茶を点てていた。
「さっきそこで伏見くんに会ったよ。」
「そうですか」
「彼のこと使いすぎじゃないの」
 くつくつと彼女が笑う音とカシャカシャと彼がお茶を立てる音が重なる。数秒もすれば茶を点て終えたらしい彼が彼女に茶室へと誘いの言葉をかけた。もちろんそれに逆らうほどの理由もないため、そっとハイヒールを脱ぎ用意された座布団へと腰を落とす。
「相変わらず礼司くんはお茶点てるの上手ね」
「なんの用なんですか」
 くるり。彼が点前通りの作法でお茶を一口嚥下する。
「なにって、」
「貴女が用もなく此処へくる理由がありませんから…、で要件は」
 用意されていた砂糖菓子をひとくちだけ含み、口内にじんわりと甘ったるい感覚を広めていく。十分に甘さが伝わったところで、彼を倣い一口だけお茶を飲み込んだ。
「礼司くん、尊に会いたい」
 コトリ。彼の茶碗が畳に戻される。
 彼女は現在、青のクラン―セプター4―の医療班に身を寄せいているが、元々は赤のクラン―吠舞羅―の一員だった。もちろん周防尊とも他のクランズマンとも面識がある。決して仲違いしたわけでもなく、至って良好な関係だった。しかし、ある事件をきっかけに彼女は彼の配下に身をおくこととなる。
「無理です、といったら」
「力づくでも許可してもらうわ」
 コトリ。今度は彼女の茶碗が畳に戻される。
「…それでは無理ですね」
「どうしてっ、」
 いくら今は違うクランといえ、彼女が赤の王である周防のことを気にしない日などなかった。体良く配置された場所では、現場での彼の様子なんて分かったものじゃない。彼が同じ施設にいるからといって、簡単に様子を見に行けるわけでもない。全て目の前の男、宗像礼司の采配によるものなのだから。
「貴女はご自分の立場を省みるべきでしょう。今は何処の誰に従え、何に所属しているのか、を」
「ちょっと礼司く…、」
 鋭い彼の視線にぐっと言葉を飲む。その紺碧の瞳はそっと彼女の横腹で息を潜める獣を見つめていた。しんとした空気は興奮していた彼女の頭を冷静にさせた。もう一度彼が茶碗を取り、お茶を口に含んだ。
「…宗像室長、収容されている周防尊の検診を行いたいと思います。どうかご許可を」
 畏まった彼女の口調に、彼はふっと口の端を上げた。
「いいでしょう。許可します」

裏側の獣/121212
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