黒子くんが私の手を引く。「何処に行くの」その問いかけに答えは返ってこない。掴まれた左腕は酷く熱を帯びていた。その熱は彼の力を加えられたから上がったのか、彼に掴まれたから上がったのか、馬車馬のように足を動かす事でいっぱいいっぱいの私には到底わかりっこなかった。
「ねえってば、黒子くん」
「少し黙ってて下さい」
 ぴしゃり。彼が私の追撃を撃ち落とす。そう言われてしまえば、それ以上の言葉を打てないじゃないか。半開きの唇は一文字に閉じられた。
 私を黙らせる事に成功した彼の足取りは、依然としてすたすたという速いスピードを保っている。4本の脚は何処へ向かうのだろう。私の知っている場所か、知らない場所か。明るい場所か、暗い場所か。未来か、過去か。

「着きましたよ」
 その一言で、いっきに視界がひらける…とまではいかないが、それなりに広い場所に連れてこられたらしい。見覚えがないわけじゃない。だって此処は中学時代に嫌という程に皆と訪れた場所だったからだ。
 どうして此処に。驚きを隠せない表情のままミルキーブルーの瞳に問いかければ、そこはゆるりと細められ、それは絵にも描けないほど綺麗な笑みを作る。
「キミが一番好きな場所だからです」 
 ふわり。風が悪戯に私と彼の髪の毛をさらった。
――― そう、大好きだった。この場所が。いつも皆の笑顔で溢れ、幸せに満ちていた、このストリートのコートが私の特別だった。主将の業務で忙しい赤司くんも、口ではバスケなんて嫌だという敦くんも。バスケなんて勉強の片手間だと言い張る緑間くんも、バスケ馬鹿な青峰くんも黄瀬くんも。そんな5人を見守るような笑みを浮かべる黒子くんもさつきちゃんも。みんなみんな大好きだった。帝光中のバスケットボール部が好きだった。
 過去のことのように話しているが、今だって好きで好きでしょうがない。たまに会うさつきちゃんとは「またみんなで集まりたいね」なんて話すくらいだ。実現不可能な夢物語なのだが。
 特に彼、黒子くんは帝光時代をあまり良く思っていないような印象を受けた。夏に久し振りに会った時だってそうだ。なによりバスケをプレイしている時の彼が帝光時代とは違うんだと証明していた。
 そんな彼が私をこの場所に連れてきた。それに深い意味は在るのだろうか。もう一度だけ「どうして」を紡ぐ。
「キミに誤解されたままなのが嫌だったから…だと思います」
「誤解?」
「はい…ボクはあの頃、みんなと過ごした日々を嫌になったことはありません。でも帝光中のバスケが嫌いになったのは事実です。それは否定できません。ただ、だからといって彼らのことを嫌いになんてなれませんから」
「黒子くん…?」
 彼の髪の毛をさらう風はとても不器用だ。まるで私達みたいに絡み合った糸を少しずつしか解くことが出来ない、そんな覚束ない手つきで彼の髪の毛を撫で上げる。
「今度みんなでバスケするんです」
「…うそ」
「嘘じゃないです」
 風に揺られる髪の毛を救い上げた彼は「こんなしょうもない嘘ついてどうするんですか」と微笑んだ。その笑顔はまるでそよ風に吹かれたみたいにやわらくて。
 どうしよう、さつきちゃん。私たちの小さな小さな夢が叶いそうになっているよ。散り散りになった陽光のピースが集まろうとしているよ。じんわりと下瞼に熱がこもっていく。つんとする鼻を誤魔化すように息を吸えば、液体を吸い上げるような音がした。駄目だ。彼らの事になると涙腺はもろくなるみたい。
「わざわざ此処に連れてくる必要あったの」
「わざわざ此処に連れてきて伝えたかったんです」
 馬鹿じゃないの。つうっと頬に涙が伝うことも忘れて、目を細める。まるで鏡に映ったかのように、彼が「バスケ馬鹿ですから」と笑う。知ってるよ。あの輪の中にはバスケ馬鹿しかいないんだもん。

光風に拭われた雫/121213
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