誰がこうなることを予測できただろうか。全知全能の神か。透視が出来るという者か。少なくとも己ではない悔しさに名前の喉がくっと締め付けられる。目の前の人物 ―青峰大輝― によって視界は依然として遮られていた。

「どういうつもり、なんですか」
「どうもこうもねえけど」

 じゃあさっさとそこをどいてくれ。そんな名前の考えは顔に出ていたのだろうか。頭上高くにある人物の眉間に深く皺が刻み込まれた。シツレーな事考えてんじゃねえよ。彼はそう発するとぐいっと顔を近づけてきた。
 まずもって名字名前は青峰大輝の彼女でも好い人でもない。彼女には列記とした彼氏だって存在している。それは目の前の彼にも深く関係していた人物であり、これからも関係する人物であることには間違いない。

「孝輔先輩に言いつけますから」
「この状況でか。それまた器用なこった」

 へらり。彼女の言葉もどこ吹く風とばかりに青峰は笑った。
 孝輔。それは彼女の好い人であり、青峰の先輩に当たる若松孝輔のことだ。決して目の前の人物と仲が良いとは言い難い関係である。しかしながら、すこぶる悪いという程でもないことを彼女は知っていた。それ故に彼の名前を出せば、目の前の男は引き下がると思っていたのだが。残念ながら叶わぬものとなってしまった。
 
「なんで私なんですか」
「なんでだろうな」
「はぐらかさないで」
「じゃあお前も目ぇ逸らすな」

 足元にずらしていた視線は強制的に上を向かされる。零れ落ちそうなほどに開かれた瞳は彼の目にどう映っているのだろうか。彼女の瞳が確認したのは、猟奇的な彼の表情だけだった。
―― 食べられてしまうのか。
 名前は本能的にそう感じた。
 以前若松に誘われるがままに観に行った試合で、名前は初めて青峰大輝という人物を知った。めちゃくちゃなプレイスタイルは目を引くものがあり、彼氏である若松よりも執拗に見ていたとも思う。次に彼女が思ったのは、黒豹のようだということ。狙った獲物は逃さず、必ず仕留める。靭やかな中にも猛獣のようなものがあるプレイだと思った。
 そしてその猛獣に狙われている獲物は、彼女なのだ。
 
「やめてよ」
「無理だっつってんじゃん」
「離して」
「そろそろさ、おとなしくしろよ」

 噛み付くようなキスは唇ではなく、首筋に落とされる。それはしっかりと息の根を止めに来た猛獣の姿に酷似していた。嫌々と懇願してもその行為は終わらない。落とすまいと唇を噛みながら、必死に堪えていた涙はとうとう限界を迎えたらしい。もうやめてよ。その呟きは何処に消えてしまったのだろうか。脇腹の辺りにひんやりとした感覚が這う。もう、もうだめだ。
 つうっと伝ってしまった涙は誰の胸に染み渡ったのだろうか。それは目の前の青い猛獣の舌のみが知っている。

さらわれる僕


杏紗様リクエスト/121209
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