人間は居なくなってしまった人のことを忘れてしまう時、まず最初に声を忘れてしまうらしい。たとえどんなに愛しい人だとしても。そう話すテレビを見ながら、人の記憶は脆いもんやで、と出雲くんが泣いたみたいに笑う。泣けばいいのに。それは言葉に出来なくて、喉につっかえて出てこなくて。気持ち悪いから出雲くんが作ってくれたノンアルコールのショコラミルクで流し込んだ。
 私はまだ忘れられない。どんなに忘れたくても、彼が呼んでくれた私の名前だけはずっと鼓膜の奥の奥で鳴り響く。

 部屋のベッドで思わず膝を抱えて丸くなった12月。漆黒に身を隠した月のせいで、夜空にはスパンコールを散りばめたような星が瞬く午前1時。左隣からは規則正しい寝息が聞こえる。それに対して幸せなのか憎たらしいのかよくわからないけれど、胸が燻ぶる感覚に眠気は削がれていく。
 身を捩るようにして柔らかなリズムを刻む方を向く。伏せられた瞼から伸びた睫毛はムカツクほどに長い。肌だって陶器のように白いし、髪の毛だって何度もカラーリングを重ねた私のものとは違い、さらさらだ。指の腹を掠めた絹糸がこんなにも憎たらしい。
 鼻腔を通っては抜けていく、彼独特のあたたかな香り。おひさまの香りでもないけれど、湿ったようなものでもない。木漏れ日を浴びているような…ああ、多々良のいう「お昼寝日和」な匂いだ。もっと近くで嗅ぎたくて、鼻先をそっと彼の首筋に近づける。しばらく犬のようにくんくんと嗅いでいると、くすくすという乾いた音が耳を掠めた。

「くすぐったいよ、名前」
「…いつから起きてたの」
「名前が縮こまった時かな」
「最初っからじゃん」

 むすっとして呟けば、彼はまたくすりと笑みを漏らす。薄暗くて表情全ては読み取れないけれど、彼は作り物みたいに綺麗な笑顔で私の頭を撫でているんだろう。こりゃもう完全に子供扱い、だ。そういう扱い方は嫌よとばかりに頭を振ってみせると、多々良は「あら、フラレちゃった」なんてあっけらかんに言い放つ。そういうことじゃないんだけど。近づいていた鼻先は疾うの昔に自身の部屋着の香りを嗅いでいたようだ。
 不機嫌そうな私の顔は見えなくとも多々良には伝わっていたらしい。楽しそうに笑った後、おいでと私を自身の胸元へと誘う。残念ながらこれに逆らう術を私は知らない。否、知りたくない。ずっとシーツが音を立てた。ひっつき虫のように彼の胸元へくっつくと、華奢すぎる彼の腕が私の体を締め付ける。

「あったかいっしょ」
「うん」
「カイロみたいっしょ」
「ゆたんぽだね」

 きゅっと締め付けられるのは体だけじゃなくて、どうやら心もらしい。じんわりと広がっていく彼の体温に、根こそぎ消えてしまったと思っていた睡眠欲が戻ってきた。うつらうつらと瞼は重力に逆らうことを止め始める、微睡んだ意識の中で唇に薄い温もりを感じた。木漏れ日の香りが一層強くなったから、押し付けられたのはきっと彼の口吻。ぼんやりとした輪郭のおやすみを最後に、聴覚はフェードアウトした。


 体を揺すぶられる感覚に目が覚める。どうやら寝てしまっていたらしい。揺すってきたのは勿論目の前の彼。黒と白のコントラストが出雲くんの明るい髪の毛を際立たせている。時刻は17時。

「もうすぐ出な間に合わへんから。もう尊達は向こうてるって」
「…うん」
「さ、着替えてきい」

 多々良は私に黒なんて似合わないと笑ったのに。今日は黒一色のワンピースが用意されていた。12月8日。今日は愛おしい彼の、最初で最期の通夜だ。

(121208)
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