移動教室の時間に見てはいけないモノを見てしまった気がした。何かを強請るような声と。それに応える艶のある声。遠目から見ても分かるのその影はどんどんと互いの顔を近づけていく。そのどちらにも見覚えはあって、つんと鼻の奥から込み上げてくるものがあった。満更でもなさそうな彼の笑顔を見ていると、結局は誰でもいいのかもしれないな、なんて。ぐるぐると負のループに陥る自分の感情に込み上げてきたものがぽろりと零れたのが、6限目前。部活動の時間までそれはずるずると私の中で尾を引いて、気が付けばため息ばかりが出てしまう。結局彼とはこれといって会話もせずに部活は終わりを告げる。洗い終えたドリンクホルダーを部室まで運ぶと、そこには彼と主将、副主将以外のレギュラーメンバーがやんややんやと騒ぎあっていた。「あ、名前っち。お疲れ様っス」すぐに私の存在に気づき、手に持っていた大量のホルダーを取り上げる彼、黄瀬涼太はこういう気が回るところもモテる要素のひとつなのだろう。黒子くんも「遅くまでご苦労様です」と。青峰くんは如何にも怠そうに「早く帰って寝てえ」なんて言ってて、普段からモテる黄瀬くんを僻む彼にだからモテないんだよと何度言ってやろうとしたことか。とはいえ、今の私にそんな気力はない。はあと自然と漏れたため息に近くにいた黒子くんが気付く。どうしたんですか。その魔法の一言を皮切りにつらつらと今日の出来事を話せば、なんとも言えない顔になっていく彼ら。「本人に聞くべきかな」そういった私の体はいつの間にやら青峰くんと黄瀬くんからタックルを受けていた。傍目から見たら抱きしめられている、とも見えるが。「もう俺らにしとけばいいんじゃね」「確かに…名前っちは俺らの癒し的な」「…下手なこと言ってると、紫原くんに怒られますよ」呆れたような黒子くんの言葉にまっさかーと返す二人。を嘲笑うかのようにバンッと部室の扉は開く。入ってきたのは勿論彼らで、私の状況を理解したらしい話題の彼は感情を隠すこと無く、置いていた鞄を手に取る。「名前、帰るよ」掛けられた言葉も冷たいものだった。帰るといっても私だってまだ着替えてないし、鞄だって手元にはない。けれど、ぐいっと引っ張られる腕には逆らえずに足は縺れながらも彼を追いかける。開いた時と同じ勢いのまま部室の扉は音を立てて閉まる。薄暗い部室の外は、今がどれ位の時間なのかを物語るようだった。彼の足は部室を出てすぐの物陰で止まった。「あつしく、」彼の名前を言い終わる前に、背中に衝撃が走る。目の前には彼の姿。その表情は逆光により読み取れないが、すこぶる悪いのだろう。握られている左手が悲鳴を上げたくなるほど痛い。「さっきの、どういうつもり」「どうって…、ちょっとじゃれて」「あれが?ばかじゃねえの」言葉のナイフ、かと思った。小馬鹿にするような柔らかい音ではなく、突き刺さるような鋭利な冷たさを持った言葉。きゅっと唇を噛み締めれば、頭上からは大きなため息が聞こえる。「でも、敦くんだって…6限目前に、」「は?」事細かに私が見てしまったものを伝える。最初こそは意味分からないといった空気を纏っていた彼だったが、徐々にわかってきたらしく、あのことかーと声を上げる。「あれは調理実習で余ったものを俺がお菓子好きだからって聞いてくれただけ。キスなんてしてねえし」「絶対…?私の勘違い?」「俺が名前以外にヨクジョーするわけねえじゃん」ふっと笑った彼は私の唇をいやらしく舐め上げる。キスではないその行為にひっと小さな悲鳴を上げれば、彼はそれはそれで気分を良くしてしまったらしい。「でもさー、俺のは勘違いだからいいけど、さっきのはすげームカついたんだよね」「え…」「峰ちんと黄瀬ちんがどうかは知んねえけど、されるがままだった名前にちょーっとくらいオシオキしてもいいよね」ちょっと待って。その言葉も彼の口内に消えてしまう行為に、カクっと腰が抜けてしまうまであとどれ位なのだろうか。

唇の怪物


naxx様リクエスト/121124
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