※ヒロインの性格が歪んでいます。 私の大好きで大好きで、愛しても愛し足りない愛しい彼は、何にもならない空っぽの人形を愛している。薄暗い濃緑のガラスは、あの日から光を宿すことを止めてしまったらしい。あまりにも綺麗で、作り物のような錯覚を誘起するアンティークグリーンは、もう此処にはない。 再び彼に光を齎すのは私だと自負している。だからあの日以降、彼の側を離れたことがない。何処に行くにも、何をするにも、彼には私という、唯一の存在が必要不可欠なのだ。 秋は深まり、冬の匂いがする。通りのイチョウは金色に染まり、何処か懐かしい暖かさを含んでいた。 彼は今日も今日とて、色のない世界へと足を運ぶ。何色にも染まっていない、ただただ真っ白な世界。切り取られた四角から、四季折々の彩りを見受けられる辺り、其処は外界とは遮断された何かなのだと認識してしまう。 あんなにも濃かった金木犀の香りも薄れ、不快に思った銀杏の香りもしない。其処は消毒液の匂いと色のない空気が犇めく、小さな小さな異空間だった。 「今日は少しだけ冷えるな」 普段は直線を引いたままの彼の唇も、此処に来れば小さな歪みを生じさせた。冷たい空間を震わせる声色は、柔らかな音符となって私の鼓膜へ届く。人肌のような優しい彼の声は、どんな子守唄よりも私の心を沈め、温かさをくれる。言葉では上手く説明できない色に何色でもない空間が染まった気がした。 「そうね。真太郎は寒がりだから、これからのほうがもっと辛いでしょう」 「お前は、いつも頬を冷たくしていたな」 彼は大好きな『お人形』へと、己の手を差し伸べる。すっと伸びた指先は『お人形』の陶器のような肌を何度も何度も往復して、僅かな温もりを掠め取るような素振りを見せた。 真太郎は『お人形』が好き。たくさんのコードで繋がれて、冷酷な音を奏でる機械に生かされる、もうずっと目を覚まさない『お人形』を心から愛している。己の将来だって『お人形』のために、大好きなバスケを捨て、医者の道を選ぶと言った。まるで己の人生は『お人形』の為にあると言わんばかりの口ぶりは、私の心に鈍色を落とした。 私は『お人形』が大嫌い。大して可愛くもない容姿で、汚い笑顔を作って、挙げ句の果てには耳触りな声で「真ちゃん大好き」って。馬鹿馬鹿しい。真太郎の事を世界で一番愛おしいと思っているのは、正真正銘私だけだというのに。何処の馬の骨かも分からないような小娘が知ったような口を利いて。ただただ腹立たしくて、悔しくてしょうがなかった。 「真太郎」 「そろそろ金木犀の時期も終わってしまうな」 「真太郎」 「今年もまた共に見れなかったな」 「ねえ」 「…お前は、いつになったら目を覚ましてくれるんだ」 まるで私なんていないみたいな態度。ずっと側に居たのに、ずっと側にいるのに。あのアンティークグリーンに、なんて贅沢は言わない。今の濃緑の瞳でいいの。私を、名字名前を貴方に宿して欲しいだけだから。 数歩先の彼は人形の動かない手を取り、懇願していた。その距離を縮めて、大きくて、けれども哀しい背中をそっと包み込む。冷淡な体に私を刻み込んで欲しいがために、そっと額を擦りつけた。 「それは『お人形』よ、真太郎」 「…違う」 「貴方が愛してきたのは、私よ」 「違う」 言葉とは裏腹に、いつの間にか彼の手は私のそれを優しく撫でていた。壊れ物を扱うような手つき。私は目の前のそれと違って、こんなにも頑丈にできているんだから、多少乱暴しても壊れないの。それは体に付けられた無数の歯型が証明しているというのに、彼は妙なところで学習能力が欠如している。そんなところすら愛おしい。ああ、緑間真太郎の全てが愛おしい。 願わくば、この時間が一生続きますことをお祈りして。『お人形』はずっと『お人形』のままでいい。私は彼のための貴女にだってなれる。早く息をすることを止めてくれ。その呼吸音すら私には耳触りなのだ。 早く永久の眠りについてしまえばいいのに。変わらない『お人形』は早く飽きられてしまえばいいのに。でなきゃ、私が『お人形』に手をかけた意味がなくなってしまうでしょ。 ふれあう冷たさを知らない (121105) |