このお話内の設定です。


名前の爆弾発言、そして黄瀬への公開告白から暫く経った今日この頃。暖かかった、いや、むしろ暑すぎた夏も終わり、実りの秋も終え、季節は冬がやってきた。木枯しが容赦なく体を冷やすというのに、バスケサークルのメンバーはストリートへと出向く。あの日から彼らの距離は変わっていない。変わったことといえば、ここ1ヶ月ほど由奈がサークルに顔を出していないぐらいだ。
そんな名前と黄瀬の距離感にやきもきしている人間が、サークル内でも数えきれないほどいた。青峰もその内の1人。密かに狙っていた彼女が好敵手に告白した時点で彼の失恋は決定していた。年下の幼馴染にその事を愚痴れば「黄瀬さんは今をときめくスーパー読者モデルだもの。かたや大ちゃんは、バスケしか取り柄のないバスケ馬鹿じゃない」などと言われてしまい、数日落ち込んでいたとか何とか。

今日も今日とて、彼らは街のストリートコートへと足を運ぶ。大学を出る直前だったろうか。荷物を肩に掛けた火神が名前の元に走り出しそうだった黄瀬を呼び止めた。

「なんスか、火神っち」
「ちょっと頼まれて欲しいことがあんだけどよ」
「頭使うような難しい事とかは無理っスよ。俺、いうほど賢くねえし」

おちゃらけて火神に答える喜瀬を名前が横目で確認する。あんな恥ずかしい思いをしてもなお、黄瀬のことが気にかかってしょうが無い。あれ以来、彼からの分り易すぎるモーションは0。元から色々とスキンシップが激しかったため、スタート地点がオカシイのかもしれないが、それでも…もう少しぐらい何かしらの変化があってもいいのではないか、と彼女は考える。本当に何も変わらないのだ。軽い響きで「好き」に酷似したフレーズを紡ぐところも。本音と嘘を縫い合わせたような笑顔も。

「女の子を連れてきて欲しいんだけど」
「はあ?」
「女子高生…この前のメールの相手」
「…ああ、あの子」

だからって何で俺がその子を。なんて考えながら、自身より少しだけ後ろを歩く名前の姿を捉える。不安そうに、けれども興味ありげに此方を窺う視線に、彼の中の欲求が潤っていく感覚がした。そうだ、もっと此方だけを見ていればいい。
ふっと口角を上げた黄瀬は火神に了承の意を告げる。いつものパッチワークのような笑顔でなく、心からこの状況を楽しんでいる笑顔を浮かべて。

「可愛い娘のためなら、いくらでも喜んで」

火神から詳しい場所と少女の特徴を聞いた黄瀬は、ひらりと手を上げてその場を去る。その顔は、きゅっと一文字に結ばれた名前の顔を確認して、密かに満足気に笑んでいた。
一方の名前は、何とも言えない胸の蟠りに困惑していた。彼とお付き合いをしているわけでもないのに、顔も名も知らぬ少女に嫉妬にも似た感情を抱いてしまった。近くにゴミ収集所があるのならば、すぐにでも捨ててしまいたい醜い感情。彼の姿が完全に見えなくなった所で、隣を歩く黒子にそっと耳打ちした。

「ごめん、今日急用入ったんだった…帰るね」

意気地なし。この言葉が世界一に似合うのは己かもしれない。そうですか、と呟いた黒子の声に小さく会釈し駅を目指す。足は重しを付けられたような重量を感じるというのに、彼女は早歩きの速度でその場を去る。彼が女の子を連れて戻ってくる場所に居なくてはいけないなって、どんな拷問だ。仮にも自身の想い人。どれだけ相手にされていなくとも、見たくないものは見たくない。恋とはそういうものなのだ。

+ + +

帰るつもりだったのに『逃げる』という選択肢を選んだ自身の不甲斐なさに情けなくなって、近くのカフェで時間を潰すことにした。運ばれてきた紅茶のなかなか混ざってくれない砂糖。全てを受け止める紅茶を黄瀬に喩えるならば、溶けきれない砂糖は名前だ。彼の中に間違って飛び込んでしまった彼女は、黄瀬涼太という大きな海原を漂うことしかできないのだ。
沈殿してしまった砂糖を掻き混ぜることをやめて、まだ少し苦味の残る紅茶を嚥下する。舌の上に残る渋みは自身と黄瀬の距離感を表したような味。すべての物事が彼に繋がってしまうことに小さな溜息を吐いた時だった。

思考の全てを浚ってしまう人物が、窓ガラスの向こうに見えた。キョロキョロと周りを気にする仕草に、見つけて欲しい気持ちと見つけないでほしい気持ちがぶつかり合う。ゴクリと紅茶ではない何かを下した時、鮮やかな黄色が名前を捉えた。
『 み つ け た 』
薄い唇は4文字を象った後、緩やかなカーブを描いた。持ち主はあっという間にカフェへと足を進めだす。出入口は一つだけ。逃げられないというのに、何処か高揚している自身の心が。クリアブラウンの水面に映る表情はオンナだった。

「名前ちゃん」

額には薄っすらと汗が滲んでいるようにも見えた。小さく上下する肩と少しだけ荒い息遣い。ギイと椅子を引いて腰を落ち着けると、店員にコーヒーを注文する。先程呼ばれた名は、甘美な響きをしていたのに、彼女の目の前に座る彼の視線は酷く鋭い。

「何で帰ったの」
「急用が」
「急用?じゃあ、どうしてここにいるの?」
「…帰ってる途中で急用がなくなっちゃったから」

釈然としない彼女の受け答え。伏せがちの目蓋からは真意は一切読み取れない。しかし、彼には確信があった。いつの間にか運ばれてきたコーヒーはゆらゆらと湯気を上げる。未だ鋭く彼女を見つめる視線は、上がってしまいそうな口角を隠すためのものでしかない。思い通りに進みすぎる物事に高鳴る胸を抑えながら、彼は閉ざしていた口をゆっくりと緩める。

「嫉妬したから?」
「ちがっ、」
「俺が女の子迎えに行くの、嫌だったから帰っちゃったんスよね」

刹那、ぼっという音が聞こえる勢いで赤くなる名前。そんな彼女の様子に彼の確信は確固たるものへと変化する。必死に首を振り否定する姿も、それを肯定しているものにしか思えない。そう伝えてクスクスと笑みを漏らせば、名前の唇はあの瞬間と同じように噤まれ、眉間に皺を寄せた。そんな姿すら愛おしいと感じている黄瀬が目の前に居ることも忘れ、彼女は口を開く。

「黄瀬くんは貰うばかりで与えないから、狡いよ」
「どーいう意味?」
「そのまんまの意味。自分の気持ちは与えないけど、他人の気持ちは貰えるだけ貰うじゃん」

此方を向いたと思った瞳はすぐに伏せられる。先程よりも目蓋が震えているのは、泣きそうになっているからなのだろうか。カップに這わせた彼女の小さな手も、少しだけ震えていた。その手をそっと握りとり、黄瀬は彼女に顔を上げるよう促す。おずおずと上がって来る悲痛な表情に、彼はまた笑みを漏らした。

「名前ちゃんが俺と付き合ってくれるなら、名前ちゃんが抱え切れないほど与えるっスよ」
「え…?」
「例えいらないとか、捨てちゃいたいとか言われる時が訪れても」
「き、黄瀬くん…?」

拾い上げた小さな左手は、今まで誰の証もつけていない。その事を思い出し、細長い薬指にそっと口付けを落とした。ぴくりと反応してしまうところさえも愛おしい。小さなちいさな赤を残した場所をちろりと彼が舐めれば、彼女の体はもう一度反応を示す。

「キミが俺の愛で溺れ死んじゃうくらい、ずっと愛してあげるよ」

泣きたくなるほどに沈殿していた砂糖は、いつの間にかクリアブラウンに融解していた。


delta20話裏ver./120925
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -