屯所の朝は賑やかで忙しい。隊士たちは朝稽古をしたり朝食を作ったりと、屯所の朝はいつだって騒がしい。そんな彼らに混じって朝食作りを手伝うのは、土方の小姓である千鶴と斎藤の小姓である名前である。新選組内で千鶴と名前が彼らとは性別が違うと知っているのは、幹部のみだ。故に、彼女たちは普段、男として過ごしている。だが、今まで女として過ごしてきた時間の方が圧倒的に多いわけで、それに加えてここは新選組の屯所で輪をかけるようにして男所帯で、そんな中で完璧に男として振る舞うのは難しい。したがって、彼女たちの本当の性別を知っている幹部たちは、彼女たちが少しでも過ごしやすいように手助けをすることが多い。例えば、今みたいに――。
「っ! あっぶねー……」
「はっ、原田さん! すみません……大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だけどよ……名前こそ大丈夫か?」
 大丈夫だということを原田に伝えると、手拭いを濡らし、彼の腕に当てる。味噌汁をよそうためにお椀を取ろうとした際に、腕がお玉に当たってしまい、お玉がお鍋の中から弾かれるように飛んだ。幸い、お鍋の中をひっくり返すことはなかったが、原田がお玉を掴んでくれたときに味噌汁が僅かに飛び散ってしまい、それが彼の腕に落ちてしまったのだ。あまりにも心配する名前に原田は気にするな、と言うが、このようなことが一回や二回ではないため、彼女はひどく落ち込んでいる。
 名前はどこか放っておけないところがある。本人はいつだって真面目で、何に対しても真っ直ぐだ。しかし、少し注意力が欠けている。そして、今のような事態が起こってしまう。そのことは本人が一番よくわかっており、痛感している。直したいと思いつつ、気にすれば気にするほど悪化しているような気がして、かといって動かないわけにもいかず、ぐるぐると頭の中で同じことを何度も思ってしまう。
「名前ー、これ運んで行ってくれるかー?」
「はーい!」
 永倉に手渡されたお盆を受け取り、大広間まで運ぶ。名前はこの瞬間が一番緊張する。万が一、落としてしまえば、なんて考えるだけで背中が冷たくなる。全神経をお盆へと注ぐ。慎重に、丁寧に、でも速く、なんて名前にとって至極難しいことなのだ。この曲がり角を右折すると見えてくる大広間。ホッと一息つきそうになったそのとき、彼女の目の前に影が落ちてきた。手から滑り落ちそうになるお盆。驚きのあまり声も出せず、一瞬の出来事であるのにゆっくりと流れゆくその時間に心臓が止まりそうになる。
「――っ、大丈夫、だろうか」
「さ、いとうさん……!」
 お盆は地面に落とされることなく、きちんと斎藤の手に握られており、名前は心の奥底から安堵の溜息を零した。ありがとうございます、と紡がれる言葉とは対照的に彼女の表情は少し苦しそうだった。そこで斎藤は気付く。彼女は恐らく、いや、きっと、自身が拾ってしまったことを気にしている。ここで落とすことは最悪の事態であるが、自身の手を煩わせてしまったと思っているに違いない。そのようなことはないというのに。
 彼女は誰かに手助けをしてもらうことに対して罪悪感を抱いてしまっている。彼女に注意力が欠けていることは否めないが、それは環境が大きく関わっているのではないか、と斎藤は思っている。もう少し気を抜いた方がいいのでは、と何度も言おうとしたことがある。だが、彼女が意図してそうしているわけではないが故に、その言葉の本意にはきっと気付かないだろう。彼女は彼女なりにこの生活に順応しているつもりなのだ。けれども、斎藤からすれば無理をしているように感じることも多々ある。しかし、手放すことは出来ない。出来なかった。例え、どのような環境であっても傍にいてほしいと願っているのは、間違いなく斎藤自身なのだから。
 お盆を名前に手渡すと、斎藤はふっと口元を緩めて彼女の頭にそっと左手を置いた。揺れる肩と長い髪。ゆっくり撫でると苦しそうな表情から少しだけ泣きそうな表情へと変わった。頼ることは悪いことではない。というより、もっと頼ってほしい。自身を頼ってほしい。そう願うのは、男として生きようとしている名前に失礼なのだろうか。大広間から聞こえる自身たちを急かす声を背に受けながら、斎藤は名前の髪に指をすべらせた。

Dear Lino
From Hanato

title by 金星


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Thank you for the great love.
I respect you very much.
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