※主人公が特殊設定のため、主人公の台詞が『』で表記されています。


『第三音楽室には女子生徒の幽霊がいる』

誰が言い出したのか知らないが、学園内にはそんな噂話が飛び交っていた。どうにも放課後になると、今となってはなかなか使われることのない、噂の教室からピアノの音がするという。決して人を恐怖に陥れることのない、やわらかな音楽を聞いたものは皆幸せが訪れるという。なんとも良いように解釈された噂だ。呆れたような溜息をひとつ、誰にも聞こえないような音で吐いた彼が向かう場所は他でもない、その噂の教室だ。今日も今日とて彼女の音色は人を包み込むようなものだと、そっと口端を上げた彼の表情は満ち足りた顔をしていた。

そもそも彼、赤司征十郎が音の主と出会ったのは、たまたま聞こえた音を不思議に思った彼の行動がきっかけだ。興味の赴くままに音がする方へと歩みを進めていけば、目の前には埃かぶった『第三音楽室』という表記。何となくだが、彼の中では「霊的な仕業ではない」という確信が持てていた。そっと扉を開けば、そこには穏やかな笑みを浮かべてピアノを奏でるひとりの女子生徒の姿。彼が教室に入ったことを気にする素振りなんて見せず、ひたすらに曲を紡いでいく。あまり面白くない状況に、先程よりも大きな音を立てて戸を閉めた彼の幼稚なこと。大きな音に小さく肩をびくつかせた彼女が赤司の存在を認識する。

「こんにちは。ピアノ、上手だね」

一瞬だけ丸くした目も、また綺麗な曲線を描き会釈をする。赤司の声に反応は見せるが、一切口を開くことがない。己の勘もとうとう鈍ってしまったのか。目の前の女生徒は、もしかしてもしかするのかもしれない。その考えが脳裏をよぎった時に背中をぞっとする感覚が襲った。しかし確かめもせずにそう認識するのはお門違い、でもある。

「さっきのは誰の曲なんだい?シューベルトかとも思ったけど、僕の知っているものとは違っていてね」
「……」
「もしかしてオリジナル?」
「……」
「…なんとか言ったらどうなんだ?」

少しだけ困ったような顔をした彼女が、ポケットから小さなメモ帳を取り出す。スラスラと書き記されていく文章を待っている、決して居心地がいいとは言えない空間に、彼の眉間は更に深く皺を刻む。

『ごめんなさい。私、しゃべれないんです』
「…は?」
『幼い頃に事故で声帯を傷つけてしまったらしくて、声が出せないんです』
「そう、だったのか」

声が出せない彼女の唇が『ごめんなさい』と象る。綺麗に歪められるその表情は、まるで人形のようだと、あの瞬間の彼は思った。

筆談ではあるが、彼女と言葉を交わす度に見えてきた彼女そのもの。名は名字名前というらしい。この学園の生徒ではあるが、言葉に障害があるため、あまり表立って授業には出ない、所謂保健室登校だという。学年は己と同い年かと思っていたが、どうやら1つ年上らしい。その証拠には着古された上履きは一学年上の色を示している。ピアノは趣味の一環と彼女は言ったが、その腕前はどうにも趣味の域を超えている。そっと彼女が「第三音楽室の幽霊」と呼ばれていることを告げると、先程よりも目を丸くして『私は生きています!』と慌てた字で書き記すのを見て、思わず彼から笑みが溢れてしまった。

そんな関係が数ヶ月続いた、今日。第三音楽室まで向かう彼は何処か浮き足立っている。ガラっと音を立てて開いた場所には、いつもの様にピアノの前に腰掛けた彼女が座っている。

「名前」

なるべく柔く声を掛ければ、彼女は花を咲かせたような笑顔を彼に向ける。その表情を確認したと同時に沸き上がってくるどす黒い感情を先人たちは「嫉妬」と名付けた。彼女が薄汚い幽霊などと云われるのはいけ好かないが、表立って彼女のことがバレてしまうのは更に腹立たしいことだと彼は思っている。

『征十郎』

細められた瞳に彼が映り込む。ぷっくりと赤く実った彼女の唇は、そっと彼の名前を象った。小さな音楽室という鳥籠に閉じ込めるには勿体無い美しさをもつ、彼女の両の手。今日もそれは白黒の鍵盤に重ねられている。絹のような肌にまとわれた、この細い指でどうやってあの音を紡ぎ出しているのだろう。そんな謎ごと全て、彼女を己のものにしてしまえたのなら…――。

「好きだ」

鍵盤におかれた彼女の手に、そっと手を重ねれば自然と言葉は零れ落ちる。発された言葉にぴくりと反応する仕草さえ愛おしい感情に飲み込まれてしまう。今度は白すぎる彼女の手をとり、そっと唇を寄せて彼は紡ぐ。

「好きなんだ、名前が」

すんっと香った指先に彼女特有の甘さは薄くしか匂わない。伏せていた瞼をそっと上げれば、振り返った彼女の表情は今にも泣き出しそうなものになっている。ああ、違うんだ。そんな表情をさせたかったわけじゃないのだ。心内で謝罪したとしても、彼女の表情は一向に好転することなく、むしろ今にも崩れてしまいそうなものになる。

『駄目だよ』

小さく象った彼女の拒絶は一体何を示すのか。無理やり細められた彼女の瞳に彼は映らない。つうっと頬を伝ったのは彼の涙か、はたまた彼女の涙か。
答えなんて、

勘子様リクエスト/120916
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