何の変哲もない世界が崩れるきっかけを、私は心待ちにしていた。

「あれ?」「あ、黒子くん…?」
大学を卒業して、早数年。就職したのは、とあるオフィスの受付嬢。本当は事務職希望だったのだが、そっちは不採用で、受付が一人寿退社するから補欠採用…みたいな。玩具菓子に付いて来るラムネのような就職を果たした20代前半。気がつけばもうすぐアラウンドサーティー。そんな社会という荒波をある程度であるが乗りこなせるようになりだした頃、彼はやってきた。
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」「うん…黒子くんは、もしかして営業?」「そういうところです」
久しぶりに見つけた薄い影は、あの頃とは違い大人びた香りを漂わせる。少しだけ高くなったような気がした目線の位置に、どれだけの間、彼とすれ違うことすらなかったのかを考えさせられて顔を顰めた。随分と長い間に彼が大人になったということ。つまりは己もそれだけ年を食ったということだ。なんとも言えない羞恥が全身を飲み込んだ気がした。
「そういえば…もうすぐお昼ですよね」「え?あ、うん…、だね」「よかったらランチにでも、どうですか?」「わ、わたしと?」「此処には貴女以外に僕が誘える人なんていませんよ」
くすっと小さく笑った顔は、いくら大人になったとはいえ、あの青少年時代のあどけなさを匂わせる。昔はバスケのユニフォームを爽やかに着こなしていた彼の体も、今となってはすっかりスーツに馴染んでしまった。その中で垣間見えた『あの頃』を懐かしむかのように、了承の返事をしたのは間違いなく私で。


彼曰く「手頃な値段で美味しいランチを食べれるんです」というお店にやってきた。お昼時故に店内は人で溢れているのだが、さほど騒がしく感じないのはお店の雰囲気のおかげだろうか。忙しなく視線を泳がせていると、申し訳なさそうに振り返った彼と視線が絡む。
「すみません、喫煙席しか空いてないみたいなんですが…大丈夫ですか?」「平気だよ」「ありがとうございます」
控えめに笑みを作った彼の後ろを案内されるがままに続く。通された席はさすが喫煙席というか、少しばかり煙たい…気がする。テーブルに用意された灰皿がオトナを演出している気がした。まあ、十二分に大人と呼ばれる歳になってしまったのだけど。彼がオススメだというAランチを2つ頼めば、店員はそそくさと帰っていく。そりゃそうか。今はお昼、稼ぎどきってやつなのだ。先程から言葉を発しない目の前の彼を盗み見る。あの頃と変わらない白さを誇る手は、あの頃よりも骨ばっている。カタカタと揺れる、その両の手の指にシルバーは収まっていない。それが何だかホッとした感覚に襲われて、思わず眉間に力がこもる。
「あ、気になりましたか?」「え?」「すみません、元々は喫煙者なもんで…つい懐かしくって」「そう、だったんだ…もうやめちゃったの?」「ええ。税金が上がって以来、タバコ代も馬鹿にならなくて」
すんっ、と鼻をひくつかせて、また少しだけ笑う。あんなにもスポーツに勤しんだ少年が喫煙をしていただなんて…世の中どう転ぶかわからないものだ。その間にも所在無さげに揺れる指達は、いつぞやの匂いに震えるオンナみたいで、ちょっとだけ嫌悪してしまう。
「そういえば、なんですけど…もう結婚はされたんですか?」「……、それ、彼処にいた私に聞いちゃう?」「え?」「うちの会社の受付嬢はね、基本的に20代の未婚の女性しかおかないの。似たような会社も多いと思うんだけど」「そうだったんですか…すみません」「謝らないでよ、もう」「いえ、随分綺麗になってたから、てっきり結婚しているんだとばかり」「…あっ、そう」
嫌味なのか、お世辞なのか、純粋にそう思ったのか。相変わらずのポーカーフェイスからは何も読み取ることが出来ない。大人になったと言っても、あの頃から成長していないのだ。黒子くん、いや、テツヤくんとお付き合いをしていた頃から、全く。別れた理由の一つには、彼の気持ちが読み取れなかったことも含まれるわけで。大人になったら分かると思っていたあの時の私の考えはつくづく甘ったれであるわけだ。


「ごめんね、ごちそうになっちゃって…」「いえ、誘ったのは僕ですから」
あれから食事をして、他愛もない話を少しだけ交わした後、互いに昼休みはそう長くないということで店を後にする。店先で社会人となってしまった故の形式的な挨拶を交わして、私達の再会は幕を閉じる。決して、再開はしないのだ。迫り来る結婚適齢期と上司の重圧。いつまでもあの席に居座り続けるわけにもいかないってやつだ。訂正、私は未だに社会の荒波を乗りこなせていない。むしろ溺れている。
「ああ、そうだ」「ん?」「話は随分遡るんですけど、僕が元喫煙者だってのは覚えてますよね」「…馬鹿にしてる?そこまで年じゃないわよ」「そんなつもりはなかったんですけど、気を悪くしたならすみません。…で、やっぱりたまに吸いたくなるんですよね。でも吸えない。だから、今すごく口さみしいんです」「…また吸うの?」
いつもだったら読み取れないはずの顔が、呆れた!と言わんばかりに崩れる。盛大に溜息を吐いて「貴方はそういう人でしたね」と笑われたのだが、果たしてこれは馬鹿にされているのだろうか。
「もう一度だけ言いますよ。今、すごく口さみしいんです」「うん」「昔を欲してるんです」「うん」「数年以上たってしまいましたけど、僕たち寄り戻しませんか?」「うん…うん?」

何の変哲もない世界に佇んでいた。そんな視界いっぱいに広がるモノトーンを染色するのは、いつだって貴方だった事を私は忘れていたようだ。世界の崩壊はもうすぐそこまでやって来ている。
うしろむきレイディ

= = = = = = = = =
Dear shiki(coda)
 HappyBirthday to you!!
 I love you forever...
Love,lino(kisaku)

= = = = = = = = =
thanks:金星/120914
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -