今日も今日とて朝はやってくる。緑間家の朝は慌ただしい妻の足音で始まる。バタバタと忙しなく動きまわる彼女の音が鼓膜を響きだした頃、緑間も眼を覚ます。大きな伸びをした後に、隣で眠る我が子達を起こす。長男は凛太郎、5歳。妹の真奈実、3歳。一男一女に恵まれた彼らの絆は結婚当初よりも深いものとなっていた。

(ああ、おは朝を確認しなければ)

ドタドタと足音をたてながら、「ママ、ごはんー!」と叫びだす我が子達は今日も変わらず可愛らしい。ベッドサイドに置いていたメガネをかけて、寝室を後にする。リビングが近づほどに濃くなる朝の匂いに自然と彼の口角が上がった。素敵な幕開けだ。

と、思ったのも束の間。相変わらず急かせかと動きまわる妻の姿を眺めていると、くらりと蹌踉めいたではないか。ハッとしてその体を支えれば、どこか熱っぽさも感じる。よくよく見れば頬だって赤らんでいる。これは間違いなく風邪だと緑間は悟った。までは良かったが、焦る思考回路と一緒に上手く行動も出来ない。異変に気づいた子供たちが「ママだいじょうぶ?」「ねんねする?」と、彼女の足元で顔を見上げていた。なんてこった、大人よりも子供のほうがしっかりしているじゃないか。それからの彼の行動は電光石火の早業と言っても過言ではなかった。未だ熱っぽい彼女を寝室で寝ているように促す。「まだ家事の途中だよ?」と眉を下げる病人Aに「いいから寝ていろといってるのだよ」と告げ、彼女がやりかけていた仕事にとりかかる。この際、心配そうに此方を見ていた彼女は無視する方向だ。

「いいか、リン、マナ。ママは今日お熱さんだ」
「えー、ママお熱さんなの?」
「ママいたい?いたいいたい?」

各々に己の母親を心配する我が子たちに胸がきゅんと狭まった感覚が緑間を襲う。思わず抱きしめたくなる衝動を抑えながら彼らに「今日はパパといっしょにママのお手伝いをしよう」と告げる。母親の役に立てるのが嬉しいのか、ぱあっと輝き出す子供たちの笑顔。我ながらいい子育てを行なっていると感慨深く頷く緑間の姿を彼女が見ていたならば、きっと「80%私のおかげでしょ」と笑って肩をはたいていたのだろう。

ところ変わって、寝室に寝かされてしまった彼女、名前の様子は至って不安そうだ。というのも、先程から「パパー!マナがぎゅーにゅーだばあしたー!」「なっ?!」「だってにーにがー!」とけたたましい声が聞こえてきて気が気ではないのだ。特に夫の緑間はあまり家事が得手では無いのは学生時代からの付き合いで重々知っているため、いつ何が起こってもおかしくない。それなのに自然と笑みが込み上げてくるのは、こんな時間すら愛しいと、幸せだと思えるからだろう。緑間の焦ったような声とケラケラ笑う我が子の声に胸いっぱいの幸せを感じる。風邪を引いてしまったのは迂闊だったが、たまにはこんな状況もいいのかもしれない。

○○○

「よし、出来たな」
「できたー!」

自分たちのお昼ごはんにベーコンエッグと簡単なサラダを頂く。朝食のような献立に子供たちが「ママの朝ごはんといっしょー!」とケラケラ笑い出したのは言うまでもない。それと同時進行で名前に食べさせるおかゆも作っていた。それも先程完成したのでお盆に乗せて彼女のもとへいざ届けようとすると、足元をくいっと引っ張られる。

「俺がもっていく!」
「えー、まなももつー!」
「ま!?…マナはこれをもって、リンはこれにするのだよ」

熱々のおかゆを持たせてこけてしまった時の惨状を考える。我が子が熱い痛い思いをするだけでなく、己も痛い思いをするのだろう。名前の鉄拳制裁で。真正面から断ればぶうたれるのは目に見えているので、真奈実には冷えピタを、凛太郎にはペットボトルのドリンクを持たせる。きゃっきゃっと騒ぐ彼らの後ろをついて目指すは、大切なママのいる寝室だ。

― コンコン、
控えめに鳴らしたノック音に身を捩った名前が返事をする。「ママー!」と声を上げながらダッシュしてくるのは末っ子の真奈実だ。ニコニコと笑う彼女にどうしたのかと問えば、これまたニコニコとわらって「パパとごはんくつった!」と。まだまだ言いまつがいの多いお年頃。といっても言葉の意味が分かった名前はふんわりと笑いながら娘の頭を撫ぜる。それをむっとした表情で見つめる息子にパパの血が通ってるんだなあとしみじみ思ったのは別のお話。

「あい、ママ、ひえひえー!」
「わー、マナちゃんありがとう」
「ママ、ママ!俺からも!」
「リンくんも、ありがとう」

小さい手によってもたらされる幸福を噛み締めていると、彼らよりも大きなおおきな影が「おかゆも作ったから食べるのだよ」とお盆を差し出し来る。珍しいこともあるんだな、明日は雪がふるかもしれない。なんて失礼なことを考える名前を不審に思ったのか、緑間の眉間に皺が刻まれる。

「なにか不満か?」
「ううん、真太郎くんのご飯か…と思って」
「味ならきちんと味見したから大丈夫だ」

『味見』という単語にベッドに乗っかっていた子供たちが反応する。パパだけずるい!と騒ぐ子供たちを抑えるには一口ずつ食べさせる他ないのだ。れんげに一口分すくい、ふーっと息を吹きかけ冷ます。熱いから気をつけるようにという旨を伝え、子供たちに一口ずつ食べさせる。

「んー!おいしーね」
「ほら、リンもあーんしろ」
「あー…んっ!うまい!」
「うまいじゃなくて美味しいと言えといっているだろうが」

子供たちに食べさせ終えると、れんげを置いて名前にも食べるよう促す緑間。それを不満に思った彼女は唇を尖らせて「ずるーい」と呟く。

「わたしも真太郎くんに食べさせてもらいたいー」
「バカか!子供たちもいるだろう!」
「ひーとーくーちー!」

こうなってしまった彼女は子どもと同然。同じように食べさせるまで応酬が続くのだろう。仕方ないと諦めたように緑間は再度れんげを手に取り、おかゆをすくう。猫舌な名前のために先程よりも念入りに息を吹きかけ冷ます様子をみて、彼女の機嫌は急上昇である。

「ほら、口をあけろ」
「あーん、って言って?」
「お前は…」
「ほらほら、あーん!」
「…あーん」

渋々こぼした単語に彼女は嬉しそうに笑ったと、差し出したれんげを口に含む。熱があるせいか、いつもより頬が赤いまま「美味しい」と微笑む彼女に己の顔も綻んでいく感覚が緑間を襲う。改めて、彼女と結婚してよかったと心から思う。

「さ、ママの風邪がお前たちに感染っても困るからな。もう出るのだよ」
「「えー」」
「えーじゃない、ほら、昼ごはんが冷えるぞ」

ママおやすみ、と名残惜しげに呟きながら子供たちが部屋を出ていく。「子どもの相手は疲れるな」と溜息を吐く緑間の顔は穏やかで心がぽっと暖かくなる気がした。また後で来るとだけ告げ、出ていこうとする彼の袖を掴んでしまったのは殆ど無意識で。きっと食べさせて貰ったことにより、恋人時代の感覚が蘇ってきたのだろう。

「どうした?」
「真太郎くん…」
「…全くお前は、早く治すのだよ」

そっと腰を曲げた彼の唇が名前のそれに重なる。子供ができてからは感じることの少なかった甘い瞬間にまた目尻が下がった気がした。労るような温かさも、慣れないことを必死に頑張るところも、全部含めて緑間真太郎という人間が好きだと改めて思う。

「あー!ママとパパ、ちゅーしてる!」

大きな声が聞こえたドアの方を見やると、此方を指さす可愛い我が子の姿。ボンッと効果音を付け、顔を真っ赤にする緑間が「ちっちっっちち、ちがうのだよ!」と言っているが、現場を見られてしまっていてはどうしようもない。あわあわする彼の後ろで子供たちに向かい、人差し指をしーっと立てて笑えば、彼らも同じようにしーっと笑う。今この瞬間、世界で一番幸せなのはこの家族なのかもしれない。
This! is! LOVE!

七瀬様リクエスト/120829
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