彼女が自分ではない誰かしか見ていないのはとっくの昔に気付いていた。そんなもの彼女を視線で追っていれば、彼女の視線の先が誰かなんて簡単に発覚するものだ。別段、恋愛に疎い訳でもない。かと言って聡い訳でもない。並の判断力、観察力、経験しかない人間ですら勘付いてしまう程に彼女は奴に溺れているのだ。決して叶う恋ではないのに。

活気あふれる体育館には汗を流す高尾を愛しげに、けれども切なそうに見つめる名字の姿。その憂いに帯びた表情の正体は言うまでもなく、彼が声をかけた存在にある。「和成、お疲れ」「おー!サンキュ、気が利くね〜」なんて酷い表情を浮かべてるんだ。そんなに辛いのならばやめればいい。アイツのために冷やしたドリンクだって、力を入れすぎて皺が寄ってしまったそのタオルだって、アイツに向けられた想いだって。全部捨ててしまえばいい。そうすれば無理に笑わなくても、下手な嘘を吐いて苦しむことも無くなるというのに。心底、お前は馬鹿だ。ただの馬鹿ではなく、要領の悪い馬鹿だ。

休憩時間に体育館の外へ出ると、ジャーっと勢い良く水の流れる音がする。ああ、これは多分名字が流しているのだろう。ドリンクホルダーを洗うという名目のもと、嗚咽する声を隠すために。何度もバレバレだと声をかけそうになった。ただその度に奴の存在が、影が邪魔をする。ほら、今日も。洗い終えたホルダーを抱えて戻ろうとする彼女に声をかけるのは決まって高尾だ。「名前ー…って、まーた1人で持ってんのかよ」「え、あ、高尾、いや、ダイジョブだし」「お前の大丈夫は聞き飽きたってーの…で、また泣いたわけ?」「ゴミが」「はい、嘘ー」耳を塞いでも聞こえてくる感覚に陥る。胸のあたりが焼けたように痛む。小さな舌打ちを鳴らしても止まない痛みの正体は、言うまでもなく嫉妬だ。行動に起こせない己が坑道を起こす奴に嫉妬するなんて、反吐が出る。しかしこれも現実。苦い、嗚呼、苦いな。

いくら彼女を貶めても、結局は自分も叶わぬ恋を追っている。お前こそ止めたがいい。お前こそ、彼女への想いを捨てたらいい。他人にはいくらでも思える言える言葉を自分に置き換えると、こうも苦しいものなのか。だから本当の意味で彼女を咎めることが出来ないのだ。彼奴はああいう好い加減な奴だから、きっとお前を泣かす結果になる、と。その一言すら伝えられないのだ。別に彼女の隣に居るのが己だなどとは言わない。出来る事ならばそうしたいのもやまやまだ。しかし、彼奴が彼女の隣にいる未来など御免被りたい。「もうやめろ」たった一言でいいのだ。彼女と彼奴を繋ぐ想いを断ち切るものは。そう、次こそは伝えなくてはならないのだ。
早くお眠り

「おい、名字」もう断ち切るための鋏は用意しておいた。

(120820)
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