これの続き


彼が好きだと言った、高校時代から伸ばしていた髪の毛を肩上までに切り揃えた。彼が好きだと言っていた香水だって、この機会に新しい香りに変えてしまった。久しぶりに打った彼宛てのメール。あまりにも端的な文面に我ながら笑ってしまう。『話したいことがあります。』だなんて、別れ話をしましょうと言っているようなものだ。彼は気づいてくれただろうか、私の最後のSOSに。

目を通していた週刊誌を閉じて、最後の仕上げに取り掛かる。彼の目に映る最後の最後まで素敵な女性でいたいと思う私を浅はかだろうか。きっと、かつての仲間たちは、お前らしいと笑ってくれるんだろう。視界の端に写った『黄瀬涼太!今度はあの女優と熱愛?!』なんて踊る文字の羅列に鼻歌を紬いだ。

落ち合わせたのは彼が住むマンション。扉を開けてくれた彼は雑誌の中より、少しだけ儚げだ。「髪、切っちゃったんスか」残念そうに呟いた彼に「イメチェンだよ」と一言。久しぶりに足を運んだ彼の部屋は何もかもが違って見えた。肺に入れる空気も違っているようで、どれだけの間ここに来ていないのかを知らしめるようだった。通されたリビングのソファに腰を落として、キッチンに消えた彼を待つ。どうしてだか、覚悟を決めたあの時から心は晴れやかなのだ。いつかはこうなるとわかっていたのに、ずるずると重石を乗せられたように彼に縋っていたのは私だった。彼じゃなきゃダメだなんて決めてつけていたのも私だった。彼に言われたわけでも、態度で示されたわけでもないのに。結局は独り善がりの恋だったのだ。

「はい、ミルクだけでよかったっスよね」
「うん。ありがとう」

幾月かぶりにみた、彼とお揃いのマグカップに胸が痛む。選んだ時だって、あんなに楽しかったのに。いつから二人はこんなことになってしまったんだろう。流し入れたカフェオレの味はわからない。きっと涼太くんのことだ。ほんとはコーヒーの苦味が苦手な私のために、ほんの少しだけお砂糖を入れてるんだろうな。そんな些細な彼の優しさが大好き だった 。今だって変わらないといえば変わらないけれど、どこかで諦めをつけないと、私たちは互いに壊れてしまうから。彼の優しい声色が「話って?」と紡ぐ。もう、逃げられない。

「うん…あのね、もうお別れしよっか、私達」
「…何いってんの」
「好きだけじゃどうにもならない事が沢山ありすぎるの」

平然とした表情で淡々と告げる。内心は声を荒げて泣きたいほど悲しいのに。みるみる表情が崩れていく目の前の彼は、まるで私の鏡のようだと思った。くっと噛み締められた下唇が痛い。

「何がダメなんすか」
「違うの」
「違うってどういうこと」
「涼太くんがダメじゃないの、私なの。私が耐えられないの」

膝の上に置いた握りこぶしが震える。彼に関する報道が嘘か真かもわからない時点で、ぎゃあぎゃあと騒ぐ私が彼の恋人になんて向いている訳がない。たとえ本当だったとしても、それを受け入れきれるだけの器なんかじゃない。ぽつぽつと理由を零していく私を彼はどう思って見つめているのだろうか。下方を向いた視線は彼を捉えることができない。情報が溢れかえっている社会なのだから、耳をふさいでも目を瞑っても、私が本格的にシャットダウンしない限り、彼の情報は絶えず私のもとにやってくる。シャットダウンする、つまり彼との関係を断ち切るということだ。

「イヤだ、別れない」
「我儘はだめだよ、涼太くん」
「俺のが我儘なら、名前の別れたいって気持ちだって我儘」
「…そうだよね、ごめん」

いつだって思う、私は彼に滅法弱いって。謝るくらいならという彼に、だけど無理だと伝えれば議論は平行線を辿る。視界は少しずつ涙が侵食していく。すっと一筋だけ溢れてしまった時、体は温かい衝撃に包まれる。鼓膜に響くのは、彼が紡ぐ「ごめん」と小さな嗚咽を繰り返す音。背中に回った大きな手はあの頃から変わらない優しさで私を支えていて。鼻孔を掠めた彼の香りにとうとう私の涙腺も完全な決壊を果たす。

「ごめん…ごめん…」
「りょ、たくん…」
「もう、絶対…泣かせないから…ごめっ…」
「うん…」
「幸せに、す、るから…名前だ、け、だ、から…」
「うん…」

彼の背中にそろそろと腕を回せば、さらにきつくなる彼の腕。あんなに覚悟を決めていたのに、結局は揺らいでしまう。小さなソファの上で互いに体を寄せあって泣くだなんて。他人から見ればいいように言い包められてるのかもしれない。だって彼は俳優さんだから。でも、それでも、抱きしめられた時に見えた、彼の首に下げられたペアリングを私は信じたいと思った。触れる程度の口付けからだって、寄せ合った額からだって。全てから彼の優しさを感じてしまった。

神様、私は懺悔せねばならないことがあります。必死に彼の事を諦めようとするため、彼を裏切るような事をしてしまいました。どうかお願いです。これからも彼と、涼太くんと幸せに歩んで生きたいから、許しては頂けませんか。


さよならの準備はできています/120802
▽鈴様リクエスト
ご参加ありがとうございました。
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