8月、夏。今年もまたこの季節がやってきた。厳暑の日差しが肌に当たる度にじりじりと音がするようだ。そんな夏の暑さとは引き換えに、どこか冷たい空気が漂うここに彼女は眠っている。ああ、彼女が死んでもう1年だ。

墓前には色とりどりの花が飾られ、生前彼女が好きだと言っていた飲み物も置いてある。きっと誰かが先に来ていたのだろう。彼女が好きだった花を中心に作ってもらった花束をそっと据え置く。掌を合わせ考えるのは、未だに踏ん切りの付かない自身の想い。不慮の事故ではなく、持病ゆえの死だった為か、彼女は生前から事ある度に『私が死んだら、すぐに忘れて他の女を作れ』が口癖だったっけか。全く、こっちの都合を考えない馬鹿野郎だ。彼女の鈴を転がしたようなたおやかな声は、今でも鼓膜が忘れてくれない。彼女の呼ぶ「征十郎」は、世界一幸せな名前に思えた。

「征十郎」

幻聴だろうか。先ほどまで思い馳せていた声が直ぐ側で聞こえた気がした。これほどまでに彼女を欲してしまっているのだろうか。1年という時間は短いようで、長かったのだな。

「征十郎ってば」

瞑っていた目をぱっと開くと、視界いっぱいに広がるあの日の彼女。…彼女?小さくひっと悲鳴を上げるも、すぐさま平然を取り戻し思案する。待て待て、彼女はこの世には存在しないはずじゃ。じっと見つめれば、うっすらと彼女越しに彼女の眠る墓石が見える。つまりはなんだ、半透明なのだ。

「…名前か?」
「あれ、見える?見えちゃう?」

実態のない彼女はひらひらと目の前で舞う。彼女が元気だった頃と代わりのない姿だというのに。そっと手を伸ばせばすり抜ける体。苦笑いする彼女。ということは、やはり彼女は…

「幽霊、なのか」
「そうみたい」

生前の彼女ならば「てへぺろ」だとか冗談言って笑っていたところだろう。しかしながら、笑えない状況になってしまった。死してなお、自分の前に彼女がいるのだ。それも一年後の、今日という日に。触れないと分かっていているのに、思わず彼女の頭を撫でる。その行為にハッと目を大きくした彼女は嬉しそうな顔をする。

「死んでからも会いに来るなんて、本当に名前は僕が好きなんだな」
「そうだね。きっと死んじゃう時に征十郎のことで悔やんだことがあったから、未練が残っちゃったんだと思う」

未練、か。きっと彼女よりもそれの気持ちを抱えているのは自分だろう。もしかすると彼女を現世に留めているのも自分なのかもしれない。そんな事を考え、所在なさ気な足元の石を転がす。

「でもね、たぶん今日だけなの」
「なにがだ」
「征十郎に私が見えるの」
「…そうか」

たった一日の奇跡、というわけだ。まるで少女漫画みたいな話だ。だが、これに縋らないなんてもったいない話があってたまるもんか。今日は彼女の後悔を取り除く日にしようと告げると、彼女は生前と変わらない、ひまわりの様な笑顔を見せた。

* * *

24時間というのは人の一生に置いて、あっという間だと思う。入院続きでなかなか出来なかった水族館デートや、ひたすらぶらぶらするデートをやってみた。実体のない彼女が相手なので、傍から見たら、いい年した男性が独り言を呟きながら歩くという不気味極まりない光景だっただろう。そう思われているのではないかと彼女に伝えると、くつくつと楽しげに笑っていた。生前はこうして手を繋いで外を歩くなんて機会はあまりなく、繋いだ場所なんてほとんどが病室だったんじゃなかろうか。今も実体のない彼女の手が自分の手に重なっているように見えるだけで、どうにも繋いでいるとは言いがたいのだが。楽しい時間はすぎるのが本当にはやく、惜しまれる。夏は日が長いとはいえ、この時間になると太陽は隠れ、月明かりが街を照らす。人っ子ひとりいないこの空間には二人だけの静寂が訪れていた。

「はー、楽しかった」
「他にやりたいことはないのか?」
「えー?まだまだたくさんあるけどー…」
「けど?」
「時間は、無限じゃないから」

ああ、この顔は見覚えがある。この台詞も聞き覚えがある。死期を悟った彼女が見せていたものだ。つまり、もうお別れなのだろう。繋がれているはずの手をぎゅっと力がこもる。行くな、逝くな、なんて口が裂けても言えないのに。

「もっと…征十郎といたかったな…」
「…我侭を言うな」
「最後なのに」
「最後だなんて、決まったわけじゃないだろう」

眉を顰めて涙を堪え震える彼女がこんなにも愛しいのに。抱きしめてやれないのが悔やまれるのは、もう何度目だろうか。生前から指折り数えたら、両手じゃ収まりきれそうにないな。ぽたり、ぽたり。気づいた時には決壊してしまった涙のダムを拭えることは出来ないのに。空いている方の手でそっと目元をなぞる。ああ、触れない。

「また、はなれ、たく、ないよ」
「ダメだ」
「だめ、じゃな、い!」
「名前も言っていただろう?運命には逆らえない、と」
「こ、んな運命、なんて…くそ、く、らえだ…」

とうとうしゃくりあげて泣きだした。だが、もう彼女の涙を拭う術も止めてやる術もないのだ。小さくごめんと呟いたとき、彼女の体が少しずつ薄くなり始めたことに気づいた。

「…ほ、んとに、おわかれだあ」
「ああ」
「征十郎、は、寂し、くない?」
「…体が千切れそうになるほど寂しいさ」
「そっか…よかったあ…」

良かったなんて、不謹慎だね。心底安心したように笑ったくせに、そんな台詞を吐く彼女。残された者と残していった者。一体どちらがより寂しいのだろうか。考えたって仕方のない、答えもない、そんなどうしようもない事が頭を過ぎって苦笑。

「じゃあ、さよならだね」
「名前」
「なあに?」
「またねの挨拶がまだだぞ」
「え…?」

いつも彼女の病室を出るとき『また明日』という意味も込めて、キスを送っていた。いつの間にか別れ際の定番となっていた行為は彼女と二人だけの特別なものとなっていた。それを言葉に出したとき、彼女の目はまた大きく開かれたが、すぐに細められる。「そうだね」と笑った彼女の唇に目を閉じて口付ければ、感じることのないはずの温もりがあった気がして。すっと伝った涙はもうどちらのものなのか分からない。嗚呼、だから夏は嫌いなんだ。




「愛してるよ」目を開けた時にはもう彼女の姿は何処にもなかった。


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120727
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