― 春休み中の学生にとって、午前8時は早朝である。
両親が社員旅行に出掛けてしまった我が家、に響いたインターフォン。睡魔に勝てずに居留守を使おうとするも、呼び出し音は一向に鳴り止む気配がない。それどころか、訪問者のイライラを表すように、どんどん感覚が狭まってきている。…これは、出るしかなさそうだ。覚悟を決めて布団から足を出す。まだ春とは名ばかりで、ひんやりした空気とフローリングに思わず身震いをした。
近所迷惑ですよー、なんて思いながら開けた玄関の先には、非常に不機嫌な顔をした従兄の姿。格好的には…、出勤前らしい。まあ、もう8時だし…遅刻なのだろう。
「お、おはよう…テツ兄」
「おはようございます、愛美。随分早い起床ですね」
「学生だもの…早起きなんて、」
「寝言は寝て言いなさい」
ぴしゃりと言い放ちながら、思い切りチョップされる。朝から脳天に響いた強すぎる刺激に涙を浮かべていると、テツ兄の左下、私からみて右下から「だいじょうぶ?」聞きなれない声が聞こえた。驚きを隠せないまま、その声がした方へ視線を下げれば、そこには天使が、いた。
「え、テツ兄…いつの間に子供生んだの」
「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど…、ここまでとは」
「ひどい!」
「親戚のお子さんです。僕が保父ってのを聞いたらしくて、暫く家を空けるからって預けられたんですけど…生憎、僕は仕事ですし、園児じゃない子を連れて行くわけにもいかないですから」
「つまり、」
「すみません、今日だけでいいので愛美が預かってて下さい」
この男は何を笑顔で言い放っているのだろうか。じゃあ行ってきますじゃないよ。自己紹介はできますって、ちょっと。必要な荷物はこれに入ってますって、でかすぎやしませんか。
なーんて、心のなかでツッコんでいる間にテツ兄は出勤してしまって、残ったのは私とちっちゃな天使。先ほどまで繋いでいた手の主がいなくなってさぞ悲しんでいるんだろう。そう思ってしゃがみ込んだ私の頬に小さな衝撃が走った。
「なっ?!」
「きせりょーたです。4さいです。これはごあいさつです!」
「あ…、ども…」
なんてアメリカンな挨拶かましてくれるんだ、リョータくんとやら。小さな唇が触れた頬を押さえながら尻もちを付いた私に、目の前の小さな天使はひたすら笑顔を振りまいてくるのだった。
(121003)