TOD2 18th Anniversary | ナノ







「カイルー!?カイル!いつまで寝てんの!いい加減起きなさいっ!」


 母さんの怒鳴り声がする。いつもならくっついて離れない瞼をそのままにもう一度眠りについてしまうところだけど、今日はそんな気分にもなれなかった。ベッドの中でごろりと寝返りを打つ。布団を頭まで被って、寝てしまえ、寝てしまえと念じるのに、眠ってしまいたいときに限って睡魔は訪れない。溜め息。


「カイル!あんたね、いい加減に……って、何よ。起きてるんじゃないの」


 遂に部屋の中まで突撃してきた母さんにがばりと布団を剥ぎ取られる。その時しっかりと母さんの両目を見てしまったものだから、狸寝入りをすることはできなくなってしまった。母さんが驚いたような顔をする。フライパンをお玉で叩かれても起きないオレが、ここのところ毎日自力で起きているのだ。そりゃあこんな顔にもなるだろう。


「なあに、カイル。あんたもしかして、あたしに起こしてもらいたくてわざと寝たふりしてるんじゃないでしょうね」

「……そんなわけないだろ。おはよう、母さん」

「はい、おはよう。……起きてるならさっさと下に来なさい。朝ご飯が片付かないでしょ」


 母さんはよくロニがするように、オレの寝癖だらけの頭をぐしゃぐしゃと掻き回して、仕方なさそうな顔で笑う。母さんの言葉に、うん、と返して、オレは身体を起こした。それを見届けた母さんが部屋を出る。いつの間にか開けられたカーテンの向こうから日差しが降り注ぐ。痛いくらいに眩しいそれに目を細めて、オレは窓を開けた。
 ハロルドがイクシフォスラーを改造するとんてんかんという音が遠くから聞こえて、階下からはロニが母さんと話している声がした。屋上では真っ白なシーツが大きくはためいて、リアラが悲鳴のような声を上げている。それをからからと笑うナナリーの声。ふと窓の外を見ると、孤児院の隅の木陰で、ジューダスが本を読んでいた。
 タイムカプセルを埋めよう、とオレが提案してから、今日で七日目。約束の期間を前に、それぞれの『宝物』を探しに行った仲間たちはもうクレスタまで帰ってきていた。最初に帰ってきたのはジューダスだった。次はナナリー。ハロルドとロニが一緒に帰ってきたのが昨日の昼。そして最後のリアラが帰ってきたのが昨日の夜だった。みんなどんなものを持ってきたのかは教えてくれなかった。当日までのお楽しみだろ、とロニは笑うけれど、オレはそれどころではないのだ。何せ、タイムカプセルの中に入れる宝物を、オレは何も用意できていないのだから。


「なんだ、カイル。今日も辛気臭え顔してるな」

「……ロニ」


 これ以上部屋でぐだぐだしていると本格的に母さんに叱られてしまう。重い身体を引きずって階下へ下りると、母さんの手伝いをしているのだろうロニがテーブルにオレの分の朝食を並べてくれているところだった。おはよう、カイル。そう言ったロニに、おはよう、ロニ、と返事をする。そのオレの声にあまりに覇気がないからだろう。ロニは苦笑して、とりあえず朝飯を食え、とだけ言った。
 ふかふかのパンにコンソメスープ。サラダには珍しくトマトが乗っている。ウインナーにベーコンエッグ。二つの卵で作られたそれに瞬きをひとつ。卵が二つのベーコンエッグなんて滅多にないことだ。慌ててロニを見れば、ルーティさんには内緒だからな、とウインクをくれた。きっとロニが母さんには黙って卵を二つも使って作ってくれたのだろう。オレが気落ちしているものだから、見ていられなかったのかもしれない。


「まだ悩んでるのか?明日にはタイムカプセル埋めるんだろ?」

「うん、そうなんだけどさ……」


 自分で提案したにも関わらず、いざとなると何を埋めたらいいのかわからなかった。だからオレは今日までの六日間を孤児院でぼうっと過ごしてしまったのだ。何か思いついたら探しに行こう。そうやって、日がな一日机の前に座って外を眺めて。そうしていたらあっという間に昼が過ぎ、夜が来た。また明日考えよう、とベッドにもぐりこんで、次の朝が来て、その繰り返し。
 オレにとっての宝物ってなんだろう。未来に残したいものってなんだろう。考えて、考えて、それでもわからなくて。いっそ、絵本の中の子どもたちのように無邪気におもちゃを入れられればよかったのに。それもできない。これまでの旅を経験して、英雄になるんだと無邪気に孤児院を飛び出したあの頃のオレには、どうしても戻れそうになかった。


「ま、あと一日あるんだ。ギリギリまで悩んでもいいんじゃねえか?」


 もそもそとパンを齧るオレの隣に座って、ロニがそう言って笑う。そうだね、と答えた自分の声がひどく弱々しくて、ほんの少しだけうんざりしてしまった。ロニはさっき母さんがしたみたいに仕方なさそうに笑って席を立つ。食ったら洗い物しとけよ。そう言い残してロニは孤児院の外に出て行った。洗濯を終えてチビたちと遊び始めたナナリーの加勢に行ったようだった。そういえば、リアラの声がしない。どこに行ったのだろう。


「おはようカイル。まだ朝ご飯食べてるの?」


 どこに行ったのだろう、と考えていた張本人の声が後ろから聞こえて、思わず肩を跳ねさせた。そんなに驚かなくてもいいじゃない。くすくすと笑う楽しそうな声。リアラの声だった。


「おはよう、リアラ」

「うん、おはよう。ほら、早く食べないともうお昼になっちゃうわよ?」


 空になった洗濯籠を抱えたリアラは、そう言いながら階段を上がっていく。きっと屋上に干し切れなかった洗濯物を庭に干していたのだろう。チビたちの分とオレたちの分の着替えやシーツだ。屋上がいっぱいになってしまうのも無理はない。機嫌よく階段を上っていくリアラの後姿を何とはなしに眺める。これがずっと続けばいいのに。心の奥底から聞こえたその声に、そっと蓋をした。
 ナナリーとロニがチビたちと走り回る賑やかな声が聞こえた。きっとロニに捕まったのだろう、ジューダスの声も聞こえる。リアラが未だもそもそと朝食を食べるオレを横目に孤児院の外に出て、そんな三人の様子をころころと笑いながら見ていた。気がつけば裏庭から聞こえていたとんてんかんという音も聞こえなくなっている。代わりに、庭から派手な爆発音が聞こえた。おいハロルド!ロニの怒鳴り声がする。きっとハロルドがまた変な機械を作って庭に放ったに違いない。
 ロニと、ナナリーと、ジューダスと、ハロルドと、それからリアラの声が響く、なんでもない日常。旅の間は当たり前だったそれに、もうすぐ終わりが来てしまう。
 終わらなければいいのに、と思った。いつまでも神のたまごは現れなくて、神だとか聖女だとかと戦っているだなんて夢の話で、本当は、みんなみんなクレスタに住んでいる友達で、終わりなんて、別れなんて永遠に来なくて。


「カイル。食べるんだか泣くんだかどっちかにしなさいよ」


 横から伸びてきた手にぐいと頬を拭われる。ひんやりとした手。母さん、と言おうとして、すぐに違うことに気づいた。


「ナナリー」

「いつまで食べてるんだい。チビたちに絡まれてるジューダスが可哀想だと思うなら早く交代してあげな」


 オレが泣いている理由も聞かず、そう言ってオレの前にある空になった皿を持ち上げる。ざあざあと水の流れる音。流しの前に立つ後姿。皿を洗ってくれているのだ、と思い至ったのは、ナナリーが水を止めてからだった。そのままナナリーは再び外に出て行ってしまう。入れ替わるように孤児院の中に入ってきたのはハロルドだった。


「なに、あんたまだ食べてたの?もしかしてまだ寝てる?」

「起きてるよ。おはよう、ハロルド」

「おはようさん。ま、目が覚めてても意識が彼方にあるんじゃ寝てるのと同じだけどね」


 手慣れた様子で薬缶に水を入れて火にかける。その間にマグカップをひとつ手に取って、戸棚から母さんが愛用しているインスタントコーヒーの粉を取り出した。スプーンに掬って、それを二回。完全に沸騰する前に火を止めて、ほんのり湯気が立つくらいのお湯をマグカップに注いだ。コーヒーの香りがする。
 ハロルドはそのままオレの正面に腰掛けて、コーヒーを飲み始めた。本を読むでもなく、機械を触るでもなく、ただそこにいてぼんやりとコーヒーを啜っている。珍しい姿を見た。オレはようやくパンの最後の一口を食べ終えて、両手を揃えてごちそうさまでした、と言う。ハロルドはそれに、どういたしまして、とよくわからない返事をくれた。


「オレさ、今のこの時間が本当だったらいいなって思うんだ」

「今のこの時間って?」

「みんながここにいて、毎日揃ってご飯を食べて、おはようとかおやすみとか、いただきますとかごちそうさまとか、そんな挨拶を当たり前に交わせる毎日」


 朝目が覚めて、みんながいて、おはようと言って、おはようと返されて、朝ご飯を揃って食べて、剣の稽古をしたり、食料の調達に行ったり、勉強をしたり、ただ遊びに行ったり。リアラと一緒に街で開かれているお祭りに参加して、いろんなイベントごとを一緒に体験して、たまにはお金を稼ぐためにロニと魔物退治に出かけたりして。お昼ご飯を食べて、おやつにはジューダスの好きなプリンをナナリーが作ってくれる。ハロルドが作ったよくわからない薬を飲まされたロニをジューダスが笑って、オレは、ずっと、みんなと笑っていて。夜ご飯を食べて、みんなでトランプなんかしたりして。眠くなったらベッドに潜って、おやすみと言えば、おやすみと返ってきて。
 そんな毎日が、現実だったらいいのにと。毎日、毎日考える。


「そんなの、ただの夢ね」


 それが、ただの夢だって、ちゃんとわかっているけれど。


「ま、あんたがどれだけ悩もうとエルレインはこの世界に彗星を衝突させるし、今だって着々とその準備を整えている。現に、私の解析君二号はその兆候も検知してる。あと二、三日ってところよ。あと二、三日もすれば、……あんたが見てる夢の時間も終わる」

「うん」

「だからカイル。そうやって塞ぎ込んでる時間がもったいないわよ。ちゃんとやりたいことをやりなさい。後悔したくなければね」


 ハロルドはそう言ってマグカップを片手に席を立つ。マグカップを流しに置き去りにして外に出ようとした彼女は、何故だか呆れたように肩を竦めて、誰かの背中を蹴飛ばした。おい、と怒鳴り声が聞こえる。その怒鳴り声もどこ吹く風で、ハロルドは鼻歌を歌いながら裏庭の方へと向かっていった。
 背中を蹴り飛ばされた本人、ジューダスがぶつくさと文句を言いながらハロルドが置きっぱなしにしていた薬缶を再び火にかける。すぐに沸騰したそれに火を止めて、新しいマグカップにコーヒーの粉と砂糖とミルクをたっぷり入れてお湯を注いだ。甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「ハロルドの言う通りだな」


 先程までハロルドが座っていた席に腰掛けて、ジューダスがカフェオレを啜る。首を捻ったオレに、ジューダスは小さく笑った。


「どうした。らしくないぞ、カイル・デュナミス」


 お前の長所は、呆れるほどのお人好しさと、馬鹿みたいな真っ直ぐさと、愚かなほどに前しか見ないところだろう。ジューダスは楽しそうにそう言った。馬鹿とか愚かとか、聞き捨てならない言葉も聞こえた気がするけれど、それがジューダスなりの賛辞だということもきちんと理解している。出会ってから今まで。随分と長い時間。オレとジューダスは、そして、オレとみんなは、仲間だったのだから。


「過去をすべて捨てた僕でさえ、未来へ残したいものを見繕ってこれたんだ。お前になら簡単に見つけられるだろう?なにせお前は前しか見ていない。お前の思い描く未来に連れて行きたいものなど、すぐに思い浮かぶだろうに」


 オレが思い描く未来。そこに連れて行きたいもの。前ばっかり見てるオレが、オレの見ている前に、未来に、あってほしいもの。無くてはならないもの。未来に連れて行きたいほど、大切なもの。
 ぱあと視界が開ける心地がした。オレが大切だと思うもの。タイムカプセルに入れてでも未来へ持って行きたいものなんてひとつしかない。いいや、ひとつなんてそんな欲がないことはこの際言わないでおこう。あれも、これも、持って行きたい。連れて行きたい。忘れたくない。忘れてはならない。オレの大切なものは、ここにある。ここにある、すべてだ。


「ありがとう、ジューダス!」


 がたんと勢いをつけて椅子から立ち上がる。そうと決まれば早速行動だ。部屋に戻って、きっと引き出しの奥深くに眠っているだろうそれを引っ張り出して、それから、それから。


「あ!洗い物!」

「……忙しないやつだな。僕が洗っておいてやるからさっさと行け」

「ほんっとありがとう、ジューダス!」


 しっしと追い払うように手を振って、ジューダスが仮面の奥で小さく笑う。その笑みを忘れないように瞼に焼き付けた。オレの大切なもの。ひとつも取りこぼさず、未来へ連れて行く。


「あった!よかったー!さすがに捨てられてるかと思ったけど……っ」


 自分の部屋に駆け込んで、引き出しの中をひっくり返す。上から三段目の引き出しをひっくり返したところで目的のものを見つけた。それは、新品のノートだった。勉強用にと母さんが孤児院のみんなに買い与えてくれたものだったが、結局日の目を見ることなく引き出しの奥の奥に仕舞い込まれていたものだ。ようやく訪れた出番に、心なしかノートも輝いて見える。
 机の上にノートを広げて、鉛筆を握る。何から書こうか、悩んだのは一瞬だった。孤児院を飛び出してから今まで。体験した出来事、出会った人々、訪れた街。何があって、どこに行って、何をして、仲間たちとどんな会話をしたのか。あそこのご飯が美味しかった。十年後の未来ではこんなものがあった。改変された時代ではみんなが額にレンズを貼り付けてドームの中で暮らしていた。天地戦争時代は本当に雪に覆われていた。十八年前の騒乱の時代、ソーディアンを持って戦う父さんや母さんに会った。

 リアラと出会ってオレの英雄になるための旅が始まった。ロニは最初からずっとオレの傍でオレのことを守ってくれた。ジューダスは何だかんだと文句を言いながらオレにいろんなことを教えてくれる。ナナリーは母さんみたいで、特に怒鳴っている姿なんかは母さんそっくりで心臓が縮み上がりそうになる。ハロルドは実験と称していろんな悪戯を仕掛けてきて油断ならない。
 アイグレッテに行った。リーネ村にも、ノイシュタットにも行った。スノーフリアを経由してハイデルベルグにも行った。カルバレイスは砂漠ばっかりで暑かった。でもチェリクやホープタウンは活気のあるいい街だった。世界を巡った。時代を超えた。立ちはだかる困難を、そのすべてを、仲間たちと一緒に乗り越えてきた。


「……っ」


 頬にはとめどなく涙が伝う。オレの中から次々に溢れてくる思い出は、どれもこれも忘れたくなくて、大切なものだった。仲間たちと笑って、怒って、喧嘩して、また笑ったこの日々は、何にも代えがたいオレの、オレだけの宝物だ。そのすべてを、ひとつ残らず未来へ連れて行く。そう、決めた。
 胸が痛い。あと二、三日もすれば別れがやって来る。それでもこれはオレが決めたことだった。オレたちが決めて、選んだことだった。神を倒して、自分たちの手で未来を、幸福を掴み取ること。それを、オレたちみんなで選んだのだ。


「……できた……っ」


 だから、もう迷わない。もう悩まない。オレの長所は、呆れるほどのお人好しさと、馬鹿みたいな真っ直ぐさと、愚かなほどに前しか見ないところだと、ジューダスが言っていた。その通りだと思う。そして、それに付け加えるとすれば。オレは、きっとみんなが思っている以上に諦めが悪いということだ。
 新品同然だったノートは端がよれてしまっていた。力いっぱい鉛筆を握り締めた手は硬直して自分のものではないみたいだった。オレが机に齧り付いているのを見たチビたちが持ってきてくれた色鉛筆でノートの中は色彩に溢れている。まるでオレたちの旅のように、色とりどりの紙面。ぱらぱらと捲っていたそれを閉じる。オレは、この旅のすべてを、未来へ持って行くのだ。


「カイル?夕ご飯できたわよ」

「ありがとうリアラ!オレ、お腹ぺっこぺこだよ!」


 そっと扉を開けてオレに声を掛けてくれるリアラの横に並んだ。リアラは一瞬だけ驚いたように目を丸くしたけれど、すぐに力を抜いて安心したように笑ってくれた。その目の端に涙が浮かんでいたのは、きっと見間違いではないだろう。


「そりゃあそうよ。お昼ご飯まで抜いて机に齧り付いて。何してたの?」

「内緒!明日になったら教えるよ!」


 階下からはマーボーカレーのいい匂いがする。一週間ぶりのマーボーカレーだ。今日はわたしも手伝ったのよ、とリアラがはにかみながら教えてくれる。ますます食べるのが楽しみになって、オレは階段を駆け下りた。カイル!静かに下りてきなさいっていつも言ってるでしょ!すぐさまそうやって母さんに怒鳴られることになるのだけれど。
 食堂では既にみんなが椅子に座ってオレのことを待っていた。珍しくハロルドも揃っている。ほかほかと湯気を立てるマーボーカレーに腹の虫が大騒ぎ。それが聞こえたのだろうリアラが声を上げて笑って、気恥ずかしさに頭を掻いた。ひとつだけ空いている席。ロニが、ナナリーが、ジューダスが、ハロルドが、そしてリアラが。早くここに座れとオレを見ている。


「さ、召し上がれ」


 オレが席に座ったのを見計らって、母さんがそう言った。両手を合わせて、目の前のマーボーカレーに頭を下げる。


「いただきます!」


 六人分重なったその声も、きちんと未来へと連れて行こうと改めて誓いながら。オレは大好物のマーボーカレーをスプーンで山盛りに掬って、口の中に放り込むのだった。




千万人と雖も吾往かん




20201103


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