TOD2 18th Anniversary | ナノ







 クレスタを出てアイグレッテへ。そこから船でチェリクを目指す。チェリクからは陸路だ。じりじりと照り付ける太陽の熱線が少し懐かしい。ついこの間、十年後のカルバレイスを訪れたばかりだと言うのに、そう感じてしまうのは久しぶりにこの砂漠の中を一人で歩いているからだろう。
 カイルが言い出したタイムカプセルを埋めようという話。実は少しわくわくしていた。子どもの頃は自分やルーが生きることで精一杯でそんな子どもがやるような遊びをほとんどしたことがなかったのだ。弓が扱えるような年齢になれば狩りに出て、帰ってきたら自分より幼い村の子どもたちの面倒を見て、掃除をして、洗濯をして、食事を作って、時間が空けば繕い物をして。そうやっていれば一日なんてあっという間に過ぎていく。遊んでいる時間なんてほとんどなかった。もちろん、それを不幸だと思ったことはない。


「……ホープタウンだ」


 砂漠を抜け、こぢんまりとした集落に到着する。ホープタウンだ。十年前と言えど、自分が暮らしていた街並みからそう変わらず、自分の時代に戻って来たのではないかと錯覚しそうになる。人々の顔を見ればすぐにそれが錯覚だとわかるけれど、それでもやっぱり長年暮らしてきた場所へ帰ってきた安心感は本物だと思った。
 十年前のホープタウン。ここにはこの時代のあたしとルーがいて、正確な時間はわからないけれど、きっとルーはまだ生きているだろう。病気で苦しむルーに何もしてあげられないと泣いてばかりだった小さなあたし。ルーの前でだけは泣くまいと懸命に涙をこらえていたけれど、賢かったルーにはお見通しだったのだろうと、ルーが死んでから思った。
 人間らしく生きたいと二人で選んでここへ来た。何度も何度も、死にたくなるほど後悔したこともあったけれど、あたしたちが選んだ道は正しかったと今もきちんと思っている。ただ、やっぱり、何年経っても思ってしまう。もう一度、ルーに会えたら。そう、考えてしまう。


「さて、あの花は咲いてるかな」


 しばらく思い耽っていたが、今日はこの時代のあたしたちに会いにここまでやってきたわけではない。タイムカプセルに入れるものは、自分が大切にしていたものなのだそうだ。カイルがリアラに渡していた絵本には、子どもたちが自分の一番の宝物を持ち寄ってクッキーの缶に詰めていた。十年後、また開けたときにすぐに当時のことを思い出せるように。その時の自分が一番大切だと思っているものを入れるのだとカイルは言っていた。
 あたしの大切なものは全部十年後の未来にある。今から十年後の未来へ移動して宝物を取りに行くことはできない。リアラに頼めばもしかしたら連れて行ってくれるのかもしれないけれど、十年後のものを持ち帰って十年前のこの時代で埋めて、また何年後かに取り出すなんておかしな話だと思ったから頼むのはやめた。この時代で見つけられるものにして、何年後かの未来、みんなでそれを取り出すのだ。今、この時代で確かに生きている『あたし』の宝物として。
 ホープタウンをのんびり歩く。他所から来たあたしに対する視線は冷たいものが多かったけれど、あたしの姿を見て首を捻る人も何人かいた。それはそうだろう。ついこの間、弟と一緒にこの街へやって来た子どもと瓜二つな顔や姿。さすがに同一人物だとは思いもしないだろうが、あの姉弟の家族なんじゃないかくらいは考えていてもおかしくない。声を掛けられたら否定すればいいだけの話だ。あたしは、あたしに向かって飛んでくる無数の視線を知らんふりして、ホープタウンの中を歩き回った。


「ルー!大丈夫!?」


 そんな折だった。建物の陰になっている場所から、甲高い声。聞き間違えるはずがない。それは、あたしの声だった。


「ほら、お水飲んで。ゆっくりだよ。そしたら、姉ちゃんがおぶってあげるから」

「だいじょうぶだよ、姉ちゃん。ボク、ちゃんと歩けるから」

「大丈夫なもんか!そんなフラフラで……っ!」


 目の奥がつんと痛む。ああ、これは、覚えている。久しぶりに朝からルーの体調がよくて、だったら一緒に散歩に行こうとルーを連れてホープタウンの中を歩いていたのだ。だけどルーの体調はどんどん悪化して、すぐに家へ引き返そうとしたけど、その時にはもうルーは歩けないくらいに体力を使い果たしていて。歩けなくなったルーを背負って家まで帰った。
 ルーはその後、三日三晩高熱で魘されていた。姉ちゃん、姉ちゃんとあたしを呼んで。あたしは泣きながらルーの看病をしたのだ。近所の人たちが持ってきてくれた薬を飲ませてもルーの熱は下がらない。看病を代わってあげると声を掛けてくれる大人たちの言葉を突っぱねて、あたしのせいだ、あたしのせいだ、とひたすらに自分を責めるだけだった時間。覚えている。忘れるはずがない。
 あの時、周りの大人たちは何度も手を差し伸べてくれていた。だけどその手の掴み方を知らなかったあたしは、自分一人でなんとかしなければと、そう思っていたのだ。今思えば、あの時、一人でエルレインのところへと行ってしまったリアラも同じ気持ちだったのだろう。頼り方も、寄り掛かり方も、手の掴み方すらわからなくて、ひとりぼっちだと思い込んで、何も見えなくなっていて。


「……どうしたんだい?」


 放っておけるはずがなかった。ジューダス辺りにばれたら歴史の改変だとこっぴどく怒られるだろうけど、幸いなことに今日はあたしひとりだ。大きく歴史を変えるようなことはできない。今ここに居るあたしがどうなるかわからない以上、過去のあたしの人生や運命を変えるようなことはやってはならないのだ。神は目前。そんなところで離脱するなんて、死んでもごめんだった。


「なんでもない。放っておいて」


 突然声を掛けたあたしを、幼いあたしは警戒心剥き出しの目で睨んできた。腕の中でぜえぜえと荒い呼吸をするルー。腕の中の弟とほとんど変わらない体格で、弟を庇うように立ちはだかる幼いあたし。ああ、あたしは必死だったんだ。思い出して、笑う。ルーを、たったひとりの弟を、守りたくて、失いたくなくて、必死だった。必死に、生きていた。


「なんでもないわけないだろ。ル、……その子、具合が悪いんだろ?家まで送っていくから」

「放っておいてってば!ルーは、あたしが守るんだから!」

「はいはい、言ってなさいよ。でも、あんたがそうやって意地を張っている間にその子はどんどん具合を悪くするだろうね。今はそんなくだらない意地を張るより、その子を一刻も早く涼しいところで休ませるのが先決なんじゃないのかい?」


 少し大人げない言い方だとは思う。だけど、目の前の少女はどこまでもあたしだ。あたしなら下手な言葉を掛けられると意地を張り続けるし、同情されると噛みつきたくなる。だから、敢えて淡々と事実を述べて、判断させるのだ。そうすれば、ほら。腕の中の弟を連れて立ち上がる。
 その小さな背中に弟を背負って一歩ずつゆっくりと歩き出す。姉ちゃん、とうわごとのように繰り返すルーの頭をそっと撫でて、あたしはその小さな背中からルーを抱え上げた。驚いたように振り返る小さなあたし。あたしは片手でルーを抱えて、もう片方の手であたしの腕を引いた。何か言いたげに見上げてくる視線は無視しておいた。そうすれば小さなあたしは何も言うことはできないと、あたしは知っていた。


「ほら。家、ここだろ?早く休ませてあげな」

「……うん」


 見慣れた自分の家。その入り口を遠慮なく開けて、あたしはルーを小さなあたしの腕の中に戻す。小さなあたしはルーを抱えながら、ゆっくりゆっくり、階下のベッドへと歩いていく。それを見届けて、あたしは持ってきた鞄の中を見つめた。小さな薬瓶がいくつか、雑に放り込まれた鞄。解熱剤だった。
 これを飲ませたところでルーの病気は治らない。一時的に症状が緩和されるだけだ。ルーが死ぬ未来は変わらない。小さなあたしは何度も何度も泣くだろう。何年経ってもルーのことを忘れることができず、何度も後悔して、何度もやり直したいと願って、その度に、これがあたしとルーが選んだ道なのだと言い聞かせて生きるのだ。
 命の大事さも、大好きな人を守ろうとする意志も、全部、ルーから貰ったものだから。


「さて、と」


 台所へ向かって戸棚を開ける。僅かばかりの食材と水、香辛料。自給自足が原則のこの街で、幼い子どもが二人で生きるのは並大抵のことではなかった。それでもあたしたちが生きていけたのは、常に誰かに支えられていたからだった。その『誰か』が、未来の自分自身でも変わるまい。あたしは受けた優しさを返せる人間でありたいと、ずっとそう思っているのだから。その返す相手が過去の自分自身だとしても、それだって何も変わらないのだ。
 食材を取り出して、包丁とまな板を並べる。鍋にライスを入れて、煮込む間に野菜を刻む。保冷室に入れてあったほんの僅かな肉を細かく切って、それらを鍋の中へと放り込む。味付けはシンプルに。塩と、少しの香辛料。そういえば、ルーは辛いのが苦手だったっけ。ちょっとでも香辛料を入れすぎると、頬を膨らませて怒ったものだ。その可愛らしい顔を思い出して小さく笑う。ああ、あたしは間違いなく幸せだったんだ。ルーと一緒に生きた時間。そのすべてが、あたしの幸せだった。


「……なに、してるの?」

「見てわからないのかい?ご飯を作ってるんだよ」

「それはわかるけど、」


 ルーを寝かしつけてきたのだろう。ひょっこりと顔を覗かせた小さなあたしが、訝しげにあたしのことを見ていた。あたしはそんな小さなあたしに苦笑しながら、ちょいちょいと手招きをする。随分と警戒心は解けたらしい。歩み寄ってくるあたしに味見用の小皿を渡して、味見をするように言った。
 小皿を口元につけたあたしは少しだけ目を見開くと、息を吹きかけて皿の中のスープを冷ます。ほどよく冷めたそのスープを一気に呷って、ぱあと顔を綻ばせた。


「おいしい!」

「だろ?料理の腕には自信があるんだ。ちょっと薄味にしてあるから、あの子も食べられると思うよ」


 火を止めて、器に雑炊を入れる。はい、と手渡したそれを、小さなあたしがじっと見つめる。そうして、両の目からぼろぼろと涙を落とした。あたしはその涙を拭うでもなく、ただそっと、その顔を胸に抱えてやった。あたしが泣いたとき、どこかの馬鹿がやってくれたのと同じように。


「これから先、あんたにはつらいことも悲しいことも、たくさん、たくさん待ってると思う。だけど、自分の選択が間違ってただなんて思っちゃいけないよ。後悔はしたっていい。後悔だってあたしが、……あんたが生きた証だから」


 取り返しようの無い過ちも、数え切れないほどの後悔も、そのすべてがあたしたちの生きた証なんだと、あたしは仲間から教わった。あたしの後悔を受け入れて、その上で、あたしの選んだ道は間違っていなかったと言ってくれる仲間たちと出会えた。だから、あたしは自信を持って小さなあたしに言える。


「自分の心を信じて、あんたとあの子、お互いを信じて、それから、この先に出会う仲間を信じて、しっかり前を見て生きるんだ。あたしとの約束」


 今、あたしは幸せだから。この先、どれだけ深く悔やんだとしても、それでもあたしの選んだ道は間違ってはいなかったよ、と。


「……これ、あの子に飲ませてあげな。ただの解熱剤だけど、無いよりはマシだろ?」


 鞄の中から解熱剤を取り出して、小さなあたしに握らせた。薬の名前を見て、小さなあたしは目を瞠る。この薬がどれほど高価なものなのか、小さなあたしは知っている。ルーのためにありとあらゆる薬について調べたのだから当然だ。受け取れない、と首を振る小さなあたしの頭を撫でて、いいんだよ、と笑う。いいんだよ、その薬は、あんたとルーのために持ってきたんだから。


「ちょっと待ってて!」


 そう言った小さなあたしは、薬を机の上に置いて弾丸のように飛び出していった。さすがに行き先まではわからないけれど、しばらくすれば戻ってくるだろう。あたしはタオルを水に浸してルーのいる部屋へと向かう。すうすうと穏やかな寝息。外にいたときよりも顔色は良さそうだ。額に浮かぶ汗を濡れたタオルで拭う。
 可愛いかわいい、あたしの弟。どうか、その命が終わる日まで、あんたが幸せでありますように、と。願いを込めて。


「……ナナリーねえちゃん?」


 うっすらと開いた目。その目に映るのはあたしだった。目の奥が痛む。浮かぶ涙を必死に堪えて、あたしはできるだけ優しい声で、どうしたんだい、と応えた。ルーは小さく笑うと、もう一度、ナナリー姉ちゃん、と呼ぶ。あたしはそれに、うん、と返事をする。たったそれだけの、だけどこれ以上ないほどの、幸せだった。


「ほら、ルー。まだ寝てなきゃ。ルーの好きな雑炊を作ってあげたからね。あとで温めて食べるんだよ」

「……ありがとう、ナナリー姉ちゃん」

「……あたしの方こそ、ありがとう。大好きだよ、ルー」


 あたしの言葉に安心したように笑って、ルーは目を閉じる。再び聞こえてくる穏やかな寝息を聞きながら、あたしは堪えきれず落ちてしまった涙を慌てて拭った。ルーの前では泣かないって、決めたから。


「お姉ちゃん!」


 これ以上ここにいてはいけないと、最後にもう一度ルーの頭を撫でて立ち上がった時だった。小さな、それでもはっきりと聞こえる声であたしを呼んだのは、小さなあたしだった。手には真っ赤な花束。その花は、あたしが持ち帰ろうと思っていたものだった。小さなあたしはにっこりと笑う。笑って、花束をあたしの手に握らせた。


「これ、お礼!きれいな花でしょ?あたし、この花が大好きなんだ」


 真っ赤な花。あたしは、この花が大好きだった。砂漠でもたくましく咲く花。この花みたいに強く生きたいと思っていた。そして、大好きな理由が、もうひとつ。


「ルーがね、姉ちゃんみたいな花だねって言ってくれたから!」


 最初にこの花を見つけたのはルーだった。姉ちゃん、見て見て!まだ元気だったルーの声が、脳裏に響く。砂漠の暑さにも、ほとんど水がない環境にも負けることなく、しゃんと背筋を伸ばして生きる花。真っ赤な花弁を大輪にして、太陽に向かって生きる花。その姿を見て、ルーは、あたしみたいな花だねと、笑ってくれたから。
 あたしは小さなあたしを抱き締めた。ありがとう、と囁くと、こちらこそ、と小さなあたしがあたしの背中を摩る。溢れてしまいそうな嗚咽を、涙を、花束に隠して。あたしは今度こそ立ち上がる。


「じゃあね。姉弟仲良く生きるんだよ!」

「うん!もちろん!」


 手を振って、家を出た。カルバレイスの上空で照り付ける太陽は、痛いほどの日差しを容赦なく浴びせてくる。だけど、今はその日差しがありがたかった。誰かに見られる前に、とめどなく落ちる涙を乾かしてくれるから。




渇いた砂漠にひとしずく




20201102


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -