TOD2 18th Anniversary | ナノ






 朝、目を覚まして、朝食のにおいに釣られるようにして階下に下りる。そこにはルーティさんがいて、俺が声を掛ける前に、おはようロニ、と笑顔を向けてくれた。俺はその声に、おはようございますルーティさん、と答えて、彼女の隣に立った。ルーティさんはフライパンで目玉焼きを作りながら、合間を見て器用にコーヒーを淹れている。手伝います、と言おうとした声は、ルーティさんが差し出したマグカップによって遮られた。どうやらコーヒーは俺のために淹れてくれていたようだ。有難くいただいて椅子に座る。


「あんたたち、今日からみんな出かけるんでしょ?しばらくはご飯いらないのよね?」

「ああ、はい。カイルの思い付きに付き合ってやることになったんで」

「あはは。あの子、また突拍子もないこと言ったんでしょう。悪いわね、いつも付き合わせちゃって」

「いや、俺が何でも付き合ってやるって言ったんですよ」


 朝食の用意ができたのだろうルーティさんは片手にマグカップを持って俺の前に座った。中身は俺と同じコーヒーだろう。ミルクを少し垂らしているのがルーティさんらしい。幼い頃、朝早く起きるといつもこうやってルーティさんが一人でコーヒーを飲んでいた。その姿がひどく格好良く見えて、俺も早くルーティさんとコーヒーを飲むのだと、苦いのを我慢して無理に飲んでいたことを思い出す。ルーティさんも同じことを思い出していたのだろう、ロニもいつの間にかコーヒー飲めるようになったのね、と目を細めて俺のことを見ていた。


「で、ロニはどこに行くの?」


 カイルの突拍子もない思い付きの内容がタイムカプセルを埋めることだと知っているのだろう。それから、各々タイムカプセルに入れる物を持ち寄るために出かけることも。俺は苦笑しながらコーヒーを啜る。舌の上に痺れるような苦みがあって、いつからその苦みが苦じゃなくなったのだろうとふと考えた。


「俺はアイグレッテに行こうと思ってます。……神団の宿舎に忘れ物してきたんで、取りに行こうと思って」


 アタモニ神団の騎士になるのだと言って孤児院を出たとき、ここから持って行ったいくつかのもの。それらは宿舎に置き去りにしたままだった。神団を追われる身となってしばらく経つから、もう残ってはいないかもしれない。けれど、もし残っているのならば。できれば旅の最後を見守ってほしいと、そう思う。


「そっか。お土産、期待してるわよ!」

「はは、了解です」


 ルーティさんは一気にコーヒーを飲み干して席を立つ。朝日が窓から差し込んできた。そろそろチビたちを起こす時間だ。手伝いましょうか、もう一度言った言葉は今度はきちんとルーティさんに届いたようで、ルーティさんは眉を下げて笑った。いいから、チビたちに捕まる前に行きなさい。確かに、チビたちに捕まったらいつ出発できるかわからない。お言葉に甘えることにして、足元に置いていた荷物を背負った。空になったマグカップを洗って、ルーティさんに手渡す。


「いってきます、ルーティさん」

「はい、いってらっしゃい!」


 背中を平手でばしんと叩かれ、踏鞴を踏む。じんじんと痛むそれはルーティさんなりの愛情だと知っているから、文句なんか出てこない。もう一度、いってきます、と囁いて、孤児院の外に出た。青い空が瞼を突き刺す。ああ、今日もいい天気だ。
 アイグレッテまでは徒歩で移動だ。ダリルシェイドを通り過ぎて、ハーメンツバレーへ。初めてカイルと通ったときは事故か故意か、橋は落ちてしまっていたけれど、今はもう新しい橋が架かっている。いつの間に工事をしたのだろう。もしかしたらエルレインが奇跡の力で修復したのかもしれないけれど、この短期間で人の手によって橋を復旧したのだとしたら、やはり人間の持つ力は大したものだと思うのだ。


「……アイグレッテも随分久しぶりに来る気がするな」


 ハーメンツバレーを通り抜け、アイグレッテへと踏み入れる。グランドバザールは相変わらず雑多に賑わいを見せていた。神団にいた頃は仕事終わりに仲間たちとここで買い食いしていたこともある。なんだかんだと長い時間をこのアイグレッテで過ごしていた。けれど俺には、神団よりも家族の方が大切だった。だからこんなにも呆気なく、神団の騎士としての自分を捨てることができたのだ。
 誰かを、家族を守れる人間になりたかった。もう二度と、自分の目の前で大切な人を失いたくなかった。だから武器を手に取った。力を得るために騎士になる道を選んだ。本当に力を得られたのかはわからない。得た力が、本当に自分が欲しかったものなのかも。その力を使って、本当に大切な人を守れているのかも、俺にはわからなかった。
 それでも俺は、俺を守ってくれたスタンさんやルーティさんのために、俺を許して認めてくれたカイルに報いるために、前に進むと決めた自分のために、強くなることを選んだ。わからないなりに答えを出そうと藻掻いている。この世界を、未来を生きることを望んでいる。そのためなら、神に抗うことさえも厭わなかった。


「ロニ、か?」


 グランドバザールの隅。よく神団の仲間たちと訪れていたそこの前を通りがかったとき、名を呼ばれた。低く、厚みのある声。振り返れば、壮年の男性が背をしゃんと伸ばしてそこに立っていた。


「……お久しぶりです、隊長」


 男性は神団にいた頃に所属していた隊の隊長だった。入団したばかりの俺の面倒をよく見てくれた恩人。そういえば隊長にも何も言えていないままだった、と苦笑していると、隊長は俺の胸倉を掴んで鋭い目線で俺を睨み付けた。


「お前、仕事ほっぽって今までどこに行ってやがった。神団が回収しようとしたレンズを壊して追放されたとかいう噂もあったが、事実なのか?いいや、そんなことはどうでもいいな。どの面下げてアイグレッテに戻ってきやがったんだ、ロニ・デュナミス」


 捲し立てるような声と、胸倉を掴まれている圧迫感で、隊長の問いに言葉が返せない。息苦しくなって隊長の腕をばんばんと叩く。隊長は俺を睨んだまま手を緩めてくれた。大きく息を吸って、吐く。喧嘩か、とざわつく周囲の人々に何でもないとアピールしながら、俺は隊長の目を正面から覗き込んだ。


「連絡できずすみません。ちょっと、家族といろいろありまして。今日は正式に神団を辞める挨拶と、残ってるなら俺の荷物を回収させてもらおうと思って来たんです」


 まさか弟分の冒険ごっこに付き合っていたらいつの間にか時空を超えての旅になり、気がついたら神団の聖女や神と喧嘩をしていて、これから神を倒しに行くんです、なんて荒唐無稽な話をできるはずもなく。俺は苦く笑いながら誤魔化した。もちろん、隊長がこんな薄っぺらい言葉で誤魔化されるとは思っていない。何せ、今まで何十人という騎士を育ててきた人なのだ。けれどきっと隊長は俺が本当のことを話せないでいることもわかった上で、俺の話を聞いてくれる。
 隊長はしばらく俺のことをじっと見ていたが、やがて胸倉から手を放してくれた。重い重い溜め息をひとつ。くるりと踵を返す。


「お前の部屋はもうねえよ。毎日毎日、神団の騎士になりたいってやつが山ほど入団してくるんだ。行方不明の奴のために部屋なんか残してられるか」

「じゃあ、俺の荷物ももう捨てられてますかね……」

「……戻ってくるかもしれねえ奴の私物を勝手に捨てるほど、神団は落ちぶれちゃいねえよ」


 お前の荷物は俺が引き取ってる。ぶっきらぼうにそう言って、隊長はすたすたと歩き出した。これは付いてこい、ということだろう。荷物が残っていたことに安堵しつつ、隊長の恩情に感謝する。きっと、俺が神団を裏切ったという話は隊長にも届いているはずだ。それでも俺が戻る可能性を信じて、荷物を預かってくれていた。俺のことを信じてくれる人はここにもいたのだと、今更そんなことに気づいて。俺は、どれだけ視野が狭かったのだ。そうやってぎりりと痛む胸に、気づかないふりをした。


「随分長い間、神団にいた気がするのにな。お前の私物はたったのそれだけか」


 隊長に連れられて宿舎へ向かう。俺の姿を見てひそひそと何事かを囁く人々はいたけれど、隊長が一睨みすると蜘蛛の子を散らすようにその場から立ち去っていった。そうやって辿り着いた隊長の部屋の隅。一抱え程の籠の中に入れられていたのは、確かに俺が孤児院から持ってきた物たちだった。
 たったのそれだけ。隊長がそう言うのも無理はない。着替えと数冊の本。万が一の時のために財布とは別に置いておいたガルドが幾許か。武器の手入れをするための油と布、それから、一本の短剣。俺が孤児院から持ってきたのはそれだけで、神団で過ごした数年の間、それ以外は必要としなかった。あの頃の俺は罪悪感でいっぱいで、それ以外を考える余裕など、なかったから。


「ありがとうございました、隊長。……ちゃんと、残ってて、よかった……」


 荷物の一番上にそっと置かれた短剣を手に取った。何の変哲もないその短剣は、然して、俺の中で最も大切なものだった。


「お守りなんだったか?」


 短剣を大事に大事に抱き抱えて細く息を吐いた俺に、隊長がそう問い掛ける。俺はその問いに頷いて、短剣を鞘から抜いた。ぼろぼろに刃こぼれして、武器としてはきっともう使えない。俺が貰った時には既にこういう状態だった。刃こぼれしているのではなく、わざと刃を潰してあるのだと気づいたのは、いつだっただろう。


「はい。俺の父親代わりの人から貰ったんです」


 いいか、ロニ。いつかこの剣を扱えるくらいに大きくなった時、ロニの持つ強さで孤児院のみんなや、ルーティや、カイルを守ってやってくれ。お前だけが頼りなんだ。だから、家族みんなのこと、お前に任せる。頼んだぞ、ロニ。
 声がよみがえる。空が青い日だっただろうか。曇っていただろうか。雨が降っていたかもしれない。もう思い出せないくらいの遠い日の、鮮烈に焼き付いた金色の光。大きくて温かい手に頭を撫でられながら、この短剣を渡された、いつかの誕生日。俺が彼らを守るのだと、誓いを立てたその日のこと。俺はその人の言葉に、何と返しただろうか。思い出すことを拒んでいたその言葉を、今になって思い出す。


「家族のことを頼む、って言われて、俺はそれに、任せておけって胸を張って答えたんです。でも結局俺は家族のことを守れなくて、だから今度こそ守りたくて、守る力が欲しくて、ここへ来ました。ここを出てからも、あの人から任された家族を守らなきゃって必死で、そりゃあ過保護だって言われもしますよね。あいつのことは俺が守らなきゃって、そればっかりで。……あいつの成長を妨げていたのは、俺だった」


 あいつは、カイルは。俺の手を借りなくても前に進んで、いつの間にか自分の道を自分で選ぶことができるようになっていた。大切な人を作って、守りたいと、守るんだと必死になって、どんな壁が立ちはだかっても乗り越えて、諦めることなく前に進んでいく。転んだってひとりで立ち上がれる。強く、真っ直ぐな、俺の憧れたあの人みたいな、或いはそれ以上に燦燦と輝く、格好いい男になっていた。
 置いていかれたようで不安だった。俺の存在意義がなくなっていくようで。カイルが真実を知ったとき、許されるかわからず恐ろしかった。だから殊更に、危険から遠ざけた。俺がカイルを守っているのだと、約束も、誓いも、果たせているのだと、言い聞かせていなければ、罪悪感に潰されてしまいそうだったから。


「でも、あいつは、そんなぐちゃぐちゃな俺でも傍にいていいって言うんですよ。一緒にいてくれてありがとうって言うんです。馬鹿ですよね。あいつの大切な人を奪ったのは俺だっていうのに、あいつは簡単に俺を許しちまう。だから俺は、決めたんです」


 カイルの意志を尊重すること。カイルの選択に従うこと。カイルの支えになること。盾になるために前を歩くでもなく、負い目から後ろを歩くでもなく。ただ、俺を許し、認めてくれたカイルの友として、隣に立って、並んで歩くこと。どこまでも、彼と並んで歩くこと。決めて、新たな誓いとした。カイルはもう、守られるだけの子どもではないのだから。


「隊長、俺は行きます。神団に戻るよりもやらなきゃいけないことがあるんです」

「……それは、お前にしかできない、お前が選んだことなのか?」

「はい。俺にしかできない、俺が選んだことです」


 隊長がふと頬を緩めた。もう随分と長い間隊長の下で働いていたけれど、初めて見る笑顔だった。まるで、親が子を見守るようなそれに、胸があたたかくなって、ぼろぼろと涙が落ちた。みっともない顔するな、と豪快に笑う隊長に、精一杯の感謝を込めて頭を下げる。俺は、いつからかひとりで何もかもを背負って生きてきたつもりでいたけれど、俺のまわりにはこんなにも俺を支えてくれた人がいた。そんな当たり前のことに、やっと気づけた。


「行ってこい、ロニ・デュナミス!」

「はい、いってきます!」


 スタンさん。胸に抱えた短剣に向かって語り掛けた。スタンさん、聞いてください。俺、やっとスタンさんに一歩近づけたような気がするんです。やっと、『強さ』って何なのか、わかった気がするんです。
 自分と相手を信じ続けるんだ。時には裏切られたり、悲しい目にあったりするかもしれない。それでも、相手を信じ、相手を信じた自分を信じるんだ。そうしたら、最後はきっとうまくいく。いつかスタンさんは俺にそう教えてくれましたよね。その言葉の意味が、やっと、わかった気がするんです。
 だから俺はカイルを信じる。カイルを信じた自分自身を信じる。信じ続ける。その先に、俺たちの未来があると、信じている。


「だから、スタンさん。一緒に見守っててください」


 カイルの選択を。俺たちの行く末を。手に入れた未来を。どこか遠くから、見守っていて。
 短剣を握り締める。誓いの証であるそれを、強く強く、握り締めて。未来への一歩を、歩き出した。




果ては遠く、霞の向こう




20201102


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