姉と弟と弟の話
ねえ。ねえちょっと。聞いてんの。ちょっと。無視すんじゃないわよ。もしかして耳付いてないわけ? じゃあその仮面の下には一体何があるってのよ。ちょっと。何とか言いなさいよ。ねえったら。
「……まさかとは思うが、僕に話しかけているのか?」
「あんた以外に誰がいるってのよ」
よかった、耳は付いてたみたいね。背後から一方的に投げつけられる言葉たちに観念して返事をする。振り返って睨みつければ、まるで呪詛のように僕に話しかけ続けていた女がそう言ってにんまりと笑った。溜め息をつきたくなるがぐっと我慢する。この女、ターゲットを決めたとあらば何がなんでも手に入れる強欲の権化である。恐らく暇潰しにでも僕を揶揄おうというのだろう。その手には乗らない。
「ねえ、あんたさ。今日暇でしょ? ちょっと付き合ってよ」
「断る」
「いいじゃない、少しくらい! あたしは暇なのよ! 暇なら暇でこの時間を有効活用したいの! ちょーっと外に出てちょーっとモンスターでも狩ってちょーっとガルド稼ぎするだけだから!」
「お前の少しほど信用できないものはない」
「あら、随分とあたしのことをよくわかってるみたいね」
ぐう、と言葉に詰まる。女はけろりとした顔で言ってのけるが、僕になんと答えろと言うのだろう。女は僕が言葉に詰まったことに目敏く気づいてやはりにんまりと意地の悪い顔で笑う。ねえねえ、どうなのよ。女はやけに愉快そうで、僕は心の底からこの女と関わり合いたくないと思っていた。
何が気に入ったのだろう。最近この女はやたらと僕に構いたがる。お前のところにも似たような奴がいるのだからそちらを構ったらどうだ。そうやって遠回しに僕と同じ顔をしたあいつを売ろうとしても、あいつはいつでも構えるからいいのよ、などと宣うのだ。そんなとき、女はいつも以上に上機嫌で、僕はそんな女に勝てた試しがない。現時点で全敗である。
「……残念ながら僕は忙しいんだ。他を当たれ」
「カイルとリアラが、あんたは今日一日空いてますって元気よく教えてくれたけど?」
「あいつらが勘違いしているだけだ。僕は忙しい」
「じゃあこの後は何するって言うのよ」
「そ、れは……っ!」
再び言葉に詰まった僕を、女は呆れたように肩を竦めながら見ていた。あんた、嘘つくの下手くそよねえ。しみじみ憐れむようなその態度に僕は踵を返す。これ以上会話を重ねてぼろを出すくらいならばさっさと逃げてしまった方がいい。足早に女の横を通り抜けようとして、ぐん、と首が締まる感触に慌てて足を止めた。
「殺す気かっ!」
「まだ話は終わってないっての」
「だからといってマントを掴むな! 引っ張るな! 危うく窒息するところだったぞ!」
「なによ、生きてるんだからいいじゃない」
「お、前は……っ! おい! 人の話を聞け!」
僕の文句などお構いなしに、女は僕のマントを握ったままぐいぐいと歩き出す。僕はそれに引き摺られるようにして女の後に続く羽目になった。そうでもしなければ女の手によって絞め殺されてしまう。
女が向かった先はアジトの玄関口で、先程から女が言うようにモンスター退治だかガルド稼ぎだかに付き合わせるつもりなのだろう。断固拒否である。一度だけ情に流されて付き合ったことがあるが、もう二度と付き合うかと思うほどに疲れ果てたことを思い出した。柄にもなく身震いする。勘弁しろ、と泣き言が零れた。僕の声が聞こえていないはずがない女は、それでも僕のマントを引く手を離そうとはしなかった。
「あ、いたいた!」
「お前、人を待たせてどこ、へ……」
「…………」
玄関口を出てすぐのこと。木に寄りかかっていた人間がその陰から姿を現した。そいつと僕の目がしっかりとかち合って、僕は、恐らくはそいつも、考えたことはひとつだった。
絶句。僕と、僕と同じ顔をしたあいつは、瓜二つである顔をまったく同じように歪めて、まったく同じタイミングで確信犯だろう女を睨みつけた。女は右手に僕のマントを、左手にあいつのマントを掴み、僕たちの視線をまるで風に吹かれてどこかへ飛んでいってしまったかのように軽やかに無視した。女は上機嫌に足を進める。僕たちを引き摺ったままに。
「僕は帰る。お前たち二人で行ってこい」
「帰るのは僕の方だ。お前が行けばいいだろう」
「うるさい。お前に言われたくない」
「僕だってお前に言われたくはないな」
「はいはーい。どっちが何喋ってるんだかわかんない会話はやめなさい。大体、どっちも帰す気はないんだからそのやり取りは一ミリも生産性がないわよ。会話するならもっとお金になるような話をしなさい」
「「誰のせいだとっ!」」
重なる視線、重なる声、重なる足音に、そこに交じる女の呑気な鼻歌。僕はそいつを見て、そいつは僕を見た。溜め息をついたのは、やはりと言うべきか、ほとんど同時だった。
僕たちが言い争うのをやめたからだろう。僕たちのマントから手を離した女は、今度はその両腕をいっぱいに伸ばした。首元を絡め取るようにしっかりと腕が回される。右腕に僕を、左腕にそいつ、リオンを抱えた女が、満足そうに笑った。
「優しいお姉さんが可愛いかわいい弟たちに孝行してあげようってのよ! ありがたく思いなさい!」
街で一番美味しいケーキがあるカフェを予約してあるわ! あたしとリオンとジューダス、三人分でね!
ひどく楽しそうで、ひどく嬉しそうで、ひどく幸せそうで、それから、ひどく愛おしそうで。そんな笑みを見て、文句を言える人間などこの世界のどこにもいないだろう。
僕とリオンの口からは声にならない声が溢れる。横目に盗み見た互いの顔がやけに緩んでいるものだから。僕とリオンは何度目かになる溜め息をついてしまうのだった。
「あの強欲の魔女が僕たちに孝行だって?」
「今日はこのまま雪が降るんじゃないか?」
「あんたたち、いい度胸してんじゃない。別にあたしはこのままガルド稼ぎに行ったっていいのよ?」
途端に不機嫌に傾く女の声に、僕たちは同時に口を噤んだ。その様子を見た女はけらけらと笑い声を上げる。その笑い声を聞いているうちに、すべてがどうでもよくなってくる。女の機嫌がいいのであればそれに越したことはない。別に、僕たちふたりとて女の機嫌を損ねたいわけではない。できることなら笑っていてほしいし、泣き顔だって見たくはないのだ。何故ならば。
腕の中に抱えた僕たち二人を『弟』と呼んだ女は、ルーティ・カトレットという名前の、僕たちの姉だからである。
オリオンの中心
20210512