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ディムロス中将が(ちょっとだけ)シャルティエ少佐と仲良くなる話




 いそいそと出掛ける支度をしている背中に視線を飛ばす。部下に見られたら笑われるに違いない顔をしている自覚はあった。もしくは、恐れられるか。
 視線の先で、シャルティエが忙しなく手を動かしていた。両手に抱えるほどの大きな釣り竿を二本持って、背中には対帝国部隊で支給している鞄を背負っている。普段は愚痴のような弱音のような言葉ばかり吐く口からは小さな歌声すら聞こえてくる始末だ。余程機嫌がいいらしい。比例するようにこちらの機嫌が傾きつつあることには気づかないまま。


「……今日も出掛けるのか、シャルティエ」

「えっ!? ああ、はい。あれ、僕、今日は休暇でしたよね?」

「まあ、そうだが……」


 自分の口から飛び出した声の低さに驚いていると、同じく驚いた、というよりも怯えた顔つきでシャルティエがこちらを振り返った。びくびくと小さく身体を震わせている。どうしてこうも怯えられてしまうのだか。思わず溜め息をつく。再びびくりと跳ねるシャルティエ。


「引き止めて悪かった。気を付けて行ってこい」

「……はあ、」


 ひらりと手を振ってみれば、シャルティエは怯え半分、訝しさ半分といった表情で部屋を出ていった。小さな音を立てて閉まるドアの向こうから、ディムロスの奴、何か悪いものでも食べたのか? という心配なんだか愚痴なんだかわからない声が聞こえてきた。シャルティエはいい加減考えていることがほとんどすべて口に出ていることに気がついた方がいい。
 ピエール・ド・シャルティエ少佐は元の世界では私の部下だった男だ。部下であり、ソーディアンチームの一員として立場や使命を同じくした仲である。
 そして、どうやら私はシャルティエに好ましく思われていないらしいことを、とっくの昔に理解していた。
 雑談でもと話し掛けようものなら警戒した小動物のような目でこちらを見て、部下として指示を出せば不満を口にする。かと言って反論してくるわけでもなく、決断を迫れば慌てたように取り繕う。最終的にへらりと苦く笑って、了解です、と返事をするのだ。
 威圧しているつもりはない。実際、他の部下や同僚たちにも同じ態度で接している。にも関わらず、私に対してだけは頑なに態度を変えないシャルティエ。元の世界から合わせたらどれだけの時間を共にしているだろうかと考えては深い溜め息をついてしまうのだった。


「……私は避けられているのだろうか」


 シャルティエが休暇の度に出掛けていることは知っていた。一応、体面としては対帝国部隊という名の軍隊だ。仲間の動向を把握しておく義務がある。そしてシャルティエは休暇の時間いっぱいを使ってどこかへ行っている。これは本人から報告されたことではなく、単に私が夕飯に誘おうと捜しても見かけないから知っているだけだ。


「避けられてるんじゃない?」

「そうね。避けられていると思うわ」


 正面に座った女性が二人。私の泣き言のような問いにあっさりと答えた。手に持っていたコーヒーカップを取り落としそうになる。
 そんな私の反応を見てけらけらと愉快げな笑い声を上げるのはハロルドだ。追撃するように言葉を続けたのはアトワイトである。珍しく休暇が重なったからと二人揃ってわざわざ私とシャルティエの様子を見に来たらしい。仲間のよしみよ、感謝しなさい。とはハロルドの言葉だ。


「シャルティエのやつ、うちのジューダスと仲良しみたいよ」

「ジューダスさんと?」

「そ。よく二人で遊びに行ってるの見かけるし。ジューダスはジューダスで珍しくシャルティエには懐いてるみたいだしね」


 まあ懐くって言い方もどうかと思うけど。あいつにとってシャルティエって家族みたいなものらしいし。
 ハロルドがコーヒーを啜りながら事もなげにそう言った。私とアトワイトは顔を見合わせて苦笑する。
 ジューダスくんやカイルくんたちが私たちが生きていた時代の未来を生きる人間だということは誰しもが気づいていた。そして、ジューダスくんがソーディアン・シャルティエを持っていたことも。恐らく未来のマスターであっただろうことも。彼らが長い時間を共に過ごし、お互いにとってかけがえのない存在になっていたことも、私たちは知っていた。
 この世界で再会したジューダスくんの背中にソーディアン・シャルティエはなく、きっと私たちの時代から去った後に手放さざるを得ない状況になったのだろうことも。ジューダスくんが生きた時代より過去から具現化されたという人間たちがソーディアンマスターであったことも。その中の一人にソーディアン・シャルティエのマスターがいたことも。私たちは知っていて、誰もが口を噤んでいた。私たちが介入するにはあまりに入り組んだ問題だった。

 まあ、今はそんなことはどうでもいい。本題はそこではなくて。


「私たちとは共に過ごそうとはしないくせにか?」


 己の口から飛び出した子どものような言葉に咄嗟に手で口を塞いだ。正面に座るアトワイトとハロルドの目がみるみるうちに見開かれていく。穴があれば潜り込んでしまいたかった。
 聞かなかったことにしてくれ。私がそう懇願するより僅かに早く、にんまりと笑ったハロルドが言葉を紡いだ。


「なに、ディムロス。嫉妬してんの?」

「なっ!」


 直球。ほんの少しでもハロルドに気遣いを期待した己を叩きのめしてやりたかった。慌ててアトワイトを見る。彼女はじっとりとした目で私を睨めつけていた。


「……恋人の目の前で他の人のことで嫉妬するなんて」

「違うぞアトワイト! ハロルドも何を言っているんだ!」


 誤魔化そうと振り上げた手が机の端に当たる。がん、とひどい音がして、たまたま近くを通りがかったのだろう部下が、どうされました!? と慌てふためくのをぶつけた手で制す。何でもない、下がれ。私の低く唸るような声に、まるでシャルティエのように身を竦ませた青年は脱兎のごとく逃げ出してしまった。
 足音が遠ざかるのを確認して、じっくり数秒。改めてハロルドが口を開く。


「だってそうっしょ? あんた、弟みたいに可愛がってきたシャルティエがぽっと出の余所者に持ってかれて悔しいって顔してるもの」


 シャルティエの話してるときの自分の顔、一度鏡で見た方がいいわよ。伸ばした人差し指で私の額を弾いたハロルド。ディムロスにそんなことできるの、ハロルドくらいなものよ。アトワイトが呆れているのか微笑ましいのか、子どもの戯れを見るような目で私たちのやり取りを見ていた。


「自分の胸に手を当ててよおく考えてみなさいよ」


 ハロルドが席を立ち、備え付けのキッチンで新しくコーヒーを淹れる。三つのカップに並々と注がれるコーヒーをぼんやり眺めて、考える。
 元の世界、地上軍。戦時下という特殊な状況ではあったがそれなりに長く接してきた。私は私なりにシャルティエを評価していて、だからこそ彼に背中を預けることに躊躇いを覚えたことなど一度もない。剣技も、部隊の指揮も、戦略も、たまに口煩くなるアトワイトや、実験と称して危険に巻き込んでくるハロルドから逃げる方法だって、自分の持つ知識や経験はすべて教え込んできたつもりで。
 私は部下としても、一人の人間としてもシャルティエを好ましく思っている。それなのに何故だか青い顔で怯えられ、何かを言う度に小さな声で愚痴だか弱音だか文句だかを吐く。相談など一度もされたことはない。それどころか、特にこの世界に来てからは自分を避けようとしている姿が顕著だ。
 考えて、考えて、どつぼにはまる。もしここが元の世界であれば部下にどう思われようと気にすることではないと自分に言い訳することだってできただろう。けれど、この世界で。ディムロス・ティンバーとピエール・ド・シャルティエは上司と部下の関係ではない。ただただ対等な、一人と一人の人間だった。


「…………落ち込むなと言う方が無理じゃないか?」


 地の底よりも深い溜め息と共に溢れたのは、そんな情けない言葉がひとつだけ。
 アトワイトとハロルドが顔を見合わせる。重症だ、と言わんばかりの苦笑を浮かべたアトワイトが、私の肩にそっと手を伸ばした。


「ディムロスは構いすぎなのよ。もう少しシャルティエの方から近づいてくるのを待っていたらどう?」

「あいつは警戒心の強い動物か」

「似たようなものじゃない?」


 机に突っ伏した私をアトワイトとハロルドが物珍しげに眺めているのがわかる。わかってはいるが、今はとても顔を上げられそうになかった。
 やれやれ、と口に出して言ったハロルドが、ディムロス、と名前を呼ぶ。嫌々顔を上げたそこには、普段の様子からは考えられない、大人びた顔をして笑っているハロルドがいた。


「早いとこあんたがシャルティエと仲良くなってくれなきゃこっちも困るのよ」

「はあ?」


 上着代わりに羽織ってきたらしい白衣を椅子の背もたれから取り上げたハロルドが、ひらひらとその白衣を振った。それを合図にアトワイトもハロルドの後を追う。今日はここまでだということだろう。
 眉を寄せた私に、ハロルドがふと笑う。仕方のないやつだ、と言いたげなその笑みは、私とシャルティエのどちらに向けられたものだったのだろうか。或いは、どちら宛てでもないのか、それとも。


「うちの子たちもね、ジューダスがシャルティエに取られちゃうー! って半泣きなのよ」


 だからよろしくね。いつもと変わらない間延びした声。つまりは、自分で何とかしろとのことなのだろう。ハロルドらしい声援に苦笑を漏らす。ようやく私の顔に笑みが浮かんだからか、どことなく心配そうにこちらを振り返っていたアトワイトは、今度こそハロルドの後を追って部屋から出ていった。
 恋人にまで心配をかけてしまうだなんて。まったく、突撃兵の異名を欲しいままにしたディムロス・ティンバー中将が何をまごついているのだか。


「ただいま戻りました、ディムロス」


 その夜。部隊から上がってきた書類に目を通しながら件の彼の帰りを待っていた。と言っても、単純に仕事が終わらなかっただけである。最近は帝国の動きも活発化しており、各所から不穏な報告が上がっているのだ。
 名前を呼ばれたことに気づいて書類から視線を外す。恐らく何度か私を呼んだのだろう、複雑な表情をしたシャルティエが私の前に立っていた。この顔は早く部屋に戻りたいのだからさっさと気づいてくれないか、という顔だろう。さすがに表情だけでシャルティエが不満に思っていることを理解できるようになってきた。


「ああ、戻ったか」


 私の反応を見届けたシャルティエはそのまま部屋へと戻ろうとする。踵を返した彼の背中に、ひとつ、声を掛けた。


「おかえりシャルティエ」

「はい、ただいまです」


 自然に返事をして、すたすたすたと三歩ほど歩いて。シャルティエはぴたりと足を止めた。


「…………えっ!?」


 大袈裟なリアクションにこちらが恥ずかしくなってくる。ただ普通に、迎える言葉を落としただけだろうに。
 つかつかつか。先程離れた三歩を、それよりも随分と速い足取りで戻ってきたシャルティエが、私の手から書類を奪った。まじまじと覗き込んでくるその顔は真剣そのもの。
 まったく。こいつはこういうところが憎めないのだ。どれほど苦手に思われようと、文句や不満を口にされようと。見限るには、シャルティエは少しばかりお人好しが過ぎる。


「ディムロス、体調が悪いんですか? 今日は早めに休んでは?」

「あ、ああ。そうさせてもらう」


 シャルティエは私の言葉に満足そうに頷くと、奪った書類を丁寧に机に置いた。じゃあ僕はこれで。戻った三歩の距離を今度は二歩で進んで、シャルティエは足早に私の前から去っていく。
 いつもなら帰りが遅いとかなんとか怒るのに素直に迎えられると調子が狂うじゃないか。そんなことをぶつぶつ言いながら部屋を出るシャルティエに、聞こえているぞ、と言わなかったのは先程の動揺が尾を引いていたからに他ならない。
 ぱたんと閉まるドア。はああ、と盛大な溜め息。机に突っ伏して頭を抱える。まったく、ディムロス・ティンバー中将ともあろう者がたったあれだけのやり取りに取り乱すなんて情けない。机の上に並べられた書類たちをぴんと指で弾いて、シャルティエの言うように今日はもう終わりにしてしまおうかと考えた。瞬間、響くのはノックの音。


「入れ」


 反射的に返事をする。書類を手に取り直して、思考を切り替えた。私的なことで悩み続けるには、抱えている問題が多すぎる。次は一体何の報告が上がってくるのだったか。
 けれど、予想に反して、扉の向こうからひょっこりと顔を覗かせたのは先程自室に戻ったばかりのシャルティエだった。


「……どうした?」

「ああ、いえ。ディムロスがお疲れの様子だったので、僕にできることはないかなと」


 気まずそうに視線を床に落としながらそう言ったシャルティエに瞬きをひとつ。


「だが、お前は一日休暇だろう」

「ええ、まあそうなんですけど。僕は息抜きしてきましたし、思えばディムロスはほとんど休暇らしい休暇は取っていませんし。今からでもお休みになられたらどうかな、と思いまして」


 差し出がましい真似をすみません。僕の手伝いなんて要らないですよね。誤魔化すように、或いは困ったように。または、心配そうに。へらりと笑うシャルティエに、無意識に強ばらせていた身体から力を抜いた。
 まあ、今はまだこの距離感でも構わないか。どうやら嫌われてはいないようであるからして。


「そうだな。では、この資料のチェックを任せてもいいか?」


 まさか本当に任せられるとは思っていなかったのだろう。扉の前で立ち尽くしたまま、ぽかんと口を開けるシャルティエに歩み寄る。その肩に手を置いて、頼んだぞ、と一言告げた。はい、と返事をしたシャルティエの声はどこか夢見心地だ。
 まんまるに見開かれた目と、中途半端に開かれた口。絵に描いたような唖然とした顔。軍人としては許されない顔だが、今、この世界では。


「ああ、そうだ。シャルティエ」

「……えっ?」


 名前を呼ぶと、我に返ったような声を上げる。込み上げてくる笑いを堪えながら、私はもう一度シャルティエの肩を軽く叩いた。


「ここでは私とお前は対等だ。元の世界での立場など関係ない。そもそも、階級の違いこそあれ、私たちは同じくソーディアンチームの一員だっただろう。だから、」


 だからお前ももう少し普通に接してくれ、と。口から滑り落ちそうになった言葉を慌てて飲み込んだ。もう少しシャルティエの方から近づいてくるのを待っていたらどう? 昼間に聞いたアトワイトの声が、頭の隅から響いてきたからだった。
 なんでもない。緩く首を振り、扉に手を掛ける。立ち尽くしたままのシャルティエに、適当なところで切り上げて構わない、と声を掛けた。その声は果たしてシャルティエに届いていたのだろうか。
 廊下を歩く。ぐ、と大きく伸びをすると背中の辺りから鈍い音がした。デスクワークばかりだと身体が鈍る。明日は部下の訓練に付き合うか、とそんなことを考えていた。


「ディムロス!」


 廊下いっぱいに反響する、シャルティエのよく通る声。振り返る。
 シャルティエが、自信に満ちた顔で笑っていた。随分と久しぶりに向けられた笑顔だった。


「ありがとうございます!」


 若々しい笑顔。きびきびと一礼して去っていくその背中。出会ったばかりの頃。どこか緊張した面持ちで、確かその頃はまだ名前ではなく階級で呼ばれていたのだったか。
 その頃に比べれば、私と彼の関係はきちんと対等に近づいているようだ。そんなことに今更になって気づく。他人と比べて焦る必要はない。何故なら、私と彼と、そして彼以外の仲間たちとも、共にした時間は確かにある。繋いだ絆は、ここにあるのだ。


「こちらこそ。いつもありがとう、シャルティエ。この世界に来たばかりの時、真っ先にお前と合流できてよかったよ」


 この世界で、ディムロス・ティンバーとピエール・ド・シャルティエは対等である。そして、我々に与えられた時間は無限にも等しい。
 この、神だか女神だか鏡士だかに与えられた限りない時間の中で、せめて目の上のたんこぶから知人にくらいはなれたらいい。高いのだか低いのだかわからない目標を、アトワイトやハロルドが聞いたらきっと腹を抱えて大笑いするだろう。それでもいい。それでいいのだ。
 いつか、同じ話をシャルティエにしてやろう。その頃には私の前でも得意げに笑っているだろうその顔を、今と同じような情けないものに変えて懐かしむくらいは。許されたっていいはずだ。




三つ星憂鬱




20210419


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