totr | ナノ



ジューダスを想うカイルとリアラと、想われるジューダスの話




「……っカイル! 落ち着いて! それ以上はダメよっ!」

「離してくれリアラっ!」


 たまたま通りがかった部屋の前に人だかりができていた。ざわざわと揺れる空気はあまりいいものではない。思わず顔を顰めた直後、部屋の中から響いてきた声に足を止める。あまりに聞き覚えのあるその声は、確かにカイルとリアラのものだった。
 珍しく激昂しているらしいカイルと、ひどく焦ったように彼を呼ぶリアラ。十中八九、ろくな事ではない。溜め息。その溜め息が聞こえたのだろう人だかりの一部が僕を振り返り、そして気まずそうに道を開けた。悪い、止めようとはしたんだけど。言い訳じみたその声に首を捻り、人だかりの隙間から輪の中心を覗き見た。
 声音の通り気が立っているのだろう、金髪を逆立てているようにも見えるカイルと、彼の背にしがみつくようなリアラの姿があった。よくよく見れば、カイルは誰かの上に馬乗りになっているらしい。下敷きにされている人物の顔は見えなかったが、少なくともカイルよりは体格のいい男だろうことだけはわかった。


「……何をやっているんだあいつは」


 様子からして単なる喧嘩だろう。僕がわざわざ止めに入るまでもないだろうか。その思考は一瞬で中断された。僕の隣に立っていた女がおろおろと縋るように僕の腕を掴んだからだった。言わんとしていることはわかる。カイルが本格的に拳を振るう前に止めろということだろう。
 人だかりから足を踏み出す。自分よりも遥かに体格のいい男を床に引き倒して馬乗りになっているカイルに、場違いにも感心してしまった。火事場の馬鹿力か、それとも。それ以上考えるのはやめた。どうやら僕は随分と彼の保護者たちに思考を侵されているらしい。


「カイル」


 名前を呼ぶ。さして大きくもなかっただろうその声にびくりと肩を跳ねさせたのはカイルと、それからリアラもだった。さあと顔を青褪めさせた二人は僕を見て、強ばっていた身体から力を抜く。ジューダス。僕を呼ぶその声はこれでもかと言うほどに震えていた。


「うちの馬鹿が悪かったな。立てるか?」


 尚も男の上に跨ったままのカイルを押し退け、床に倒れ込んだ男に手を差し伸べる。ひどく気まずげに僕の手を掴んだ彼は、こっちこそ、と蚊の鳴くような声で呟いて、そのまま立ち去ってしまった。どこにも怪我した様子はなかったことからカイルがその握り締めた拳を振るう前に止められたのだろう。
 騒がせたな、と人だかりに向かって言葉を投げる。言外に多分に含めたさっさと散ってくれという気持ちを汲んだ人間たちがひとり、またひとりとその場を去っていく。さわさわと揺れる空気は相変わらずいいものではない。けれど、ひとまず大きな騒ぎになる前に収拾をつけられたことに息を吐いた。面倒事はごめんである。


「ジューダス」


 今にも死んでしまいそうに細々しい声がした。床に座り込んだままのカイル。彼の背に寄り添うようにしてしがみつくリアラ。二人の大きな丸い目が僕を見ている。僕を呼んだのはどちらの声だったか。判別がつかないほどのそれに耳を疑ってしまった。そこそこ長い時間を共にしてきて初めて聞く声音だった。


「喧嘩ならもっと目立たない場所でやれ。誰が責任を取ると思っているんだ」


 やれやれとわざとらしく肩を竦めた僕に、カイルとリアラが青褪めた顔をほんの僅かに弛める。叱られるとでも思っていたのだろうか。生憎、そういうのは僕の役目ではない。叱られたいのであれば然るべき奴らのもとへ行けばいい。
 カイルの握り締めた拳に気づいたリアラがそっと彼の手を握った。薄らと血が滲んだその手にあたたかな光が宿る。晶術だろう。ありがとう、リアラ。頼りない声で礼を言うカイルに、リアラは黙って首を横に振った。リアラの身体の震えはようやっと止まったようだった。


「いつまでそうしているつもりだ。顔でも洗ってこい」


 カイルの腕を引いて立ち上がらせる。あっさりと立ち上がったカイルは僕を見て、リアラを見て、視線を落とした。その先には騒動の最中に蹴倒されたのだろう椅子が転がっていた。


「……なんで喧嘩したか聞かないの?」

「聞いてほしいのか?」


 問いを重ねる。カイルが顔を上げて僕を見た。驚いたように見開かれた瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。いつもは燦々と輝いている青い瞳がじわりと滲んで、大粒の雫が床に落ちていった。横を見ればリアラも同じように泣いている。何故泣くんだ、と呆れたように呟いた。ジューダス、と僕を呼ぶ声。


「だって、あいつが、」


 喉を震わせ、しゃくり上げる。ぼたぼたと落ちる涙をそのままにして、カイルが子どものように、だって、とそればかりを繰り返す。リアラはほとほとと頬に涙を伝わせて、カイルの腕を強く握っていた。だって、と。カイルが繰り返す。だって、だって。その先を聞かせろと言うのに、仕方のないやつだった。


「カイル」


 溜め息混じりに名を呼んでやった。途端にぐしゃりと歪む顔。落ちる涙は量を増して、嗚咽があふれる。ひっくひっくと泣くカイルに呆れてしまった。何が彼をここまで泣かせるのか。元の世界での旅の間ですら見なかった様子に驚きながら、僕にしては根気よくカイルとリアラが話し出すのを待っていた。


「だって、あいつ、ジューダスのこと、こわいって」


 嗚咽の合間の途切れ途切れの言葉。繋ぎ合わせればそんな答えだった。


「仮面だし、笑わないし、何考えてる分かんないって。リオンさんと同じ顔で、なのにお前らはリオンさんたちより未来から来たんだろって。こわいって。得体が知れないって、言うから。だから、オレ、そんなことないって。ジューダスは優しいんだって。訂正しろって、怒って、怒っちゃって、」


 とめどなく流れる涙を拭うことなく言葉を続けていたカイルがとうとう黙り込んでしまった。言葉を嗚咽に掻き消されたと言ってもいいだろうか。僕はリアラを見た。彼女もやはり涙を拭うことをしなかったが、それでもカイルよりは冷静でいるようだった。


「ジューダスは優しいんだって、わかってほしかっただけなの。こわくなんかないって。わたしたちの大切な人なんだって。わかってほしかったの。それだけなの。カイルも、わたしも、それだけなの」


 遂にはリアラまでもが口を噤んで、部屋の中には二人分の嗚咽しか聞こえない。
 どうやら喧嘩の原因は僕にあるらしい。それは理解できた。けれどやはり僕には彼らの涙の理由がさっぱり理解できず、カイルに殴られそうになっていた男の言葉に同意さえしていた。傍から見ればそうだろう。恐ろしくて当然だ。自分の存在の歪さなど、自分自身がよくよく知っていた。


「お前たちは馬鹿なのか?」


 溜め息。カイルとリアラがびくりと身を竦ませた。


「あいつの言ったことは何も間違っていない。お前たちが腹を立てる理由などどこにもない」


 その言葉に、カイルが、リアラが。非難するように僕を見た。僕はそんな二人の顔を見てじわりと腹の奥から湧き上がってくるものがあることに気がついた。可笑しくてたまらなかったのだ。
 衝動のままに、僕は薄く笑う。


「僕は、他人の言葉なんてどうでもいい。何を言われようが知ったことではない」


 元々、元の世界では裏切り者と謗られる人間なのだ。別の世界まで来て誰に何を言われようが今更気にすることではなかった。得体の知れない人間に対して恐怖を覚えようとも、それは人間の感情として当然のものであるからして。言葉の刃を直接僕に向けてこない男は確実に善人の部類に入るだろう。そんなことを考える。
 尚も涙を落とすカイルとリアラ。馬鹿な子どもたちだ。内心で囁いた。どうして僕のことでお前たちがそんなにも傷ついて涙を流すんだ。馬鹿な子どもたちだ。馬鹿なやつらだ、本当に。
 けれど僕は、彼らの、カイルとリアラの、あたたかな灯火のようなその感情を、僕に向けられる気持ちを、どうしても嫌いにはなれなかった。


「世界中の誰もが僕を恐れたとしても、僕から離れようとしないやつらがいることを、僕はもう知っている」


 それだけで、充分だ。
 僕の言葉が口から滑り落ちるのと、全身をあたたかさに包まれるのと、どちらが先だったか。わんわんと泣きながら僕の名前を呼ぶ子どもたちの声に短く返事をしながら、僕は次から次に溢れてくる思い切り笑い出したい衝動をどうにか内側に押し止めた。笑ってしまってもよかったかもしれない。僕を見た子どもたちのその顔から涙が消えて、くしゃりと、やはり子どものように笑う姿が見られるのであれば。それでもよかった。
 ぎゅうぎゅうと僕を力いっぱい抱き締めるカイルとリアラの背に触れて、彼らに気づかれないように、小さく息を吐く。
 けれど、今は。僕を想う子どもたちから降り注ぐ優しい雨を浴びていたいと、そう思ってしまったから。僕は笑い出したい衝動を必死に、必死に内に留めて、なんでもない風を装いながら彼らの名前を呼び続けるのだった。




ぼくのかわいいこどもたち




20210415


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -