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カイルとリアラに愛されすぎてて困ってしまうジューダスの話




ばたばたばたと扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえてくる。それだけ言えば特に変わったことではない。何せ、この建物の中では百人を優に超す人々が暮らしているのだ。慌ただしいのも騒がしいのもいつも通りの日常で、特段気にすることではなかった。足音が部屋の前で止まらなければ。


「おい!ジューダス!」


ばたん、と大きな音を立てて扉が乱暴に開かれる。そこから顔を出したのはロニだ。ひどく焦ったような顔をしている。だが、こいつともさすがに長い付き合いだ。本気で焦っているわけではないことくらいその顔を一目見ればわかるし、こいつがこういう顔をするときは大体カイルが関わっている。溜め息。


「なんだ、騒々しい」

「ちょっと来い」

「一体何だ。用件を言え」

「いいから来いって!頼れるのはお前しかいねえんだよ!」


ロニは大股で近づいてきたかと思うと僕の腕を引いて無理矢理僕を椅子から立たせる。その手を振り払っても構わなかったが、ちょうど飲み物が無くなったところだ。どうせまたカイルがくだらないことをやらかして、その始末を付けるのに僕を駆り出そうとしているのだろう。いつもいつも面倒を僕に押し付けてくるロニは、そう文句を言うと必ず、俺の言うことよりお前の言うことの方がよく聞くんだよ、と沈んだ顔をする。鬱陶しいので最近は文句を言うこともやめてしまった。
ロニにぐいぐいと腕を引かれて連れて行かれた先は食堂だった。食事の時間ではないというのに人でごった返したそこ。人々は遠巻きに何かを見ているようで、その異様な光景に思わず眉を寄せた。ロニはその様子も意に介さず、人混みを掻き分けながら中央に向かって進んでいく。系統の違う高い声が二人分。どちらも聞き覚えのある声だった。二度目の溜め息。


「カイルのわからず屋!」

「リアラこそ!どうしてわかってくれないんだよ!」


どうやら言い合いをしているのはカイルとリアラらしい。二人を囲う人々の顔をざっと眺める。二人の言い合いを余興のように楽しんでいる人が三分の一、はらはらした表情で言い合いを止めるタイミングを見計らっている人が三分の一、何とも言えない苦笑を浮かべている人が少し、残りは何故そこにいるのか、興味無さそうにどこか遠くを見ている人だった。


「じゃ、俺は厨房の仕事があるから行くけどな。責任持ってあいつらの喧嘩止めてやれよ、ジューダス!」

「はあ?何故僕が!」

「文句言ってねえで頼んだぞ!あのまま放っておくとアジトの皆様方のご迷惑になるだろうが!」


ロニは食堂の壁に掛けられた時計を見て一度飛び上がり、慌てたように走り出す。ロニは週に数回、闘技場の厨房で働いている。余程始業の時間が近づいているのか、脇目も振らず食堂から飛び出して行った。声を掛ける暇もなかった。
さて、どうしたものか。できることなら関わり合いたくない。犬も食わないものに手を出すのも、馬に蹴られるのも勘弁願いたいものだ。だが、そうは言っても野次馬に気づかれてしまった以上、見なかったフリをしてここを去ることはできないだろう。三度目の溜め息。
二人に気づかれないようにそっと様子を伺う。カイルとリアラは僕の存在に気づいていない。というか、恐らく自分たちが注目の的となっていることすら気づいていないだろう。完全に二人の世界である。代わりにとでも言うのか、僕がやって来たことに気づいた野次馬の数名が生暖かい視線を送ってきた。負の感情ではないその視線をやや不快に思いながら、仕方なく二人の喧嘩に耳を澄ませる。なかなかのボリュームで言い合いを続ける二人の声は、耳を澄ませずとも聞こえてしまうのだが。


「絶対にプリンだよ!」

「ケーキでもいいじゃない!」

「それに、行くところも絶対に遊園地!」

「カイルとのデートならもちろん遊園地でもいいけど、今回は絶対に公園でピクニックよ!」

「公園にどうやってケーキ持っていくのさ!」

「わたしはカイルみたいに走ったりしないから大丈夫ですよーだ!」

「言ったなー!大体、オレがリアラに荷物を持たせるわけないだろ!全部オレが持つからケーキはダメ!」

「わたしだってカイルに任せなくたってケーキくらい持てるわ!」


喧々諤々、内容はぺらっぺら。いっそ小気味よいほどのくだらなさに呆れて頭痛がしてくる。頭を抱えたくなった。今すぐこの場から去ってしまいたい。ナナリーかハロルドでも連れてくるか、と半ば本気で考えていると、誰かに肩を叩かれた。顔を上げるとチェスターがいた。にやにやと面白いものを見るような目で僕を見る。一体何なんだ。言い合いは続く。


「とにかく!いくらリアラが相手だってオレは絶対に譲らないからな!」

「それはわたしのセリフよ!」


いがみ合うカイルとリアラ。これほどヒートアップしているのは珍しいけれど、二人はこの世界に来てからはかなりの頻度で言い合いをしている。下手をすると数時間続けているから大したものだ。この程度の口喧嘩、彼らにとってはスキンシップの一環なのだろう。巻き込まれる方としてはいい迷惑だが、この二人にそれを言ってもわかるまい。
さて、どこで止めに入るべきか。放っておくといつまで続くかわからない。せめて人目のないところでやれ、と言って二人の腕を引いて食堂から連れ出せばいいだろう。間に誰かが入ることで二人は途端に大人しくなるのだ。四度目になる溜め息をついて、頭を抱えながら一歩を踏み出した。そんな僕の前を颯爽と通り過ぎる男が一人。


「カイルもリアラも、もうそのくらいにしておいたらどうだ?」


イクスだった。苦く笑いながらカイルとリアラの間に割って入り、二人の視線を一身に浴びる。二人の大きな目に自分が映ったことに一瞬たじろぐが、イクスはすぐにへらりと笑った。何事にも慎重で気弱そうに見えるこの青年は、なかなかどうして、それなりに肝が据わっていることをここにいる全員が知っている。僕は踏み出した足を引き、隣に立つ背の高い男、ユーリの姿に隠れるように息を潜めた。ユーリはチェスターと同じような顔をして僕を見ていた。大層不快である。


「イクス……」

「ほら、二人ともこっちに来て座って。今ミリーナがお茶を持ってくるから」


カイルとリアラは気まずそうな顔をして俯いて、そしてそこで初めて自分たちの周りに野次馬の輪ができていたことに気がついたのだろう。顔を真っ赤に染めて、小さく悲鳴を上げた。イクスが再び苦く笑う。


「そもそも、喧嘩の発端はなんだったんだ?二人がそこまでムキになるくらいだから余程のことだと思うけど……」


改めて二人を落ち着かせるためだろう、イクスがそう問い掛ける。人々の視線に耐えかねて縮こまっていたカイルとリアラが顔を見合わせて、照れたように笑う。どうやらすっかり先程までの勢いは無くなったようだった。このままイクスに任せていれば後はどうとでもなるだろう。踵を返して、部屋に戻ろうとして、そんな僕の両腕を引いて引き止めたのはチェスターとユーリだった。相変わらずにやにやとした神経を逆撫でするような生ぬるい笑みを浮かべている。


「今度の休みにオレとリアラとジューダスの三人でどこかに出かけようって話をしてたんだけど、」

「どこに行くかも、おやつに持っていくお菓子は何かも、全然カイルと意見が合わなくて……」


僕がチェスターとユーリの手を必死になって振り払っている間に、バツが悪そうにカイルとリアラがそう言った。くだらないことで口論するのは日常茶飯事で、本人たちは口論の数時間後にはけろっと笑い合っているものだが、今回は多くの野次馬に囲まれてしまったからだろう。照れたように、或いは恥ずかしそうに、二人は曖昧に笑っていた。


「それじゃあ、行きたいところはカイルが決めて、おやつはリアラが決めたらいいんじゃないか?それなら平等だろ?」


イクスが至極真っ当な提案をする。その提案に、きょとんと同じ顔してまばたきするカイルとリアラ。今度はイクスが首を傾げる。何故そこで不思議そうな顔をするのだ。イクスの複雑な表情に内心同意して、僕はじっと彼らの様子を見守った。カイルとリアラはしばし見つめ合っていた。声は聞こえないが二人には何か通じたものがあったらしい。少しの間の後、ようやく合点がいったように二人は揃って両手を打ち鳴らした。


「違うんだよイクス!オレとリアラが行きたいところとか食べたいおやつの話をしてたんじゃなくて……」

「ジューダスはどこに行って何をおやつにしたら喜んでくれるかなってことを話し合ってたの」


突然飛び出してきた自分の名に思わず盛大に噎せて、野次馬の視線が一斉に僕を向く。これはまずい。非常にまずい。くるりと踵を返して、今すぐにここから立ち去ろうと、足早に野次馬の壁を通り抜けようとして。


「なんだ、そうだったのか。じゃあジューダスに直接聞いたらいいんじゃないか?」


言いながら歩いてきたイクスに腕を掴まれた。ぎぎぎ、と油の切れた人形のようにぎこちなく振り返る。にっこりと笑うイクスがそこに立っていて、その肩越しに、ぱあと目を輝かせたカイルとリアラがいた。


「じゃあ、二人のことを頼んだよ、ジューダス」


言外に、しっかり後始末をつけろ、と言いながら、イクスは手際よく二人を囲んでいた野次馬を散らせていく。チェスターとユーリの爆笑する声が遠くに聞こえた。あっという間に食堂には僕とカイルとリアラの三人きりになって、何が楽しいのだか目を輝かせたままのカイルとリアラに、居心地の悪さを感じる。野次馬の数人が生ぬるい視線を僕に送ってきた理由を理解してしまった。そしてロニが何故僕に責任を持って二人を止めろなどと言ったのかも。
いたたまれなさに喉がからからに渇く。今すぐにでも逃げ出してしまいたいが、このまま放っておくとまた言い合いを始めてしまうかもしれない。よもや自分が原因でこんな大事になっていようとは。そんな僕の葛藤もつゆ知らず、カイルとリアラが僕を挟むようにして両脇に立った。


「ねえジューダス!ジューダスは遊園地に行くのと公園でピクニック、どっちがいい?」

「ねえジューダス!おやつはプリンとケーキ、どっちがいいかしら?」

「あとあと、お昼ご飯は?」

「朝ご飯も決めなくちゃ!」

「ジューダスが好きなこといっぱいやろうね!」

「ジューダスが好きなものをたくさん食べましょうね!」


効果音を付けるなら、うきうき、だろうか。カイルとリアラは先程まで苛烈な言い合いをしていたとは思えない晴れやかな表情で僕を追い詰める。二人が僕を見てにこにこと笑えば笑うほど、僕の中にいたたまれなさが募っていく。このいたたまれなさはなんなのか。強いて言うなら、三人だけの秘密が暴かれてしまったような、そんな気分だった。


「…………僕はなんでもいい」


五度目の溜め息に紛れそうな音量で僕はそう呟いた。ほとんど距離もなく僕に身を寄せていた二人にはしっかり届いていたようだ。ああ、そういえば僕は、いつからかこの距離感にも慣れてしまっていたな。やたらと距離の近いカイルとリアラの顔を横目に、そうやって現実逃避。逃げることなど許さないとばかりにカイルが僕の顔を覗き込んだ。カイルの青い目には、口元をむずむずさせ、情けない顔をした僕が映り込んでいた。


「そういう訳にも行かないよ!今回はジューダスが主役なんだから!」


主役?主役とは何だ。首を捻る。確かに次の休日にどこかへ出かけようと誘われはした。どうせ断っても連れて行かれるのだろうから、勝手にしろ、と答えたはずだ。思い当たる節がない。そんな感情が顔に出ていたのだろう。僕の顔をまじまじと見ていたカイルとリアラは再び顔を見合わせて、ふにゃりと眉を下げながら笑った。
やっぱり覚えてなかったか、とカイルが言って。
覚えてなくても仕方ないわよ、とリアラが言った。


「一体、何の話だ」


カイルとリアラの顔が悪戯に輝く。くふふ、と含み笑い。


「次に三人でお出かけする日、何の日かわかる?」


リアラの質問に時計の横に掛けられたカレンダーを見た。オレンジ色のカボチャが紙面を踊っている。黒や紫のような紙面に、オレンジ色がよく映えた。日付を目で追う。一日から三十一日まで。視線は滑らかにカレンダーを通り過ぎ、隣の時計の秒針を追い始めた。諦めて、六度目だったかの溜め息をつく。


「……ただの平日じゃないのか?」


僕の降参の意を汲み取って、カイルとリアラがにんまりと笑った。本当によくころころと表情が変わる奴らである。見ていて飽きないが、そのことを本人たちに告げる日はきっと一生来ないだろう。
カイルが笑って、リアラが笑った。僕の手を引く二人の手はひどく熱くて、ああ、僕らはここで共に生きているのだ、と。訳もなくそんなことを思った。


「オレたちとジューダスが、この世界で再会した日だよ!」


カイルの言葉に拍子抜けして、そんなことまでいちいち覚えている二人に呆れ果てて、そんなちっぽけな出来事を特別なものに変えてしまおうとする彼らがあまりに馬鹿馬鹿しくて、なんでもないその日々を特別に変えようとするあまり口論に発展する二人が本当に、本当に可笑しくて、ただただ、胸の奥がむずがゆい。心と呼ばれるその奥からあふれ出して止まらないこの感情の名前を呼ぶのに、僕には少しばかり勇気が足りない。綯い交ぜになった様々な気持ちを、七度目の溜め息に変えて吐き出した。吐き出さなければ、僕の中が満たされすぎて、破裂してしまいそうだった。


「ねえねえジューダス!どこに行きたい?何がしたい?」

「ねえ、ジューダス!何が食べたい?やっぱり甘いものかしら?」


僕の手を引いて笑うカイルとリアラを見て、引かれている手にほんの僅か、力を込めて。僕はわざとらしく顔を顰めて、食堂の外から響く喧騒に紛れそうな音量で小さく囁いた。


「僕はなんでもいい」




Anywhere with you




20201005


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