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カイルとリアラとジューダスの秘密の合図の話




こんこんこん、こん。扉を三度叩いて、それから少し間を空けてもう一度。それはわたしたちの秘密の合図である。叩いたばかりの扉に耳をくっつけて、中からの反応を待つ。こんこんこん、こん。部屋の中から同じリズムで音が聞こえた。今日はテーブルをノックしているのだろう。昨日はティーカップとティースプーン、一昨日は本の表紙、その前はなんだっただろう。そういえば一度、ピコハンの音が聞こえてきたときには驚いた。ピコハンなんてどこから持ってきたの、と聞けば、彼は、カイルに渡された、と薄く笑っていた。いつも静かな彼がピコハンを持っている姿に大笑いしてしまったことは記憶に新しい。
さてさて、そんな回想をしている場合ではない。返事があったのだからもう部屋の中に入っても問題ないはずだ。ドアノブを捻る。がちゃりと少しばかり重たい音がして、扉が開く。途端、扉の正面にある窓からぶわりと風が吹き付けてきた。わ、と短く声を漏らして、慌てて前髪を押さえつける。風が収まるのを待って閉じてしまった目をゆっくり開けば、椅子に腰掛けたままわたしを見ているジューダスと目が合った。


「めずらしいわね。窓、開けてたの?」

「たまにはな」


たしかに今日はとても天気がいい。夏の終わり、秋のはじまり。太陽が照りつければまだ少し暑いけれど、風はもうひんやりとしている。日向を歩いて火照った頬を風が冷ましてくれる、そんな気候。
窓はすっかり開け放たれていて、カーテンが大きく揺れていた。ジューダスは部屋にいる時は滅多に窓を開けない。理由を知っているのはわたしとカイル、それからロニとナナリーとハロルドだけだ。仲間たちだけでちょっとした秘密を共有していることがなんだかちょっとくすぐったい。ここにはたくさんの人がいるけれど、ジューダスの秘密を知っているのはわたしたちだけなのである。


「カイルはどうした?」

「え、まだ来てないの?姿が見えないから先に来ているんだと思っていたけれど」


ジューダスの正面に座って、用意されていたカップにお茶を注ぐ。お茶請けに用意されていた小さめのマドレーヌをつまんでぱくりとひと口。行儀が悪い、とジューダスは眉を寄せた。わたしたちしかいないんだからいいじゃない。わたしのその言葉に目を瞬かせたジューダスは、しばらく考えるようにマドレーヌを見ていたかと思えば、その綺麗な指先でマドレーヌをつまんでぱくりと食べた。あっという間に彼の口の中に消えていくマドレーヌ。指先を少し舐めて、まあ悪くはないな、と笑う。わたしはちょっとだけ得意な気持ちになって、でしょう、と笑みを返した。


「リアラ!ジューダス!遅くなってごめん!」


ばたん、と扉が開く。ジューダスが慣れた様子で傍らに置かれていた仮面を手に取った。そのまま仮面で顔を隠す。あああ!と扉を開け放った張本人が悲鳴のような声を上げ、ジューダスはこれ見よがしに溜め息をついた。わたしはくすくすと笑う。


「ジューダス!なんで!仮面!」

「……当然だ馬鹿者」

「だめよカイル。カイルが言い出したのよ、『秘密の合図』」


カイルはぱちぱちと二度瞬きをして、そのままの表情で今しがた入ってきたばかりのドアの向こうへ戻っていく。ぱたん、と先程よりも随分と静かな音で閉まる扉。ジューダスが口元を手で覆う。隠し切れていない笑みに、わたしはやっぱりくすくすと笑った。
こんこんこん、こん。扉を三度叩いて、それから少し間を空けてもう一度。扉の向こうから聞こえてくる音。わたしとジューダスは顔を見合わせて、ジューダスはやれやれと言わんばかりの顔で仮面を外す。机に置かれた仮面はこちらを向いている。わたしはそれを見届けて、返事をした。こんこんこん、こん。わたしが指で弾いたのはジューダスの仮面だ。何かの動物の骨らしいその仮面は、思ったよりも綺麗な音で合図を刻む。何か言いたげにわたしを見ていたジューダスは、その言葉を吐き出すことなく、マドレーヌを指でつまんでぱくりと食べた。


「リアラ!ジューダス!遅くなってごめん!」


扉が開いたのと同時に響いたのは先程とまったく同じ言葉。だけどその顔に浮かぶのはいたずらっぽい笑顔だ。ジューダスはマドレーヌを頬張ったまま、もう少し静かにできないのか、とカイルに言う。カイルはちっとも悪びれた様子もなくジューダスの言葉を聞き流した。呆れたような表情を浮かべたジューダスの顔がよく見える。だからわかる。呆れているふりをしているだけで、本当は楽しんでいること。
ジューダスは案外わかりやすい。考えていることは割と素直に表情に出るし、なによりその目が雄弁だ。紫色の瞳はいろんな光を弾いていつもきらきらと輝いている。わたしとカイルはジューダスのその瞳を見ることが大好きなのだ。


「どこに行ってたの、カイル?」


わたしとジューダスの間に座ったカイルはわたしとジューダスと同じようにマドレーヌを指でつまむ。大きな口を開けて、ぱくり。カイルの口の中に消えていったマドレーヌは果たして何味だったのだろう。カイルに聞いたってきっと答えられはしないだろう。成長期だと言い張るカイルは味よりも量の方が大事なのだそうなので。


「そうそう!新しい秘密の合図を考えてたんだよ!そしたらいつの間にか寝ちゃってて……」


ごめん、と照れたように頬を掻くカイルに、そんなことだろうと思った、とわたしとジューダスの声が重なる。カイルはもう一度ごめんと言って、ジューダスの顔を覗き込んだ。


「でも、今回の秘密の合図は長く続いてるよね」

「そうね。いつからだったかしら?」

「さあな。もうそろそろひと月になるんじゃないか」


さて、わたしたちの『秘密の合図』の話である。
秘密の合図を作ろう!そう言い出したのはもちろんカイルだった。わたしとジューダスは、たぶん同じような顔でカイルを見ていたのだと思う。カイルは頬を膨らませながら、今回はちゃんと考えてきたからな、と文句を言う。カイルの突拍子もない思いつきに振り回されるのはいつもわたしとジューダスだ。ロニはカイルとの長年の付き合いで逃げるべきタイミングをきちんと知っているので、なかなか一緒に巻き込まれてはくれない。たまには一緒に巻き込まれてくれてもいいと思うのだけれど。
具体的に何をするのか。仕方なさそうに尋ねたジューダスに、カイルは目をきらきらさせながら、秘密の合図について話してくれた。
曰く、ジューダスが仮面を外せるタイミングを作ろう、とのこと。浮遊島のアジトではどの部屋にいようと誰がやって来るかわからない。それは迷子だったり、暇を持て余した人たちだったり。理由は様々だけれど、とにかくたくさんの人が安息の地を求めてアジト内をうろついているのだ。そんな状態でジューダスが安心して仮面を外せるはずもなく。そんな状況を憂いたカイルの提案だった。普段は仮面を外しておいて、来客が来たら仮面をつける。でも来客がわたしたちだったらそのまま仮面を外しておく。そんな、半ば遊びのような約束事。


「最初はなんだったかしら」

「合言葉だったな」

「『ジューダスの好きなものはなんですか』?」

「『誰が言うか』、よね!」


なんともわかりづらいが、カイルはこれを合言葉と言い張った。ジューダスは心底呆れ果てていたけれど、わたしはその楽しそうな提案に一も二もなく賛成した。多数決で二対一。そもそもわたしとカイルに甘いジューダスがわたしたちの提案を無下にするはずがなく、結局は付き合ってくれたのだ。付き合ってくれたのだけれども。


「カイルがあんまりにも大きい声で言うものだからすぐにアジトに広まっちゃってね」

「だって部屋の中にいるジューダスに聞こえなかったら意味ないだろ?」

「それにしてももう少し加減というものを覚えろ」


あの時は本当に大変だった。いたずら好きや面白そうなことに目がない人、単純にジューダスと仲良くなりたい人、エトセトラエトセトラ。ジューダスが部屋にいるのを見計らってたくさんの人が押し寄せたのだ。ジューダスは気を休めるどころか毎日怒鳴り続けていた。当時のことを思い出したのだろう、ジューダスの眉間に深い皺が刻まれる。それを見たカイルが慌ててマドレーヌをつまんでジューダスの口に押しつけた。迷惑そうな顔をしたジューダスは、それでも元来の育ちの良さを発揮してマドレーヌを吐き出すようなことはしなかった。単にマドレーヌを食べたかっただけかもしれない。


「次は?」

「窓から入る」

「あれはあんまり意味がなかったね」

「ナナリーに弓を習って矢文も試したわね」

「どこかのノーコンに射殺されそうになったがな」

「あれは何度も謝っただろ!」


合言葉に窓から入ること、矢文。晶術で合図をするとか、メルディにメルニクス語を習ってみたこともあったっけ。単純に魔鏡通信で連絡したこともあったけれどあまり面白味がなかったのでカイルがすぐに飽きてしまった。歌を歌ったり、ベルを鳴らしてみたり、糸電話を投げ込んでみたり。ありとあらゆる『秘密の合図』を試してみたけれど、ありとあらゆる理由ですべて長続きはしなかったのである。


「まあ、ノックが無難だな」

「えー!もうちょっと面白そうなの考えようよ!」

「お前は僕を労わりたいのか僕で遊びたいのかどっちかにしろ」

「ジューダスのこと労りたいし、ジューダスとリアラと一緒に遊びたいんだよ!」


きっぱりと答えたカイルにジューダスは閉口。どうせ言い負かされるのだから反論しなければいいのに、どうしても黙っていられないらしい。ジューダスは見た目よりもずっと短気だし、負けず嫌いだし、みんなが知っているよりもずっと面倒見がいいし、時には一緒にいるわたしたちが驚くほどに子どもっぽい。そんなことを本人に言ったらしばらく口を聞いてもらえなくなるだろうから絶対に言わないけれど。これはわたしとカイルだけの秘密なのだ。


「ねえねえ!次はどんなのにする!?」

「……まだ続ける気か?」

「あったりまえじゃん!ずっと続けるよ!」


わたしはマドレーヌをひとつつまんでぱくりとかじる。ほんのりしたバターの味が口いっぱいに広がって幸せな気持ちになる。カイルとジューダスはあれやこれやと次の『秘密の合図』について話し合っているし、窓から入ってくる風がほんのり冷たくて気持ちがいいし、なんだかとても楽しくなって、わたしは鼻歌を歌うような気分でマドレーヌをもうひとくち。そうして思いついた『秘密の合図』をカイルとジューダスに披露する。


「次は、お菓子のかおりで合図をするのはどう?」


毎日違うお菓子を作ってこの部屋まで運ぶのだ。アジトの端に近いこの部屋まではさすがに食堂からのにおいは届かない。だからこそお菓子のかおりがしたらわたしたちだとわかるだろう。ジューダスは仮面を外したままでいられるし、わたしたちは大好きなお菓子を食べることができる。我ながらいい考えだと思うのだけれど、さてさて、二人の反応やいかに。


「あ、それじゃあさ!そのお菓子はオレたちみんなで作ろうよ!自分で作ったお菓子の方が絶対美味しいし!」


カイルのそんな提案にジューダスはくつくつと笑って、一体なんのための『秘密の合図』だ、と呟きながら最後のひとつのマドレーヌをつまんだ。あんなに山盛りにナナリーに作ってもらったマドレーヌはきれいにわたしたちのお腹の中へ。たしかに、これはそろそろナナリーに怒られてしまうかもしれない。そんなに食べたいなら自分で作りな、って。


「そうね、それがいいわ」

「おい、リアラまで何を言う」

「だってジューダス。わたし、すごいことに気がついちゃったの」


ジューダスがつまんでいたマドレーヌを指先で半分に分けて、わたしはその半分のマドレーヌを頬張った。甘い甘いお菓子は心もお腹も充分に満たしてくれる。マドレーヌを半分も奪われたジューダスはちょっとだけ悔しそうな顔をしながら、カイルに食べられてしまう前にと急いで口の中に放り込む。それからわたしの方を見て、視線だけで続きを促した。わたしは笑う。


「わたしたち、ずうっと一緒にいたらいいのよ。そうしたら部屋に誰かが訪ねてきてもわたしかカイルが出られるでしょう?ジューダスは部屋の中ならずっと仮面を外してても大丈夫なの。ねえ、とってもいい考えじゃない?」


わたしの言葉にカイルとジューダスが顔を見合わせて、そしてほとんど同時に笑い声を上げる。賛成!と両手を突き上げて言ったのはカイルだった。多数決で二対一。さあ、ジューダスの答えは?


「……勝手にしろ」


わたしとカイルに甘いジューダスがわたしたちの提案を無下にするはずがない。そんなのわかり切ってることじゃないか。提案した時点で可決。可決前提の提案。ということはつまり、ジューダスだって賛成しているのと同じことだ。だってほら、その証拠に、きっとわたしたち以外はみんな知らない顔で、ジューダスは笑っている。わたしたちだけが知っている笑顔。それはとっても綺麗で可愛くて、見たことがないなんてもったいないくらい。だけどわたしたちは誰にも教えてあげないのである。
だってこれは、わたしとカイルとジューダス、三人だけの『秘密の合図』なのだから。




回ノックは秘密の合図




20200924


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