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シャルティエ少佐とジューダスくんがお茶をする話




鏡士のアジトでの定例会は恙無く終わり、さて帰るかと席を立ったタイミングで、ディムロスから魔鏡通信が入った。曰く、たまには設備の整ったアジトでゆっくり過ごしてこい、とのこと。僕は浮かせた腰を椅子に下ろし、はあ、とこれ見よがしに溜め息をついた。これは邪魔だからしばらく帰ってくるなということだろうか。ネガティブな僕が顔を出す。あのディムロスに限ってそんなことを言うわけないと心のどこかでわかってはいるものの、やはり長年に渡ってじんわりと浸透させ続けた考えはそう簡単には抜けないもので。
定例会に出席していた面々は各々の持ち場に戻り、使われていた会議室はがらんどう。部屋に残るのは僕と、すっかり冷めた紅茶の入ったカップがひとつだけ。残りももう僅かだ。アジトでのんびりしてこいだなんてディムロスも無茶を言う。ここでの僕は客人に近く、誰かに言わなければ寝るための部屋も宛てがわれないのだ。ディムロスは気が利くようでそうでもない。きっと先程の発言も思い遣りと思い付きが半分ずつで、僕の寝床について手配してくれていたりはしないだろう。
カップに僅かながら残った紅茶を一息であおる。まあ、帰らなくていいのならばそれはそれで喜ばしい限りだ。別に嫌いという訳では無いけれど、やはりディムロスと一緒にいると息が詰まる。ディムロスの存在にと言うよりは、僕のこの捻じ曲がったネガティブ思考にだ。比べることはないというのに暇さえあれば比べて、何の意図もないだろう発言の裏を探って、落ち込んで、悩んで、胃を痛めて、それをディムロスに励まされて、そしてまた比べて。負の連鎖。断ち切れるものなら断ち切りたいけれど、そんなことができるならこんな思考に陥ってはないとまた落ち込んで。


かしゃん、とカップをソーサーに置いて、つきたくなる溜め息をぐっと堪えた。さて、いつまでもここでのんびりしている訳にはいかない。今夜は泊めてくれないかと鏡士の少年少女に頼みに行かなければ。


「……シャルティエ少佐?」


カップとソーサーを片手に部屋を出て、聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返る。僕の目線よりも少し下の位置に、存在感があるんだかないんだかよくわからない仮面を被った少年がいた。


「やあ、ジューダスくん。久しぶりだね」


怪訝そうな顔をした少年、ジューダスくんに僕は苦笑してみせる。こんなところで何を、というよりこんな時間まで何を、といったところだろうか。それはそうだ。定例会が終わって優に一時間は経っている。まさかこんな時間まで僕がここに残っていたとは誰も思うまい。


「定例会はだいぶ前に終わっただろう。こんな時間まで何をしているんだ」

「ああ、うん。実はディムロスに、今日はアジトの方でのんびりしてこいって言われちゃってさ。それで、今日はこっちに泊めてもらおうと思ってるんだけど……」


答えになっているようでなっていないだろう僕の言葉に、ジューダスくんは小さく首を傾げた。仮面の奥で丸い瞳が訝しげに僕を見ている。僕はその視線にまた苦笑して、イクスやミリーナはどこにいる?と尋ねた。


「あいつらなら街へ行くと言っていた。帰りは夜になるんじゃないか?」


どうやら僕が会議室でぼんやりと無駄な時間を過ごしている間にアジトの主たちは出かけてしまったらしい。つくづく自分の要領の悪さにうんざりしてしまう。こぼれ落ちそうになった溜め息を再びぐっと堪えて顔を上げると、何故か頬を緩めているジューダスくんと目が合った。珍しい表情にぱちりと瞬き。


「今晩の部屋に困っているなら僕らの部屋に来ればいい。幸い、ベッドはひとつ余っている。カイルやロニがうるさいだろうが、それでも良ければ」


食事はいつも大量に作られるからひとり増えたところで大して変わらないだろう。そもそも毎日誰がどの時間に食事をするかも決まっていないんだ。食事の列に並んでいれば相手が誰でも等しく盛られるぞ。ジューダスくんはそう言って僕の目を見た。どうだろうか、問うようなその視線に、僕は気づけば笑ってしまっていた。


「ありがとう、ジューダスくん。じゃあ、お言葉に甘えて」

「ああ。構わない」


くるりと踵を返したジューダスくんの後を、なんとはなしに追いかける。ジューダスくんは特に嫌がることもせず、僕を後ろに付き従える。どこに行くんだろうか、という僕の疑問はすぐに解決することとなった。ジューダスくんは会議室の少し先にある食堂へと入って行ったからだ。
食堂からはいい匂いがした。昼が過ぎたばかりだというのに、もう夕飯の支度を始めているのだろう。さわさわと揺れるような少女たちの笑い声がここまで届いて、対帝国部隊とも、地上軍とも違う空気に言いようのないむず痒さを感じた。このアジトには百人を超える人がいて、対帝国部隊とも勝るとも劣らない大所帯だ。だと言うのに流れる空気はまるで違う。食堂を包む空気は優しく穏やかで、こんな静かな空間に最後に身を置いたのはいつだっただろうかと記憶を捲ってしまうのも仕方のないことだろう。
ジューダスくんは慣れたように食堂を進み、いくつか並んだ食器棚からティーポットとカップ、それからソーサーを取り出した。ジューダスさん、お茶ですか?カウンターの向こうから彼に声を掛けた女性はマリアンという名前だったか。優しげな笑みを浮かべた彼女は、タオルで手を拭って戸棚を開ける。取り出したのはきっと茶葉の缶だろう。マリアンからそれを受け取ったジューダスくんは、ありがとう、と囁くように礼を言った。僕はその様子をぼんやりと見つめながら、不思議と痛む胸を押さえていた。


「シャルティエ少佐?」

「え?あ、ああ!なんだい?」

「……時間があるならば茶でもどうか、と」


いつの間にかジューダスくんが目の前に立っていて、僕はそのことにも気づかないくらいに放心していたようだった。ずきずきとした胸の痛みはもう消えていた。
ジューダスくんが持つお盆にはティーポットがひとつとソーサーに載ったカップがふたつ載っていた。ポットからは薄い湯気が立っている。どうやら僕が暇しているのを見兼ねてお茶に誘ってくれているらしい。ふたつ用意されたカップに、もしここで僕が断ったらどうするんだろうかと、そんな不埒なことを考えて。それでもきっと、ジューダスくんは表情ひとつ変えないのだろうなと、そう思った。


「ありがとう。じゃあご一緒させてもらおうかな」


僕がそう言えば、ジューダスくんはやはりほんの少し頬を緩めて頷いた。随分やわらかい笑い方をする。元の世界で出会った彼は、果たしてこんな顔をしていただろうか。首を捻る。やわらかい笑い方。或いは、どこかさびしげな。


食堂を出ようとするジューダスくんに、ここで飲むんじゃないの、と尋ねる。ジューダスくんは視線だけで僕を振り返って、ここだと誰が来るかわからないからな、と静かに答えた。会いたくない人でもいるのだろうか。ただ単純に、騒がしいのが苦手なだけなのかもしれないが。
ジューダスくんはやはりすたすたと歩き、ひとつのドアを示した。そのまま数秒。ドアと睨み合う。どうしたのだろうと彼の顔を覗き込んで、彼と目が合って。開けてくれないか、と困ったように言った彼を見て、自分の気の利かなさに胃痛がした。両手が塞がっている彼にドアを開けることなんてできるはずがないだろう。僕は慌ててドアを開けて、すまない、と言ったジューダスくんに、こちらこそごめん、と頭を下げた。


「あれ、ここ……」

「ああ。普段は誰も使わないからな。静かで使い勝手がいいんだ」


部屋は先程出たばかりの会議室だった。ジューダスくんはお盆をテーブルの上に置いて、ドアの前へと取って返す。ドアに貼り付けられた両面の札を『空き』から『使用中』にひっくり返し、静かにドアを閉めた。確かにこれなら誰も来るまい。手馴れた様子のジューダスくんに、きっと頻繁に喧騒から逃げてここへ来るのだろうなと、そんなことを思った。
ジューダスくんはポットからお茶を注いでくれる。茶請けはないが、と悪戯っぽく言う彼に、お茶だけで十分だよ、と返しながら。僕とジューダスくんは会議卓の端っこに座ってカップを傾けた。温かくていい香りがする。ほう、と吐いた息に、ジューダスくんが少しだけ笑った気配がした。


「さっきも言ったけど、久しぶりだよね。元気だった?変わりはない?」

「ああ、変わりない。そちらも壮健そうだな」

「ああ、うん。僕も相変わらずだよ」

「相変わらずディムロスに扱き使われて、か?」

「そうそう。ディムロスってば僕が下手に出てると思って調子に乗っちゃってさあ。下っ端にやらせるようなことも全部僕に押し付けてくるんだ。困ったものだよ、本当に」

「そっくりそのままディムロスに伝えてやろうか?」

「え、ちょっと!やめてよ、絶対に駄目だからね!」

「ふっ、冗談だ。真に受けるな」


ジューダスくんとこうやって二人で話すのはきっと初めてだったはずだ。それでもどうしてだろう、初めてな気がしなかった。会話のテンポが丁度いいからだろうか、それとも、人馴れしない猫のようなジューダスくんがとてもリラックスしているように見えるからだろうか。僕たちの会話は尽きることはなく、かと言って必要以上に弾むこともなく。ただただ心地いいリズムで交わされていく。


「そういえば、ハロルド博士はもう大丈夫なの?ここに来たとき大怪我してたって聞いたけど」

「ああ、ここには優秀な医者や術士が多いからな。今日も研究室に籠って何かやっているんじゃないか?」

「きっと碌でもない研究だね」

「違いない」


ゆっくりと紅茶を飲みながら、なんでもない話を続けた。時折、ジューダスくんが僕ではない誰かに話しかけているようにも見えた。僕はそれに気づかないふりをする。彼が触れてほしくなさそうだったから。もしかしたら触れるのが正解だったのかもしれない。けれど僕にはその正解を選び取る勇気はなかった。


「なあ、シャル、」


手元のカップが空になって、恐らく最後の一杯になるだろうお茶を半分ずつ僕とジューダスくんのカップに注いで。こぽこぽという音を聞きながら、ほとんど無意識にだろう、ジューダスくんが、きっと、僕のことを呼んだ。はっと息を呑む音。そして口を噤む彼に。僕は、紅茶に意識を向けながら、なんでもないように、口を開く。


「なんですか、坊ちゃん」


僕はすべての答えを持っていて、それに上手に気づかないふりをして、そうして彼も、僕のその言葉が間違いだと知っていて。
視界の端。隅っこ。ほんの少し、本当に僅か、わかるかわからないかの瀬戸際で、ジューダスくんが、くしゃりと顔を歪めて、それから仕方なさそうに、諦めたように、笑って、僕を見た。紫色の瞳が一瞬だけ歪んで、瞬き。その中の僕はもう、まっすぐに映っていた。


「意地が悪いな、シャルティエ少佐」

「僕を誰かと間違えるジューダスくんが悪いんじゃないか」


僕とジューダスくんは顔を見合わせて、それから似たような顔で苦笑する。意地が悪いのはお互い様だ。それから、意地っ張りなのも。その言葉は僕の胸の内に伏せておいた。ジューダスくんが紅茶をひとくち。すっかり冷めてしまったな、その言葉に僕は、新しいお茶を淹れてこようか、と訊ねた。ジューダスくんはゆるりと首を振って、これでいい、とカップを持ち上げる。琥珀色のそこには、弧を描いたジューダスくんの口元が映り込んで揺れていた。


やにわに部屋の外が騒がしくなった。ばたばたと走り抜ける音。腹減った、と騒ぐのは誰だろうか。遊んでいた子どもたちが戻ってきたのか、何かの用事でアジトの外に出ていた人たちが帰ってきたのか、それともこんな時間から外へ出て行く音か。やべ、会議室使用中だった。そんな声が部屋の前を通り過ぎて、足音と声が密やかになる。焦ったようなその声をからからと笑い飛ばしたのは聞き覚えのある声だった。


「この時間だったらジューダスだよ」

「ジューダス?ひとりで?」

「うん!ここ、ジューダスの秘密基地だからさ」


がちゃりとドアノブが捻られる。秘密基地に突撃してくる人間に心当たりがあったのだろうジューダスくんは楽しそうに笑っていて、会議中だったらどうするんだ、と独りごちた。ドアが開く。


「あ、ほらやっぱりジューダスだった!」

「カイル。僕じゃなかったらどうするんだと何度も言っているだろう」

「そしたら謝ればいいだろ!」


泥まみれの少年に、ジューダスくんは呆れたように溜め息をついて。それからやわらかく微笑んだ。少年、カイルくんはそんなジューダスくんの顔を満足そうに見て、次いで僕の顔を見て、楽しそうな顔をみるみるうちに驚きで彩っていく。


「シャルティエさん!どうしたんですか!あ、定例会か!あれ、こんな時間まで?えっ、あれ、でも、ジューダスと!?」

「はは、カイルくんはいつも元気だね」

「はい!取り柄ですから!」


胸を張るカイルくんに、その明るさの一割でも分けてほしいと詮無きことを考えながら、僕は空になったカップをふたつ、テーブルの端に置かれたお盆に乗せた。ジューダスくんはそれを合図にしたかのように席から立ち上がる。


「さて、そろそろお開きにしようか」

「ああ、付き合わせて悪かったな」

「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう、ジューダスくん」


きょときょとと視線を彷徨わせるカイルくんに、ジューダスくんはわざとらしく眉を寄せる。お前はさっさと風呂に行ってこい。厳しいながらも温かな声に、カイルくんは自分の姿を見下ろして。泥だらけだったことを思い出したのだろう、ルーティさんに怒られる!と飛び上がらんばかりの勢いで部屋を飛び出していった。まったく、子どもは元気なものである。


「そうだ、ジューダスくん。良ければ今度、僕の剣の手入れをしてもらいたいんだけど、いいかな?」

「構わないが。……自分でやって慣れた方がいいんじゃないか?」

「そんなこと言っても、この剣、扱いが難しいんだよ。ちょっと間違えるとすぐ手入れ用の布を真っ二つにしちゃってさ」

「だから慣れろと言っているんだ」

「じゃあ手入れのコツを教えてよ。ジューダスくん、慣れてるんでしょ?」

「……仕方ないな」


お盆を持って両手が塞がっている僕の代わりにドアを開けたジューダスくんが、肩を竦めて呆れたようにそう言った。僕はその声に含まれた優しさを存分に味わって、上機嫌に笑ってしまう。今にも歌い出しそうな僕をジューダスくんがちらりと見て。調子のいいところはそっくりだな、と誰に言うでもなくそう呟いた。その声も聞こえないふりをして。かちゃかちゃと鳴るティーセットを持ったまま、僕はジューダスくんの後を追いかけるようにして部屋を出る。
ジューダスくんはどこか楽しげに秘密基地のドアに下げられた札を『使用中』から『空き』に戻す。そうして僕たちはただの会議室に戻ったその部屋を、揃って後にしたのだった。




僕らの上でナシラが光る




20200618


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