※カイルお兄ちゃんとエルの話。
(或いは、リアラとジューダスがエルと友だちになる話。)
※ちょっとカイリア風味ですがふたりにとってはいつものことです。
穏やかな昼下がり。街は程よく賑わっていて、あちこちからいい匂いがする。わたしとカイルとジューダスは三人で街へと買い出しに来ていた。こうして三人で出掛けるのにも慣れたもの。すぐにどこかへ飛び出そうとしてしまうカイルの隣にわたし、その反対側にジューダスが並んで、わたしたちは街を歩き回る。カイルはそれでもすぐに飛び出していってしまうから油断してはいけないのだけれど。
「あれ?」
「……おい待てカイル!」
ほら、言ってる傍から。カイルの青い目がきょろりと路地裏の方を見たかと思うと、弾丸のようにあっという間に駆けて行ってしまう。ジューダスが止める暇もない。彼のつんつんといつも元気な金髪は人混みに消えてしまった。ジューダスがはああ、とこれ見よがしに溜め息。呆れたような、疲れたような顔をするジューダスにわたしは苦笑して。さて、とカイルの姿を探す。
「カイル、どこに行ったのかしら」
「あいつの首に縄でも付けておいたらどうだ」
「縄を付けるより、わたしたちで手を繋いでいた方がよっぽどいいかも」
「……そうかもしれんな」
そんなくだらない話をしながらわたしとジューダスは街を見渡す。カイルは一体何を見つけて走って行ったのだろう。いつもなら飛び出す前にお腹すいた、とか何あれ面白そう、とか。そんなことを言っているから見つけやすいのだけど。今回は何も言わずに行ってしまったから難易度が高そうだ。
ジューダスの眉間にどんどん皺が寄っていくのがわかる。それはそうだ。ジューダスの両手にはたくさんの荷物。それも結構重たいものばかり。わたしも細々とした荷物を抱えている。買い出しの帰りだったのだ。散々歩き回ってさあ帰ろうとした矢先。あと少しで街を出るというそのタイミングで、カイルが走り出してしまった。それは文句も言いたくなるだろう。ところで、カイルもジューダスと同じくらいの荷物を抱えていたはずなのに、どうしてあんなに俊敏に動けるのだろう。閑話休題。
「……やだっ!帰らないっ!」
通りがかった路地裏。響くのは幼い声。どこか聞き覚えのあるその声に、わたしとジューダスは顔を見合わせる。声の発信源へ足を向けて、そこにしゃがみこんでいる探し人を見つけた。ほっと息をつくジューダスにわたしは笑ってしまう。ジューダスったら、何だかんだ言ってカイルのことが心配だったんじゃない。
「……カイル」
「あ、ジューダス!リアラも!ごめん、もしかして探した!?」
「当然だ、このバカ!いつもいつもお前は……っ!」
「わーっ!ごめんって!」
今にも掴みかからんばかりの勢いのジューダス。そんなジューダスの鬼気迫る表情を見て慌てたように立ち上がるカイル。そして、彼の影に隠れていた小さな姿を見つけたわたし。
「エル?」
長い亜麻色の髪をふたつに結って、トレードマークの黄色のリュックを抱え込んで。俯いて、地面に座り込んでいるのはエルだった。わたしの声に顔を上げたエルは、リアラ、とわたしの名前を呼ぶ。その顔が不貞腐れているように見えたのはきっと気のせいではない。
「ほら、エル、帰ろう?ルドガーも心配してるって」
「いやですー!絶対、ぜーったい帰らない!」
カイルの手を払い除けてエルはそのまま顔を隠してしまう。困ったように眉尻を下げるカイル。ジューダスは怒鳴った後にエルの存在に気付いたのだろう。どこか気まずそうに視線を彼女から逸らしていた。
そういうわたしも、小さい子とはどう接したらいいのかよくわからない。カイルは自然にしてたらいいんだよ、と言うけれど、どれが自然なのかわからなくなるのだ。以前、ホープタウンでナナリーの弟妹たちに囲まれたとき。どうしたらいいかわからなくてロニに助けを求めたら、ロニはまるで小さい子にするようにわたしの頭を撫でて、それだけ。ああいうのが自然なのかな、と思ったけれど、わたしには難しそうだと首を振って諦めた。
「なあ、エル。どうしたんだよ。何があったの?」
立ち上がったままだったカイルが地面に腰を下ろした。エルの正面に座って、彼女の顔を覗き込もうとする。エルはそんなカイルの視線から逃げるようにいやいやと首を振った。エルの小さな手は自分の服をぎゅっと握り締めている。そんなに強く握り締めたら痛いだろうに。
「エル、オレたちが聞くからさ。話してみなよ」
「……やだ」
「どうして?」
「だって、カイル、ぜったいエルが悪いって言うもん」
「そんなの聞いてみないとわかんないよ」
「カイルが言わなくても、リアラとジューダスが言うかもしれないじゃん」
「二人はそんな人じゃないって」
わたしとジューダスは再び顔を見合わせる。果たして、目の前にいる彼は本当にカイル・デュナミスなのだろうか。そんな顔でわたしを見るジューダス。きっとわたしも同じような顔をしてジューダスを見ているに違いない。
だって、カイルがものすごく優しい声でエルに話しかけるから。仕方ないなあと苦笑するカイルがあんまりにもいつもと違って大人びているから。びっくりして声が出ない。だって、いつものカイルは。ロニにからかわれて騒いで、騒いではジューダスに怒られて、ナナリーのご飯にはしゃいで、ハロルドの実験から大きな声を上げて逃げ回って。わたしがデートに誘ったら顔を真っ赤にしてくれる。それがいつものカイル。だからこんなに優しい顔をしたカイル、初めて見る。びっくりして、なんだかどきどきして、心臓がひっくり返りそうだ。
「エル」
「だって、……だって、ルドガーが、」
カイルが優しい声でエルの名前を呼ぶ。エルの声に涙が混じる。ぎゅう、と今度はカイルの手を掴んで、カイルはその手をそっと握り返した。ああ、羨ましい。って、そうじゃなくって。
「ルドガーが、怒るんだもん。エル、トマト嫌いって、言ってるのに……、ルドガーがね、」
「うん。ルドガーが?」
「ちゃんとトマト食べないとね、アイボー失格だって、言うから、エル、エルね……、」
「そっか、エルは悲しかったんだな。エルはルドガーの相棒なのに、って」
こくりとエルが頷いた。カイルはエルの手を少しだけ強く握って、話を促すように彼女の手を軽く振る。
「……ルドガーはね、エルのこと、別にアイボーって思ってないのかなって、思って、」
「うん」
「そしたら、……エル、ばーって、なってね、」
「うん」
エルは勢いよく顔を上げた。その大きな目にはいっぱいに涙が溜まっていて、頬には幾筋も涙が伝った跡があった。くしゃりと歪んだ顔。
「ルドガーなんかきらいだって、言っちゃった……っ!」
わあん、とエルはとうとう声を上げて泣き出してしまった。悲しくて悲しくて仕方ないという泣き声に、なんだかわたしの心までずきずきと痛くなる。慰めてあげたいけれど何を言えばいいんだろう。助けを求めるようにジューダスを見たけれど、さすがの彼も小さな子どものあやし方は知らないらしい。ひどく戸惑った様子でおろおろと狼狽えている。今日は珍しい姿をたくさん見る日だ。
「エル、やっぱり帰ろう?」
カイルの声にエルは激しく頭を振る。帰れないよ、ルドガーに嫌われちゃったもん、涙混じりの声でそう言うエルの背中をとんとんと優しく撫でて。カイルはそのまま小さなエルを抱き締めた。エルはカイルにしがみついてわんわんと泣く。
その声があんまり悲しそうで。わたしはたまらなくなって、ポケットからハンカチを取り出してエルの涙を拭いてあげた。エルはそんなわたしの手を掴んで握り締める。小さな手はびっくりするくらいに熱くて、わたしは思わずジューダスを振り返った。ジューダスは、何故僕を見る、とでも言いたげな顔でこちらを見るばかりで役に立つアドバイスはくれそうにない。
「エル、帰ろう。それから、ルドガーにごめんなさいしよう」
「やだ、やだあ……っ!だって、エル、ひどいこと言ったんだよ?……ルドガー、もうエルのこと、きらいだもん……っ」
「大丈夫だよ。オレも、リアラとジューダスも、一緒にごめんなさいするから。エルと仲直りしてくださいってお願いするから」
「ほんと……?」
エルがカイルの肩から顔を上げる。間近に光る青緑の瞳にどきりとして、わたしは慌てて頷いた。エルはそのままジューダスにも視線を送る。後ろからからんと軽い音がした。姿は見えないけれど、ジューダスもわたしと同じように慌てて頷いたのだろう。エルはぐすりと一度鼻を啜って、カイルに身を預ける。
「エル、ちゃんとごめんなさい、できるかな……」
「大丈夫だって!」
カイルの明るい声。エルが真っ赤になった目でカイルの笑顔を見る。
「エルはえらいから、ルドガーとちゃんと仲直りできるよ」
その百点満点のカイルの笑顔に、エルがふにゃりと目元を緩めた。安心したのだろう、彼女の目にもう涙はない。
「……うん。カイルが、そう言うなら、エル、がんばる」
小さな声。カイルはエルの頭をぐしゃぐしゃと撫でて、エルはやめてよおとけらけら笑う。よかった、やっと笑ってくれた。ずっと詰めていた息をほうと吐き出して、エルを抱き上げたカイルの荷物を半分持つ。もう半分は既にジューダスの両手に下がっている。先程までの困惑しきった顔はどこへやら、何食わぬ顔で先頭を歩き始めるジューダスに、わたしは笑ってしまうのだった。
「カイル、エルひとりで歩ける!」
「そうかあ!エルはえらいなあ!」
「エルのことバカにしてるでしょ!」
「あはは!痛い痛い!」
エルを抱き抱えたままカイルはくるくるとその場を回り始める。小さな拳でカイルの胸を叩いていたエルもそのうち楽しそうなはしゃぎ声を上げて。そうして、やがてその声も聞こえなくなる。わたしはそうっとカイルの腕の中を覗き込んで、穏やかな寝息を立てるエルに顔が綻ぶのを感じた。ああ、かわいいなあ。
「リアラ、ジューダス。荷物持ってもらっちゃってごめん」
カイルはエルを起こさないように小さな声でそう言って、わたしとジューダスの隣に並ぶ。ジューダスはちらりとカイルに抱えられているエルを見て、そうして小さく笑った。
「そういえば、お前も兄貴分なんだったな」
「え、それどういう意味!?」
「そのままの意味だが?」
バカにされたと思ったのだろう、カイルはジューダスに文句を言うが、ジューダスはなんでもないような顔で先を歩く。その横顔が楽しそうで、わたしはつい笑ってしまう。素直に見直したって言えばいいのに。
「かっこよかったわよ、カイル」
「え!?本当!?」
へへ、と照れたように笑うカイルはいつも通りのわたしたちの知っているカイルで。でも、エルをあやしていたあのカイルも間違いなくカイルで。わたしはなんだか嬉しくなってしまった。わたしの知らないカイルを新しく知れたこと。嬉しくて、やっぱりわたしは笑ってしまう。
「あれ、リアラ。もしかしてオレのことからかった?」
「さあ?どうでしょう?」
ひどいよリアラ、という声を背中に受けながらわたしはジューダスの隣に並ぶ。ジューダスはちらりとわたしの方を見て、それからゆっくりと目を細めた。こんなに楽しそうなジューダスは久しぶりに見る。それにも嬉しくなって、今にもステップを踏んでしまいそう。残念ながら、腕の中のたくさんの荷物がそれを許さないのだけれど。
「リアラ!ジューダスも!なんで笑ってるんだよ!」
カイルの不服そうな声に、わたしとジューダスはくすくすと笑い声を上げる。カイルのことを見直したから。それが嬉しかったから。その答えは、わたしたちふたりの心の中に。
ピンキーキャンディーをひとつぶどうぞ
「カイル!」
わたしとカイルとジューダスは今日も今日とて買い出し係。今週はわたしたちの番だから仕方ないけれど、昨日たくさんの荷物を持ったせいで両方の腕が少し痛い。そんなわたしを余所にいつもの倍の荷物を抱えていたはずのジューダスはぴんぴんしている。細い腕だけどさすが鍛えているだけはあるなあと感心してしまった。本人には絶対に言わないけれども。
カイルを呼ぶ声に三人揃って足を止める。カイルの足元に飛んでくるのは小さな子ども。わあ、と驚いたようなカイルの声に満足そうに顔を上げたのはエルだった。
「三人でお買い物?」
「そうだよ!エルはどうしたんだ?」
「べ、別に!カイルが見えたから!なんとなく!」
口ではそう言いながらもエルはすっかりカイルが気に入ったのだろう。彼の手を引いてじゃれついている。かわいいけれど、やっぱり羨ましい。
「エル、昨日はちゃんとルドガーと話せたんだろ?」
「うん!ルドガーがね、言いすぎたーって言うから。エル、ルドガーのこと許してあげたの!」
「エルは?ルドガーに嫌いだって言ったこと、ちゃんと謝った?」
う、と言葉に詰まるエル。じわじわと頬を染めて、小さく小さく頷く。カイルはそんなエルの頭を昨日のようにぐしゃぐしゃと撫でて、エルはそんなカイルの手を迷惑そうに払う。
「えらいぞ、エル!」
「もー!子どもあつかいしないでよね!」
今にも抱き上げんばかりのカイルの勢いに、それでもエルは嬉しそう。わたしとジューダスはそんな二人の様子を一歩離れたところから見ていた。だって、何を話したらいいかわからない。
カイルと楽しそうに笑っていたエルがふいにその大きな瞳にわたしとジューダスを映す。思わず固まってしまうのは無理もないことだろう。だって、だって、どうしたらいいかわからない。
「リアラ、ジューダス」
「どうしたの?」
「……なんだ」
エルはカイルから離れてわたしたちの前にやってくる。もじもじと両手を弄ったかと思うと、その両手をわたしたちの方へと差し出してきた。顔を赤くして、エルはそれでも真っ直ぐに。わたしとジューダスを見ていて。
「あ、あのね!その、……昨日は、ありがと」
エルは右手でわたしの手を、左手でジューダスの手を掴んだ。きょとんとするわたしたちに、エルはなおも頬を赤く染める。手を掴んだまま何も話さなくなってしまったエルにわたしたちは顔を見合わせる。きっとわたしたちはおんなじ表情をしているだろう。
「……しょーがなく!」
「しょうがなく?」
エルの言葉をオウム返し。わたしの声に勢いづいたのか、エルがきっとわたしたちを睨みつける。
「カイルが!リアラとジューダスの友だちになってあげてほしいって言うから、しょーがなく!」
顔を熟れたトマトのように赤くして、目をほんの少しだけ潤ませながら。エルは、にっこりと。笑って、わたしとジューダスの手をぎゅっと握った。
「しょーがないから、エルがふたりの友だちになってあげる!」
そう言ってエルはわたしたちの手を離す。カイルとハイタッチしてアジトへと駆け戻っていくエル。少し離れた場所にルドガーさんとユリウスさん、それからルルの姿が見えた。エルは勢いよく二人と一匹に飛び付いて、しっかりと二人に受け止められる。エルの両方の手をルドガーさんとユリウスさんが優しく握って、そうして仲睦まじくアジトの中へ戻っていく。
そんな一部始終をぼんやりと見つめて、わたしは、わたしとジューダスは、お互いの顔を盗み見て。
「ジューダス、嬉しそうね」
「そういうリアラこそ」
耐えきれなくなって、笑い声を上げる。そこにカイルの分の笑い声も混ざって、三人分の笑い声が空に溶けていく。
これは、わたしとジューダスに小さくてかわいい友だちができた日の話である。
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