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(リオンとジューダス)




読書に夢中になっていたらいつの間にか持参したティーポットが空になっていた。そんなに飲んでいなかったと思ったが、背向かいに座っていた女の傍らにカップがひとつあったので、知らないうちに奪われていたのだろう。溜め息をひとつ。読んでいた本を畳んでティーポットを持つ。次は甘いのがいいわ、という女の声を無視して部屋を出た。
くすくすと小さな笑い声が聞こえた。食堂の扉から見えるのはふたり。リオンとマリアンだった。リオンはいつもの仏頂面はどこへやら、まるで幼い子どものように笑っているし、マリアンはそんなリオンを慈愛に満ちた目で見守っている。いつかの自分が脳裏を過ぎる。それでも胸を満たすのは嫉妬ではない。ただただ穏やかなその感情は、きっと自分ひとりでは得られなかったものだ。


「……何の用だ」


その空間を邪魔するまいと静かに食堂に入ったのだが、当然ふたりに気づかれてしまった。リオンは先程までの笑みを消し、いつもの仏頂面でこちらを睨んでいる。マリアンはそんなリオンと僕を見比べて困ったように眉を寄せていた。僕は笑う。


「紅茶を取りに来ただけだ。用が済めばすぐに出て行く」


戸棚から薬缶を取り出して水を注ぐ。コンロに薬缶を置いて火をつけて。僕はぼうっとその火を眺める。リオンの厳しい視線には気づかないふりをした。


今日のような穏やかな日。マリアンとシャルと小さなお茶会をしたことを思い出す。シャルの言葉は代わりにマリアンに伝えて、三人でなんでもないことをただ話す。昨日あったこと、今日あったこと、明日あるはずのこと。楽しい話も、悲しい話も、マリアンとシャルはなんだって聞いてくれた。僕にとっての世界は、確かに。彼らだけで作られていた。そんな過去。
ふいに、口から歌が漏れた。いつもの歌。カイルたちが歌っているから移ってしまったその歌が、僕は案外気に入っていた。優しくて、あたたかくて、穏やかで、愛に満ちた歌。僕には程遠いものだと思っていたのに気がつけば手の中にあったそれ。その名を、幸せという。そんな歌。


ピィ、と甲高い音に意識を戻す。薬缶からひっきりなしに水蒸気が溢れて、僕は慌てて火を止めた。そして注がれている視線に気づく。リオンとマリアンが、驚いたような顔でこちらを見ていた。


「……何か用か?」


問い掛けるが答えはない。もとより期待もしていない。僕はティーポットにお湯を注ぎ、新しいカップをいくつか手に取った。そうっと盆に乗せ、そうして再び歌を口ずさむ。
リアラとナナリーがケーキを焼いたと言っていた。カイルとロニが洗濯物を干し終わって戻ってきたら一緒に食べようとも。カイルとロニはそろそろ仕事を終わらせて戻ってくるはずだ。リアラとナナリーがケーキの準備をしている間にすっかり本の虫となっているハロルドを捕まえてこなければならない。
あの頃の自分では想像もできなかった、想像することもしなかった幸せが、今ここにある。紅茶と、ケーキと、それから子守唄。僕は精一杯その幸せを享受して、もう少しだけ、彼らと共に未来を生きるのだ。




20200225


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