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(ジューダスとハロルド)




このアジトにはたくさんの本がある。普通の小説から図鑑、歴史書、専門書、絵本に漫画。ありとあらゆるジャンルの本が詰まっている。どこから集めてきたのだか、様々なジャンルの本が雑多に詰め込まれた本棚。本棚に収まりきれなかったのか床に積まれているものもある。キール研究室の蔵書、と雑に書かれた紙が貼られたエリアには今にも崩れんばかりに本が山積みになっているし、エステルの読書会用、と綺麗な字で書かれた札が立てられている本棚にはこれでもかというほど物語が詰められている。


調べ物のために訪れたそこ。すっかり図書室と化しているその部屋には、窓際に小さな椅子と机が心ばかりに置いてある。いつもなら誰かしらがそこで本を読んでいるし、それどころか床に寝転がって自分の部屋のように本を広げている人間もいる。私だって例外ではない。
そんな図書室は、今日に限っては人の気配がなかった。ミーティングだ、とキールが息巻いていたから、キール研究室の面々はどこか一箇所に集まっているのだろう。エステルの読書会は不定期開催と言っていたから単純にタイミングがよかっただけかもしれない。


さて、と目的の本を探そうとして、微かに本を捲る音がした。次いで聞こえてくるのは小さな小さな、吐息とも取れるような小さな歌声。低すぎず高すぎない、少年のようで大人のような。そんな声音で歌が紡がれている。この声にも、この歌にも。私は聞き覚えがある。天才である私は一度聞いたことは忘れないけれども、こればっかりはきっと、天才以外でも覚えているだろう。それくらい珍しい歌声。


本を選びながら窓際に視線を遣った。かさり。かさり。ページを捲る音と、小さな歌声。陽の光を浴びながら本を読む仮面の男。表情は穏やかで、随分と機嫌がいいらしい。私は笑ってしまう。
男が口ずさむのは私も聞き慣れた歌だった。旅を共にする子どもたちが何かにつけて歌っている歌。子守唄なのだという。優しい旋律に、この歌を作った人間は愛に溢れていたのだなと思った。私が生きた時代に足りなかったもの。それでも確かにあったもの。優しさや愛や勇気や、幸せや。そんなものを詰め込んで、ぐつぐつと煮込んでジャムにしたような。そんな甘い甘い歌。そりゃあ、口ずさめばあんなにやわらかい表情にもなってしまうだろう。


私は目的の本を数冊手に取って、歌の発信源へと無遠慮に近づいていく。そうして、彼の座る背向かいの椅子に腰掛けた。本を広げる。男は歌をやめない。驚く様子がないことから、図書室に誰か来たことにも気づいていたし、それが私であることもわかっていたのだろう。歌は続く。
ぺらり。かさり。本を捲る音がふたり分。重なって、部屋に響く。気づけば私の口からは男が歌う歌と同じものが飛び出していた。口ずさむ。優しい優しい、甘い歌。幸せを願って誰かから誰かに歌われた子守唄。歌声がふたつ。静かな図書室に響く。
背中を向けているから顔は見えないけれど、男は酷く幸せそうに笑っているに違いない。だから私も負けじと笑う。たまにはこんな日があってもいいのだと。いつか、たったひとりの兄と過ごした昼下がりを思い出して。私は笑って、後ろから聞こえてくる歌声にそっと耳を澄ませた。




20200225


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