haikyu!! | ナノ







無数のフラッシュ。ざわざわとさざ波のように聞こえる人の声。目の前に立つ記者たちからは隠しきれない興奮が見える。
頬を伝う汗。それをぞんざいに拭って、一つのカメラを見据える。記者がマイクを片手に、俺に問う。


「この勝利を、どなたに捧げますか?」


笑え。笑え、笑え、笑え。引っ込め涙。
約束、しただろ。


「……一足も二足も先に飛んでいってしまった、」


――笑え、影山!

聞こえるはずのない声に、はっと顔を上げる。不思議そうに首を傾げる記者。そこに、見慣れた姿があるはずもなく。
俺は奥歯を噛み締めて、必死に、必死に。湧き上がる涙を堪えて。笑う。


「俺の、相棒に」


見てるか、日向。
俺は、ちゃんと約束守ったからな。
次はお前の番だ。約束、守れよ。


フラッシュが焚かれる。眩しい光の、その向こう。
にっと笑って、高々と拳を突き上げる姿が、見えた気がした。




*****




その報が飛び込んできたのは、暑い暑い夏の日だった。
うるさいくらいに蝉が鳴き、生ぬるい風が頬を撫でる。日差しが痛いくらいの、夏の日。
日向翔陽が死んだのは、そんな日だった。


嘘だ、と思ったのを覚えている。
俺が冗談に疎いものだから、みんなしてからかっているんだろう。そう思った。
嘘だ、嘘だ、嘘だ!そう叫びながら、俺は走って、走って。ようやく見えてきた日向の家の前は、白と黒に彩られていた。
多くの人が泣いていた。誰も彼もがこの暑い中、真っ黒な服に身を包んで、ひとりの死を悼んで泣いていた。


嘘だ、と言った。その声が、自分でも信じられないくらいに掠れていた。膝から力が抜ける。地面に崩れ落ちる。
高校時代のような真っ黒なジャージが汚れるのも構わず、そのまま這いずって玄関を目指す。泣いている人々が俺に声を掛ける。なあ、誰か、嘘だって言ってくれよ。果たして俺のその言葉は、誰かに届いていたのか。
俺のことに気付いた人が、俺の名前を呼ぶ。聞き慣れた声だったような気がしたけれど、それもわからなかった。
力が入らない足を叱咤して、立ち上がり、歩く。線香のにおい。強い日差しから逃れた屋内は、ひんやりと冷たい。
何度かお邪魔したことのある日向の家。こんなに冷たくてさびしいところだっただろうか。


人の波に逆らうように廊下を歩いて、一番広い部屋に出る。一際強い線香のにおいに、くらりと頭が揺れた。
たくさんの花と、薄汚れたバレーボールがひとつ。使い込んでいるもの、真新しいもの、様々なバレー用品。新しいモデルのシューズ買ったんだぜ、という日向の声は、ほんの数日前に聞いたものだったはずだ。
日向らしいものと、日向に似合わないものと。たくさんのものに囲まれて、笑うのは、写真の中の日向。日向翔陽。そうして、そこからほんの少し、視線を落とす。


「……んで、だよ」


口から漏れたその声は、自分の声なのかどうなのかもわからないくらい弱々しくて。そんな声を出そうものなら真っ先に俺の背中を殴ってきた日向は、四角い箱の中で、黙って目を閉じている。
白い衣装に身を包んで、たくさんの花に囲まれて。眠っているようにも見えるのに、その頬は青白くて、どうしようもなく、生を感じることができなかった。


「なんでだよ、日向っ!!」


駆け寄る。周囲の人の驚いたような声も耳に入らない。大股で駆け寄って、眠る日向を叩き起こそうと、白い箱に手を掛けて。
息をしていない日向に、今度こそ、立っていられなくなった。


「約束、しただろうがっ!何年先も、何十年先も、俺と同じ舞台にいるって!俺を倒すんだろっ!まだバレーするんだろ!俺のトス打つんだろ…っ!」


縋るように、聞こえるように、起きてくれるように。やっぱり嘘でした、と。誰かが笑ってくれるように。
白く冷たい箱の中から日向が起き上がって、何泣いてんだよ、って。言ってくれるように。


「お前、俺の相棒だろ!全日本で、お前のトス打つんだって……、そう、言ってたくせに……」


叫んで、叫んで、叫んで。それなのに、日向は目を覚まさない。誰かの泣き声が大きくなって、蝉の鳴き声が、遠く、遠く。


「なあ、日向。嘘だろ?」


手を伸ばして、その髪に触れる。
いつもふわふわして、近付くと太陽のようなにおいがして、どこにいても目立った、オレンジ色。ぱさりと乾いた音を立てて、手を滑り落ちる。
その感触に驚いた手が跳ねる。その拍子に、日向の頬に触れて。
ぞっとするくらい冷たい日向の身体。ああ、日向は死んでしまったのだ。と、思った。


そこから先、どうやって家に帰ったのかわからない。あの場にいた誰かが家まで送り届けてくれたような気もするが、わからなかった。
日向に体温を奪われてしまったようだった。がちがちと歯が鳴る。何度擦っても温まらない手。今までそんなこと一度もなかったのに、指先の感覚がない。凍ってしまったのだろうか。


ひどく裏切られた気分だった。約束を守る前に死んでしまった日向が、許せなかった。どうして、嘘だろ、と。問い掛けては、日向は死んでしまったのだ、認めろ、と。頭の中の冷静な部分が吐き捨てる。
もうあの速攻は使えない。俺たちの武器。高校三年間磨き続けた、俺たちだけの武器。世界にも通用する。お互いの空いた時間に速攻を合わせては、そうやって感触を確かめて。
一足先に俺が全日本代表に起用されて。監督にも認められて。世界の舞台で俺たちのあの速攻が見たいと、監督に言わしめて。
ようやく、ようやく。日向とまた、バレーができる。そこまで来たのに。あっさりと日向は死んでしまった。約束を破って、遠いところへ行ってしまった。

ベッドの傍らに転がるボールに手を伸ばす。ぽーん、と弾みをつけて、ボールを上げる。
ぽん、ぽん。ボールが弾む。ひとつ、ボールが弾む度、ひとつ、日向の姿が見えた。
頭が悪い。レシーブがヘタクソ。何かと勝負を挑まれて、俺が勝つと悔しそうに地団太を踏む。人懐っこくて、いろんなところに知り合いがいる。
高く高く、ブロックの届かない位置へと飛ぶ姿。俺のトスを呼ぶ声。ボールを追い掛ける目は肉食獣のように獰猛で、勝利に貪欲で。
俺と張り合うくらいのバレー馬鹿。バレーが好きだと、全身で表現していた。そんな奴だった。


居るぞ、と。声が聞こえた気がして。トスを上げる。ほとんど反射だった。それくらい染み付いた動作。
上げたトスは天井に阻まれて、日向には届かない。もう、日向には届けられない。俺のトスは、届かない。


「ボゲ日向」


床を転がっていくボールを追い掛ける気にもなれなかった。ボールを追い掛けても、繋いでくれる日向は、もういないのだ。


「なんでだよ」


身体に、心に、穴が開いてしまったようだった。認められなかった。認めたくなかった。
俺のバレーに、日向は必要不可欠だった。今更気付いたって遅いのに。
こんなにすぐ死んでしまうのだったら、もっとトスを上げてやればよかった。同じチームに入ればよかった。同じ大学に行けばよかった。そんなことを思った。今更だ。
いつの間にか、日向との速攻で世界をビビらせることを目標にしていた。チビだけど、こいつは飛べる。どんな奴でもかかってこい。と、世界中の人々に向かって言ってやりたかった。
まだまだ試したいことがいくつもあった。同じチームに入ったら驚かせてやろうと、新技だって身に付けた。日向だって同じだけ練習を積んできていたのだ、俺が驚くこともあっただろう。未だ人を褒めるのが下手な俺に向かって、日向が相変わらずだな、と笑って。
日向と一緒に見る頂の景色は、どんなものだったのだろうか。もう二度と、叶わない。


「……なんでだよ……っ」


もっと、日向とバレーがしたい。
もっと、もっと。日向とバレーがしたかった。


涙が出た。泣いたのなんていつぶりだろうか。泣きたくなかった。日向が死んでしまったことを認めてしまうようで、嫌だった。
でも、涙が出る。胸が軋んで、叫び出したいような衝動を、涙に変えることで何とか抑える。苦しくて、苦しくて。
床に転がったボールを手繰り寄せて、抱き締める。ボールに額を付けて、涙を抑え込もうとして。失敗する。次から次に溢れる。
なんでだよ、と口を衝いて出る。なんでだよ、なんでだよ!もう、何が言いたいのかもわからない。涙と、言葉が、止まらない。


「なんでだよ、日向」


意識が落ちる。どうか、夢でありますように、と。願いながら。




*****




体育館の入り口に日向がいた。驚きすぎて、俺はスパイク練習中だということも、トスを上げることも忘れて、呆然と体育館の入り口を見る。俺の上に降ってきたボールが俺の頭で一度跳ね、てんてん、と床を転がっていく。
大丈夫か、何かあったのか、と駆け寄ってくるチームメイトを無視して、俺は日向の方へと走った。日向がいる。前回会ったときよりも小さくなっている気がする。何故か烏野のジャージを着ている。ジャージくらい新しいのを買えよ、と思った。
日向か、と言うと、不思議そうな顔で、おう、と言われた。どうしてこんなところにいるんだ、と言えば、同じチームなんだから当たり前だろ、とこれまた不思議そうな顔をした日向が答える。俺は首を捻った。これから日向が同じチームになる、ということなのか。


「大丈夫か、影山」


誰かに肩を掴まれる。はっとして振り返ると、心配そうに眉間に皺を寄せたキャプテンがいた。よく見ると、チームメイトの誰もが心配そうに、或いは不安そうにこちらを見ている。そうだ、今は練習中だった。


「すみません、大丈夫です」


慌ててポジションへ戻ろうとして、日向を振り返った。日向はそこにいた。何か声を掛けようかと一瞬だけ迷って、結局やめた。これから同じチームならいくらでも話す機会はある、と思った。なぜあらかじめ教えておかないんだ、と憤ったが、それはまた後で言ってやることにする。
ポジションに戻ってチームメイトに謝罪する。頭を下げると、同期のミドルブロッカーが苦笑して肩を叩く。顔を上げろ、ということらしい。
チームメイトは一様に安堵した表情を浮かべていた。よくわからないが、ひとまず練習に戻る。何本かトスミスをしてしまって、益々チームメイトが心配そうな顔をした。日向が見てるってのに、調子が悪い。舌打ちをして、集中。


スパイク練習が終わって、紅白戦。監督の指示で二チームに分かれ、試合形式で練習をする。うまく集中できない。らしくないミスが続いて、チームメイトは心配そうに俺の肩や頭を軽く叩いていく。大丈夫か、というキャプテンの声に、大丈夫です、と返す。二度目だ。
チームメイトの姿に重なって、ちらつく影があった。邪魔だ、と思った。その影を、相手チームのブロックと同じように引きはがそうとして、またコンビミス。相手コートに返らなかったボールが、空しく転がっていく。
苛々が募って、どうしたらいいかわからなくなる。落ち着け、と言い聞かせても心臓が言うことを聞かない。こんなことは初めてで、見かねた監督が試合を中断する。コートから離れて、なんとなく、入り口に立っているはずの日向を見ようとして。


コートの中を駆ける姿が、目に飛び込んできた。


そこからは反射だった。習慣と言ってもいいだろうか。床に転がっていたボールを高く高く投げて、落下地点を見極めてボールの下へ入り、セットアップの姿勢を取って。ボールが落ちてくる。指先に当たる慣れた感覚。ずっとずっと、この感覚を忘れていた気がする。
床を踏み切り、飛び立つ音。見なくてもわかる。ここだ、と経験が告げる。ここに、ボールを、持って行く。

だって、そこには。日向がいるから。


「日向っ!!」


ネット際を飛ぶその姿の名前を呼んで、ボールが、日向の掌に吸い込まれて。相手コートに、落ちる。
静寂。ピピーッ、試合終了の笛が聞こえてくる。そんな気すらした。
スパイクを叩き込んだ日向の背中が。烏野の十番を背負った、その、小さな背中が。


「なにやってんだよ、影山!」


腕を掴まれて、短く息を吸う。同期のミドルブロッカー――金田一が、泣きそうな顔で俺を見ている。相手コートに落ちたはずのボールを持って。
瞬きをひとつ。息を吸って、吐く。どこを見ても、日向はいない。さっきまであんなに存在感を放っていたのに。日向はいない。
どこ行ったんだ、あいつ。体育館を見渡して、烏野の第二体育館ではないことに違和感すら覚えて。ぐるぐると、眩暈がして。強く、痛いくらいに腕を引かれて、金田一を見る。


「お前、なに見てんだよ!ちゃんと俺たちを見ろよ!」


金田一が泣いている。訳がわからず、助けを求めるように視線を彷徨わせる。チームメイトは口を引き結んだまま、身動き一つ取らない。
金田一、と掠れた声で呼びかける。肩を跳ねさせた金田一は、何度も何度も躊躇って、そうして言葉を音にする。


「もう、日向はいないだろ……っ」


日向はいない。金田一の言葉に、がん、と頭を殴られたような衝撃が走った。
開けっ放しにした窓から、秋の冷たい風が入ってくる。蝉の声は、もう聞こえない。入道雲は消えてしまった。

日向はいない。一カ月ほど前に、死んでしまったからだ。


呆然としているうちに練習が終わり、金田一に連れられて家まで帰ってくる。金田一が念を押すように、何かあったら言えよ、と言う。それに頷くだけで返事をして、部屋の鍵を閉めた。ずるずると玄関に座り込む。一体、これで何度目だ。
日向は烏野の十番を背負ってコートの中を走り回り、俺がトスを上げる前に床を蹴って、飛ぶ。俺はそれに合わせてトスを上げて、日向がスパイクを叩き込む。そんな、幻想を。幻覚を。あの日から何度も何度も見た。何度も、何度もだ。
チームメイトは呆れ返っていることだろう。監督が、次の試合は正セッターとして出すのは難しいか、と言っていたのを知っている。金田一は、こうやって俺が日向の影を見る度にああやって泣いてくれる。いい奴だな、と思う。

自分がおかしいと気付いている。どうやっても日向の姿を探してしまうのだ。居るぞ、という声が聞こえる気がして。影山、と名前を呼ばれている気がして。トスを上げてしまう。その先に、誰もいないと知っているのに。あのトスは日向にしか打てないと知っているのに。
何度も何度も。あの日から、一か月とちょっと。繰り返しては、苦しくなる。どうすればいいのかわからない。
誰かに話せばいいのだと思う。例えば、月島や山口に。きっと聞いてくれる。一緒に考えてくれる。日向の姿を追ってくれる。だけど、怖いのだ。痛みを分かち合うのが、怖い。痛みや悲しみや苦しみを分かち合って、溶けてしまえば。日向が死んでしまったことを認めてしまえば。どうなってしまうかわからなかった。


飯を食って、風呂に入って、ストレッチを行って、早々にベッドに潜り込む。目を閉じても眠れない。俺は知っている。ああやって日向にトスを上げてしまった日は、夢を見る。
全日本のチームで、世界の強豪たちを前に、日向との速攻を決めて。ブロックが面白いように日向に釣られて、その隙にチームメイトがスパイクを叩き込む。点を重ねて、試合終了の笛が鳴って。セットカウント三対二。フルセットにもつれ込んだ激闘を制して、表彰式で、一番いい色のメダルを首から下げて。日向とハイタッチを交わそうとして、そこに、メダルだけが落ちている。そんな夢。
眠るのが怖いだなんて、思ったことなかったのに。バレーが怖いだなんて、思ったことなかったのに。


「……何やってんだろうな、俺は、」

「ほんと、影山クンはいつまでうじうじうじうじしてんですかぁ?」


声が聞こえた。日向の声。いつの間に眠ってしまったのだろう。夢を見るから、眠りたくはないのに。
起き上がる。夢の中なのに、やけに思考がクリアだ。目が覚めてしまった気分。いつもと違う夢。一体何なんだ。


「ずーっと見てたけどさ、お前、引きずりすぎじゃね?もっとバレーに集中しろよ!」


ばんばん、とクッションを叩く音がする。ベッドから出て、部屋を見渡す。テレビの前に置いていたはずのクッションが、壁にぶつかって落ちた。
ふわふわ揺れるオレンジ色。夢か。いや、夢だろうけど。


「なんなの?おれにトス上げてるつもりなの?言っとくけどおれ、高校の時より全然飛べるんだからな!あんなんじゃ打てねえよ!」


再びクッションが壁にぶつかる。どうやらオレンジ色の頭をしたそいつがクッションを投げているらしい。壁に跳ね返ったクッションをレシーブ、トス、スパイク。見事に俺の方へと打ち返して、ふんぞり返るそいつは。不満そうな不服そうな、だけどどこか楽しそうな顔をして、俺の前まで歩いてくる。
突っ立ったままの俺を見て、にやりと笑う。ここにいるはずのない、もう二度と見ることのないはずだった顔。


「居るぞ、影山」


ジャンプして俺の頭を叩いた。叩かれたはずだが、感触はない。小さな手は、俺の頭を見事にすり抜けた。


「ひ、なた」

「おう」


名前を呼ぶ。返事がある。どうして、とか、何が起きてるんだ、とか。いろいろ、本当にいろいろなことが、一瞬で頭の中を駆け廻った。
だけど、そのすべてが、喉に詰まって言葉にならない。何か言わなければならないのに、何も言えない。日向がいる。ここにいる。


「……そんな顔すんなって」


呆れたように笑った日向が、俺の頭を撫でるような動作をした。背伸びして、手を伸ばして、精一杯。腹が立ったからその手を叩き落としてやろうと思ったのに、やっぱりその手には触れられない。夢じゃないのだろうか。あまりにも意識がはっきりしている。
俺は今、どんな顔をしている?そんな顔って、どんな顔だよ。何度も俺の名前が呼ばれる。影山、と。日向が俺を呼ぶ。


「日向、」

「おう、なんだよ影山」


ぐしゃりと視界が歪んだ。ぼたぼたと足元に水が落ちる。苦しくて、痛かった。歪んだ視界の向こうで、日向が慌てたように飛び跳ねた。
言いたいことが山ほどあった。言わなければならないことも山ほどあった。とりあえず、それらすべて、今はどうでもいい。何か言うとするならば。ずっとずっと、言いたくて、言えなかった、恨み節。


「なんで、勝手に死んでんだ、ボゲェ……っ!!」


なんでいなくなってしまったんだ。俺は、お前とまだまだバレーがしたかったのに。まだまだ試したいことだってあった。俺の未来に、当たり前にお前がいて、二人で一緒に、世界のてっぺんに立つのだとばかり、思っていたのに。いなくなってしまった。
死んでしまったら、もうできない。一緒にバレーをすることができない。ボゲ、と怒鳴ることもできない。些細なことで競い合うこともできない。速攻だって決められない。お前があんなに欲しがってたトスだって上げられない。日向、と名を呼んで、影山、と名を呼ばれることもできない。お前、何勝手に死んでるんだよ。何で死んじまったんだよ。

ずっと言いたくて、誰にも言えなくて、苦しくて。そんな言葉たちを、吐き出した。日向は黙ってそれを聞いていた。時折、掠れたような小さな声で、ごめん、と聞こえた。ごめんで済むなら今すぐ生き返りやがれ、と言った。そりゃ無理だって、と日向は困った顔をする。
延々と恨み節を聞かせた。日向が死んでからの一か月、俺がどんなことを考えていたか。大体見てたから知ってる、と事も無げに日向は言う。いつの間にか俺の手の中にはボールがあって、日向に向かってパスを出した。どうやら物には触れるらしく、パスを返してきた。室内でパス練。天井が高い部屋でよかった。

日向に放つ言葉がボゲ、アホ、ボゲ、くらいになってきた。一頻り喋ったら急激に睡魔が襲ってきたのだ。時計を見ると、いつもならとっくに眠っている時間だった。日向がボールをキャッチして、ベッドを指差す。


「とりあえずさ、お前、寝たら?明日も朝練あんだろ?」

「テメェ、寝てる間にどっか行くつもりだろ」

「おー、ちょっとその辺まで」


ベッドに潜り込んで、ふと不安になる。これが夢だったらどうしよう。まだ、日向に話せていないことがたくさんある。眠たくて閉じかけている瞼を必死にこじ開けて、ひとりでボールと戯れている日向を睨み付ける。ヒッ、と小さく悲鳴を上げられた。


「あー、夢じゃねえし、おれ、ちゃんとお前が起きる頃には帰ってくるから。そんな睨むなって」


ボールを俺の方へ投げて、日向がひらひらと手を振った。飛んできたボールは、スパイクの要領で腕だけで打ち返す。絶対に当たると思ったのに、ボールは日向の身体をすり抜けた。どうなってんだ、その体。


「……まだ、話したいことがある」


だから、今度は勝手にいなくなるな、と念を押す。日向は頷いて、了承する。まだ、話したいことがある。話さなければいけないこともある。
目を閉じる。何故だか、今日はいつもの夢を見ない気がした。近くで、おやすみ、という日向の声が聞こえたからかもしれない。




*****




翌日の朝練は好調だった。いつも通り、スパイカーに合わせたトスが上げられる。サーブもスパイクもいつもより決定率がいい。金田一が安心したように肩の力を抜いていたのがわかった。心配かけてたんだな、と気付く。
日向は朝練にはいなかった。おれの姿が見えたら、お前、おれにトス上げるだろ!とからかうように笑われたが、何を当たり前のことを、と思ったので思ったことをそのまま言い返してやった。日向は物凄く複雑そうな顔をして、どーも、とだけ言った。何が不満なんだ言ってみろ。

朝練が終わって、夕方の練習まで特に用事はないので一度家に帰る。金田一も同じような感じだったらしく、途中まで一緒に帰った。お前、今日顔色いいな。よかった。と金田一は言う。首を捻ると、金田一は苦く笑って、キャプテンも監督も、みんなずっとお前のこと心配してたぞ、と言った。きっとその"みんな"の筆頭は金田一だったんだろう。何かと声をかけてくれていたことを思い出した。
俺の家の前で金田一と別れる。また、夕練で。手を振って、階段を登る。三階の、右から五番目の部屋。鍵を開ける。


「おかえりー」


間延びした声に脱力する。靴を脱いで、部屋に入る。飛んできたボールをキャッチして、けらけら笑う日向に打ってやった。簡単にレシーブされて腹が立ったが、それはまあいいとする。
日向の前に座り、ボールを投げる。昨日もやっていたパス練だ。こいつと何か話すときはボールを触っていることが多かった。そのままなんとなく慣習化して、日向と話すときはパス練をすることにしている。ボールが返ってくるのを待っていたが、予想に反して日向はボールを片手でキャッチしてしまった。


「お前、その前にメシ。ちゃんと食えよ」


俺の腹の虫が盛大に鳴いた。そりゃそうか。家を出る前にセットしていった炊飯器からほかほかの米を丼に盛った。冷蔵庫から卵を二つ取り出して、ついでに戸棚から醤油も持ってくる。インスタントの味噌汁の袋を開けてお椀に入れ、お湯を注ぐ。
それらを全部テーブルの上に載せ、箸を取り出して。いただきます、と言うと、はいどうぞ、と声が返ってきた。お前が作ったわけじゃねえだろ。


「今日は朝練なにしてきたんだ?」

「あ?普通にサーブ練して、パス練、スパイク練……。あとは紅白戦」

「へー!あ、そういえばお前、金田一と同じチームだったよな?あいつどうなの!?」

「どう、って……、別に、ふつう?」

「普通ってなんだよ!!」


こんなに賑やかな朝食はいつぶりだろうか。二、三か月前くらいに日向がうちに泊まりにきた日以来だろうか。チームでの合宿ももちろんあるが、チームメイトはみんなここまで騒がしくない。朝練前の軽食の時間も、朝練後の朝食の時間も、黙々と食事するやつの方が多いだろう。
そういえば高校の頃はいつも澤村さんや縁下さんに怒られてたな、こいつ。なんとなく思い出しながら卵かけご飯を口の中に掻き込んだ。味噌汁で流し込む。


「影山、今日これから何すんの?」

「今日は夕練まで何もねえ」


飯を食い終わるか食い終わらないかのタイミングで日向がそう問い掛けてきた。卵かけご飯の最後の一口を飲み込んで、食器を重ねる。
重ねた食器を流し台に突っ込んで水を流す。スポンジを泡立てて食器を洗い、食器を乾燥させるためのカゴに並べて置いた。瞬間、腰のあたりにボールがぶつかる。


「ボゲ日向!危ねぇだろ!」

「夕練までバレーしようぜ!!」


跳ね返ってきたボールをキャッチした日向が笑う。どこまでバレー馬鹿なんだ、こいつ。自分のことは棚に上げて呆れてしまう。
きらきらした目でこちらを見てくる日向に、何と言おうか迷ってしまう。バレーって言ったってどこでやるんだよ、とか、二人で何するんだよ、とか。パス練なら昨日もやっただろ、とか。でも、一番気になるのは、やはり。


「お前、俺以外の人に見えねーんだろ。どうするんだよ」

「はっ!!」


気付いてなかったのかよ。衝撃に目を丸くしてボールを取り落す日向に、思わず笑ってしまった。こういうバカなとこ、変わってないな、本当に。


「な、なに笑ってんだ!」

「ユーレイのくせに」

「幽霊だってバレーやりたいんだよ!!」


床に転がったボールを拾って、ちらりと時計を見る。朝十時過ぎ。夕練まではまだまだ時間がある。少しくらい遠出してもいいか。
朝練で使った服やタオルを洗濯機に放り込んでスタートボタンを押す。空になった鞄に代わりの着替えとドリンクとボールを入れて、鞄を背負う。日向はぽかんとこちらを見ていた。


「どこ行くんだよ?」

「あ?バレーするんじゃねえのかよ」

「いや、したいけど。おれ、他の人に見えないし。お前が変な奴みたいになるじゃん」


靴を履いて玄関を開けても日向は眉を寄せて動こうとしない。そんな殊勝な態度を取られると思っていなかったので、今度はこちらがぽかんとしてしまった。
一応、自分が幽霊だってことは気にしていたらしい。あんまりにも生きていた頃と同じようにしているので、実は自分が死んだことにも気付いていないんじゃないかと思っていた。どうやらさすがに気付いていたようだ。


「とりあえず行くぞ。お前、チャリの荷台な」


ようやく外に出てきた日向を確認して、玄関の鍵を閉める。そのまま階段を下りて、駐輪場へ。一台の自転車を引っぱり出して、タイヤがパンクしていないことを確認する。何せ、自転車に乗るのも久しぶりだ。
自転車にまたがって、日向が荷台に乗ったことを確認する。重さは感じなくて、やっぱり幽霊なのか、と妙に感心する。それと同時に、いつだったかのように胸のあたりが軋んだ気がした。

自転車のペダルを踏み締め、最高速度を出す。後ろで日向が騒いでいる。静かにしろ、と怒鳴ってやりたいが、傍から見れば何もないところに怒鳴りつけている怪しい人間だ。我慢する。
風を切って、ほんのりと紅葉した木々の隙間を走り抜ける。ひらりと降ってきたもみじの葉を掴んだ日向がドヤ顔をしていたのが視界に入る。落としてやろうかと思ったがやめた。目的地はまだもう少し先である。
街中を通り過ぎ、閑静な住宅街を抜け、まだ自転車を漕ぐ。段々と住宅がまばらになってきて、自然の方が多くなった。道もあまり整備されておらず、草が生えっぱなしだ。落ち葉や草にタイヤを取られないように慎重にハンドル操作する。日向は、実家の周りと似ている、とはしゃいでいた。

川沿いを走り、上り坂を上って、田んぼのあぜ道を抜ける。そうしてようやく、目的地が見えてくる。他の住宅より少しだけ大きな建物。丸い屋根は塗装が剥げかけているが緑色をしている。
建物の前で自転車を停める。さすがにここまで来れば日向でもわかったらしく、歓声を上げて飛び上がった。荷台から飛び降りた日向が音もなく建物に駆け寄っていく。


「体育館じゃん!スゲー!なんでこんなとこ知ってんだよ!!」

「前に自転車でこの辺うろついてるときに見つけた。廃校になった学校の体育館みたいだな」


体育館の扉の鍵は風化して壊れており、中には誰でも入れるようになっている。この体育館を見つけてすぐ中を掃除したから、多少は使えるようになっているはずだ。窓ガラスも割れているから落ち葉は入ってきているが、少なくともガラス片なんかは落ちていない。
体育館の扉を開けて、中に入る。日向はスゲースゲーとそればかり言っている。こういうの何て言うんだったか。馬鹿の一つ覚え、と呆れたような月島の声が聞こえた気がした。


「ネットある!スゲー!!」

「いいからモップ掛けしろ。転ぶぞ」

「おれは転ばないですー!なんてったって幽霊だから!」

「俺に怪我させる気かボゲェ!!」


体育館の隅に置いてあるモップを手に、日向が走り出す。今更だけど、あいつなんで物には触れるんだろうな、と不思議に思うが、それはまあ今はいい。もうひとつあるモップを手に取ったのを見るや否や、日向はにやりと口角を吊り上げた。


「どっちが多くモップ掛けできるか競争だー!」

「はぁ!?テメ、ずりぃぞ!!」

「早いモン勝ちですぅ!」


日向が向かったのと反対側へ走り、モップ掛けを始める。うおおおお、と喧しい声を上げながら走る日向に負けてたまるかとスピードを上げる。こちらがスピードを上げれば当然日向もスピードを上げる。最終的に、丁度ネットの真ん中辺りで俺と日向の持っていたモップがぶつかった。引き分けだ。
ぜえぜえと息を切らしている俺とは対照的に日向は息ひとつ切らしていない。くそ、これだから幽霊は。


「影山、トス!トス上げて!!」


モップを片付けて、準備運動をして。ストレッチも充分に行って。ようやくボールを鞄から取り出した俺に、日向は犬のように飛び上がって喜んだ。そのままコートの真ん中あたりまで走って、早く早くとジャンプする。
日向にボールを渡し、セッターの定位置に付く。日向が俺の頭上に向かってボールを投げる。そして走る。

――ああ、この感じだ。

懐かしくて、待ち望んでいて、感極まったように指先が震える。日向が飛ぶ位置がわかる。タイミングがわかる。高さもわかる。ここ、このタイミングで。
ふわりと、トスを上げる。何千、何万と上げた、日向への。トスを上げる。


「ドン、ピシャ……っ!」


日向が叫ぶ。ボールの真芯を捕えた音がする。相手コートに突き刺さるボール。その音が、誰もいない体育館に響き渡る。
残響音。日向の息遣いが荒い。幽霊のくせに。じっとボールを打った手を見て、その手を、強く強く、握り締めて。


「「よし……っ!!」」


俺と日向の声が、重なった。そうして、いつかのように、ハイタッチ。その手は、甲高い音を奏でることなく、すり抜ける。
わかっていたのに。わかっているのに。胸が、心が、ぎりぎりと音を立てて軋む。涙が出そうなのを、必死に堪える。泣くな、泣くな。


「影山!」


日向に呼ばれ、そちらを向く。両手を固く握り締めて、歯を食いしばって、自分だって泣きそうな顔をしながら、日向が笑う。


「もう一回!」


両手を突き上げて、ボールを拾いに走る。そして、先程の位置に戻っていく。早く早くとせかすように飛び跳ねる。
こんなにおんぼろな体育館なのに、烏野の第二体育館を思い出す。月島がいて、山口がいて、二、三年の先輩たちがいて、マネさんがいて、日向がいて。高校なんてとっくの昔に卒業したのに、三年間も過ごしたのに、思い出すのはやっぱり、自分たちが一年だった頃のチームメイトだった。
懐かしくて、懐かしくて、もう二度と戻らなくて、たまらなく、苦しい。だけど、今ここには日向がいる。まだ、いてくれてる。だから、だから。


「今日は好きなだけ上げてやる!」


まじかよ、と目ん玉が飛び出るくらいに目を見開いて、次の瞬間には全身で喜びを表現している。こういうとこも何年経っても変わらねえな、と笑ってしまう。
鞄から携帯を取り出して、キャプテンにメールを入れる。今日の夕練休みます。簡素な一文を送信。キャプテンからはすぐに、了解、ゆっくり休めよ、と返信があった。バレーするから休みますだなんて言わなくてよかった。




*****




「影山バテてんのかー!トスの精度落ちてんぞ!」

「うるっせえ!何本目だと思ってんだボゲェ!日向ボゲェ!!」


体育館に到着した頃にはまだ高かった日も、段々と沈みかけている。夕日が照らす中、もう何本目かも覚えていないトスを上げた。あれだけ打っているというのに、日向は飽きもせずトスをねだってくる。いい加減違うことがやりたいと言ってくるのではないかと思っていたが、杞憂だったようだ。
途中から、空になったドリンクのペットボトルを置いて、コースの打ち分けをやり始めた。最初はちっとも当たらなかったのに、回数を熟すごとに照準があってくる。そろそろ倒せるのではないだろうか。

日向がボールを上げる。俺はその落下地点の下に入り、日向にしか上げない、日向にしか打てないあのトスを上げる。日向はそれを思い切り打ち抜いて、嬉しそうに笑う。着地してすぐ、もう一本!の声。ボールを拾いに行く姿は本当に犬のようで、何度か笑ってしまった。
俺がトスを上げる音と、ボールが床に跳ねる音と、ペットボトルを置き直す音しかしない。体育館の周りは人が住んでいないのもあって静かだ。薄暗くなってからは鳥の鳴き声も小さくなって、草むらから虫の鳴き声がするくらいだろうか。
使われなくなって久しいこの体育館に、もちろん電気なんて通っていない。夕日が沈むまでがこの体育館を使えるリミットだ。まあ、でも、日向が足りないと言うならば、明日も練習を休んでここまで自転車を走らせるのもいいか。なんなら明日は朝から来てもいい。


「日向、これで最後にするぞ」


ほとんど日が沈んで、ボールを見つけるのがやっとなくらいには暗くなった。もうこれ以上は俺がトスを上げられない。そう思って日向に声をかけると、日向はぴたりと動きを止めてしまった。
ボールを持ったまま動かない日向に首を傾げ、一歩、日向に近付く。足音に気付いた日向が顔を上げ、笑う。


「……おう、最後の一本、だな!」


その声が僅かに震えていて、どうかしたのかとまた首を捻る。日向は定位置について、お前も早くしろよ、と声を上げた。しぶしぶ定位置につく。日向はボールを自分の目線まで持ち上げて、額に付ける。まるで、何かに祈りを捧げているようだった。
日向がボールを投げる。俺は、ボールの下でセットアップの姿勢を取る。


「影山ぁ!」


日向が地を蹴り、飛ぶ。名を呼ぶ。ここに居るぞ、と。俺の名を呼んだ。だから俺は、日向に、トスを送る。


「今まで、ありがとうっ!!」


日向の声がする。スパイクの軌道上に、空になったペットボトルがある。あ、これは。思った瞬間、ボールとペットボトルが当たって、弾けるような音がした。
振り返る。着地した日向が、肩で息をする。足元に、きらきらと光るものが落ちる。次々と、滔々と、落ちるのは、日向の涙だ。


「おい、ひな、」

「あーーっ!楽しかったっ!!」


両手を上げて、万歳をするように。天を仰いで、その両目からは涙を流して、日向は満面の笑みを浮かべていた。本当に楽しそうに、幸せそうに。笑うものだから。俺はまた胸が軋んで、痛くて、日向の涙に釣られるように視界が滲んで。


「なんで、そんな、最後みたいな、」

「最後だよ!お前に会うのは、今日で最後!」


日向がボールとペットボトルを拾いに行く。両手に持ったそれを、俺に突き出してくる。反射的にそれを受け取りながら、俺はその足りない頭をフルに使って、日向の言葉の意味を考えていた。どうして、最後だなんて言うんだ。最後ってなんだ。
嫌だ、と思った。信じたくないと思った。あの日と同じように、嘘だ、と、そればかりを呟いて。


「おれ、今日で四十九日だから。もういかなきゃ」


本当はもう少し早くいくつもりだったのに、お前が全然歩き出さないから。顔出したらダメだと思ったんだけど、どうしても心配になって。日向は言う。
俺は、日向の言葉が理解できなかった。理解したくなかった。でも、どこかでわかっていた。ここにいる日向は幽霊で、本当の日向は死んでしまっていて、俺もこいつも、本当はもう二度と会えないはずだったんだ。
こうやって速攻を打つことはもう二度とできないし、日向に上げるために磨いてきたこのトスも、きっともう誰にも上げることはないだろう。このトスは、こいつが打つためだけにあるものだから。他の人じゃあ、きっと打ち抜けない。

わかっていた。本当は、もう、とっくにわかっていた。
日向が死んだあの日。あの夏の日。線香のにおいと花のにおいに包まれて。バレーボールを傍らに、静かに眠る日向を見た日から。もう、こいつとバレーすることはできないのだと。ちゃんと、わかっていた。


「影山、ありがとな。ほんとに、本当に感謝してる。あと、約束守れなくてごめん。ずっとお前と同じ舞台にいるって言ったのに、結局追いつけないままでごめん」


お前のトス、世界相手に打ってみたかったよ。そんで、世界中の人があっと驚く姿が見たかった。絶対できると思ってた。おれとお前なら、絶対に。
日向が話す度に、日向の身体が透けていくのがわかる。オレンジ色の夕日が、日向を照らしている。


「おれが居れば、お前は最強だって、言ったけど。おれが居なくても、お前は最強だからな!……だから、大丈夫だよ、影山。そんな顔しなくても」


そんな顔って、どんな顔だよ。言ってやりたいのに、嗚咽が喉を塞いで言葉が出ない。日向の姿をちゃんと目に焼き付けとかないとと思うのに、拭いても拭いても涙が邪魔をする。日向は笑って、お前のそんな顔、超レアだな、だなんて言う。
それを言うなら、お前のそんな顔だって、超レアだろうが。ボゲ日向。


「おれさ!さっき、願掛けしてたんだ!そのペットボトルを打ち抜けたら!絶対また、お前とバレーができるって!!」


最後の最後。祈るような仕草は、本当に祈りを捧げていたのか。呆然と手の中にあるペットボトルを見る。ボールが当たったという証拠に、ペットボトルは真ん中の辺りが大きくへこんでいる。日向の祈りは、バレーの神様だかに、ちゃんと届いたのだ。


「だから、影山。約束な!
 ――また、一緒にバレーしような!」


日向がそう言って笑うから。俺は、必死に、必死に言葉を探す。
俺から日向へ。伝えなければいけないことを、必死に探す。
だから神様。バレーの神様、もう少しだけ。時間をくれ。


「……っ当たり前だ、当たり前だろっ!あのトスは、お前のためのトスなんだ!あんなに必死に練習したのに、打つやつが居ねえなんてそんなの許すわけねえだろ!」


言いたいことが山ほどある。言わなければならないことも山ほどある。言葉にしなければ。今言わなければ。日向に、届けなければ。あのトスのように。


「お前と会えてよかった!お前がいたから、俺はまだ、バレーやれてる!」


日向がいたから。ここに居るぞと言ってくれたから。きっと俺はバレーを続けている。日向がいたから。高校三年間、最高の舞台で、最高の試合をすることができた。だから、今、最高のステージでバレーを続けていられる。
お前のおかげなんだ、本当に、本当に。


「ありがとう、日向!」


何度言ったって足りない。ずっとずっと言いたかった。ずっとずっと言えなかった。気恥ずかしいとか、そんなことを思わないで、ちゃんと伝えていればよかった。
日向が死んだって知ったとき、そうやって後悔した。日向に甘えてばかりで、何も言葉にしてこなかった自分を殴り飛ばしたかった。だから、今度こそ。ちゃんと、伝える。


「お前は、ずっと、俺の最高の相棒だっ!」


日向がどんな顔をしていたのか、俺にはよくわからなかった。涙で視界は悪いし、日向はもう半分消えかかっていた。でも、たぶん、今まで見た中で最高の顔で笑ってたんだと思う。そんな気がした。だって、ありがとう、って言った声が、今まで聞いた中で一番嬉しそうな声だったから。


「影山、もういっこ約束!」


もうほとんど見えなくなってしまった、右手の小指を、俺に突き出して。俺はその指に、自分の小指を絡めて、しっかりと握る。


「笑え、影山!」


世界の頂で、笑え!おれは、ずっと見てるから!


割れた窓ガラスから、びゅうと冷たい風が入ってきた。思わず目を閉じて、ゆっくりと開ける。そこにはもう、日向の姿はなかった。
もう、立っていられなかった。嬉しくて、哀しくて、さびしくて、楽しくて、でもやっぱり、心は軋んだまま、ひどく痛む。
だけど、もう歩き出せると思った。日向は死んでしまったけれど、約束は残っている。だから、きっと、もう大丈夫。


立ち上がり、体育館の扉へ向かう。入り口からコートを見て。さっきまで自分たちがいた反対側のコートに、いくつもボールをぶつけたような跡があったから。指先がひりひりして、身体が疲れきっていて、日向とバレーをした感触が残っているから。すべてが、ちゃんと夢ではないとわかっているから。
体育館の扉をしっかりと閉めて、自転車にまたがる。ライトを点けて、すっかり薄暗くなった道を走る。自転車の重さは来たときと変わらない。いや、少し軽くなっただろうか。気のせいかもしれない。後ろから騒がしい声が聞こえないからそう思うのだ、きっと。
自転車を漕ぐ。全速力で。早く帰って、飯を食おう。結局昼飯も食っていない。これだけ運動したのだから、しっかりしたものを作って食べた方がいいだろう。帰ったらストレッチも充分にしなければ。これで痛めたとあっては目も当てられない。


さあ、明日からまた練習だ。


暑い暑い夏の日。
うるさいくらいに蝉が鳴き、生ぬるい風が頬を撫でる。日差しが痛いくらいの、夏の日に。
世界の頂で、日向と笑うために。




*****




夏季オリンピック。バレーボール種目。

この年、日本男子は大躍進を果たした。誰もが突破は難しいと考えた予選を勝ち抜き、決勝トーナメントへ。そこで名立たる強豪を押さえ、決勝戦へと駒を進めた。
日本中が大いに沸き立ち、会場で、テレビの前で、固唾を飲んで試合のゆくえを見守った。
前回優勝国のブラジルに対して、セットカウント二対二。フルセットにもつれ込む大接戦を繰り広げる。一進一退の攻防。気力も体力もぎりぎりで、お互い意地だけでコートに立っているような、そんな試合で。ただ一人の日本人だけは、表情を崩さず、冷静にコート上の状況を見極めていた。
精密さを極めるトスワーク。ネット際の戦いになっても相手が返しにくい場所を狙って返球するそのセンス。各国が舌を巻いた。

そして、そのときは訪れる。

二十一対二十。最終セットはデュースとなり、日本がなんとかリードを守っているような状態だった。そこに訪れたチャンスボール。これを逃すわけにはいかない。日本男子は歯を食いしばってボールを繋ぐ。繋ぐ先は、日本代表の正セッター、影山飛雄。
スパイカーが飛び込んでくる。誰を使うかの判断をゆだねられている。影山は、迷わない。
正確なトスが、日本のエーススパイカーに届く。ブロックは追いつかない。影山の得意とする速攻だった。
スパイカーの掌が、ボールの真芯を打ち抜いて。誰もいないその場所へと、突き刺さる音がして。

ピピーッ。試合終了の笛が鳴る。

その瞬間生まれるのは、歓声、歓声、歓声。まるで爆発したかのような大歓声に包まれて、選手たちが涙を流して抱き合う。選手だけではなく、サポーターも、記者も、みんなが抱き合って、この日本の勝利を喜んだ。
歓声は鳴りやまない。選手たちへの称賛の声も、熱狂した記者たちの声も、一緒くたになって。声は、体育館の屋根を突き破り、天にも届かんばかりであった。

そんな中、間違いなくこの勝利の立役者である影山がひとり、輪から離れていく。熱狂している人々は誰も気付かない。

影山はベンチに戻り、あるものを手に取った。ぼろぼろになった空のペットボトルだった。
ペットボトルを額に当て、祈るように目を閉じた。そうして、数秒。目を開け、天を睨む。そして、あらんかぎりの声で、叫ぶ。


「見てるか、日向っ!」


ひどく嬉しそうで、ひどく哀しそうで、ひどくさびしそうで、ひどく楽しそうで。そして、ひどく誇らしげに。
そんな複雑な顔で、影山飛雄は、笑う。滅多に笑わない彼が、最高の笑顔で、笑うのだ。


「約束、守ったぞ……っ!!」


果たして、返事はあったのか。それは、彼にしかわからない。
ただ、私は、返事はあったのだと思う。影山は、両手を高々と掲げ、空へと手を伸ばしていたように見えたから。
まるで、この勝利を天に届けようとしているかのように。

私はその姿をカメラに収め、そっと微笑んだ。きらきらと子どものように輝くこの笑顔は、きっと空の上からしか見えるまい。


――これは、誰にも語られなかった、私だけが知る、オリンピック決勝戦の裏側の出来事である。






He who would learn to fly one day must first learn to stand and walk and run and climb and dance; one cannot fly into flying.






20170505


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