haikyu!! | ナノ







ボールの落ちる音がする。ボールが床を叩く音だけがする。
振り返る、その先に。誰もいないことは、ひどく恐ろしいことだ。




あの日、あの時、あの瞬間。何が起こったのか分からなかった。どうして、誰もボールに触らないのだろう。まだ試合は続いている。どちらかのチームのマッチポイントで。それが最後の一球で。そんな場面ならば、どんなによかったことだろう。
突き刺さる視線、そちらに顔を向けることは、とても勇気が必要だった。
名前を呼ばれた。コートの外から呼ぶのは監督だ。監督の横に立つ、チームメイト。それが意味することはたったひとつ。
コートの中からも外からも。似たような視線を感じた。その視線に込められた意味。一言で言えば、悪意、だろうか。もしくは、失望。或いは、嫌悪。
足元が崩れ落ちる感覚。どうして、どうして、と。みっともなく喚き散らす、頭の中の自分。そんな喚き散らす自分の隣で、ほうら、見たことか、と。嘲笑う自分がいた。


中学時代のバレーは、それで終わった。
その試合、俺たちのチームは負けた。
まだコートに立てていたはずなのに。まだボールに触れることを許されていたはずなのに。まだ、まだ、まだ。
俺は、まだ、バレーがやりたかった、だけなのに。どうしてこうなってしまったのだろう。

試合の帰り道、俺に声を掛けるチームメイトはいなかった。俺も、誰にも声を掛けることができなかった。三年間同じチームだった奴らすら、いや、三年間同じチームだったからこそ。何を言えばいいのか分からなかった。
感謝も謝罪も。労いも文句も。思い出話も。何一つできなかった。許されなかった。それが、無性に悲しくて。胸が苦しくて。
そんな思いのぶつけ先ですら、バレーで。ボールに触れることが至上の喜びだったはずなのに。苦しくて苦しくて、しょうがなかった。


その次の日、俺はバレーを始めてから初めて、日課であるロードワークをサボった。それだけじゃない。その日、俺は初めて、ボールに触らなかった。


季節が移り変わって、進路を選択するときが来た。俺はやっぱりバレーが諦められなくて、バレーが好きで。強豪と呼ばれる高校へ行けば、何か変わるかもしれないと。県内一の強豪校である白鳥沢の受験をした。スポーツ推薦は来ていなかったから一般受験だ。試験はさっぱりだった。
白鳥沢に行けないのならば、どうしようか。県内の強豪は他にもあった。ただ、青葉城西を選択することだけは、どうしてもできなかった。青葉城西は自分の出身中学の大多数が進学する高校だ。つまり、チームメイトのほとんどが進学するということになる。
チームメイトとして、もう一度彼らとバレーをすることが想像できなった。たとえもう一度同じチームのチームメイトになったとして、誰も俺のトスを打ってはくれないのだろうと思った。だからやめた。
進路には散々迷った。どこに行けばバレーができるのか。どこに行けば俺のトスを打ってくれる奴がいるのか。どこに行けば俺はひとりにならないのか。どこに行けば、いいのだろう。そんなことばかり、毎日考えていた。
結局、家からも程近く、昔は強豪と呼ばれていた烏野高校を選んだ。引退した烏養監督が戻って来るらしいとの噂も聞いていた。その頃にはもう、チームへの期待とか、誰かとプレーすることとか、そんなことを考えるのはやめていた。ひとりで構わなかった。ただ、バレーがやりたかった。


烏野高校に入学して、入学式が終わってオリエンテーションが終わって。本格的に部活動が始まった、その日。ホームルームの間、意識の半分は既に体育館へ行っていた。ホームルームが終わると同時に教室を飛び出して、真っ先に向かったのは体育館。
コートがあって、ネットが立てられていて、ボールがあった。床のワックスと、体育館独特の埃のにおい。水銀灯の眩しさ。開け放った扉から、風が吹き込んでいた。二階の大きな窓に掛けられているカーテンがわずかに揺れる。シューズと床が擦れる音。ボールが床を叩く音。どれもこれもが、やっぱり好きだった。


「なんで居る!?」


そんな空間を切り裂いたのは、声。聞き覚えがあるような無いような声に、振り返る。橙色の頭をしたチビが、こちらを指差してあんぐりと口を開けていた。


「お前が!コートに君臨する"王様"なら!!」


声がよみがえる。中総体の一日目。その帰り。


「そいつを倒して、おれが、一番長くコートに立ってやる…!」


大きな目からぼろぼろと涙を流しながら、俺に宣戦布告した、そのチビが。
あの日の試合で強烈に焼き付いた橙色が。そこにいた。


いがみ合って、怒鳴り合って、最終的にバレーで決着を付けようとしたら体育館を追い出された。そのチビがチームメイトだって自覚するまでは練習に参加させないと主将に告げられて、せっかく高校に来てバレーをするのだという意気込みとか勢いとかそんなものが、根こそぎ持ってかれたのが分かった。
そりゃあそうだろう。相手はチビだ。ただの、と言うには少しばかり身体能力が優れていたが、それでも技術も技能も身長だって足りない、チビだった。
そんなやつをどうやってチームメイトと認めろと。そう思った。中学時代はまだよかった。認める認めないに関わらず、あいつらは技術もあったし身長もあった。あいつらのことをヘタクソだと思ったことはないし、だからこそ、俺は自分が言うように試合を進めていたら勝てるという自信があった。あの試合までは。
だけど、仕方ない。どうにかして体育館に入れてもらわなければ。練習に参加させてもらわなければ。そうでなければ、バレーができない。もう間違えない。レシーブもトスもスパイクも、全部ひとりでやれればよかった。でもそれはできない。バレーは六人でやる競技だ。ひとりでだなんて、できない。

そのチビは、本当にヘタクソだった。想像を絶するヘタクソだった。バレーはレシーブができてこそのスポーツだ。だと言うのに、そいつはレシーブがまったくできなかった。いらいらした。
トスを上げろとねだられても、頑なに断った。そんなことを言っている暇があるならレシーブの練習をしろと怒鳴った。それでもそのチビは、毎日毎日飽きずにトスを上げろと騒ぐ。騒ぐ傍らで、レシーブの練習を続けた。こう言ってやるのは癪だが、よく諦めないなと思っていた。諦めろよ、とも思っていた。朝から晩までレシーブの練習をしていたそいつは、めきめきと上達していった。それでもヘタクソの域を抜けなかったが。
諦めないでボールを追う姿が、少し眩しかった。俺のチームメイトにはこんなやついなかった。最後まで、ボールが地に落ちる、その瞬間まで。そうやって追いかけ続けていたのは、俺だけだったように思う。ぎらぎらした目で、歯を食いしばって、ボールを追いかけ続けるそのチビが、あんまりにも羨ましかったから。
トスを上げた。そいつはばっと顔を上げると、ボールに飛びついて。そうして、本当に嬉しそうに、俺の上げたそのボールを、打ち抜いた。俺の上げたトスが、あんなに気持ちよさそうに打たれたのは、いつぶりだったのだろうか。体育館に響き渡るスパイクの音が、床を跳ねるボールの影が、突き刺さって。少し、泣きそうになった。


「自己チューの王様。横暴な独裁者」


勝ちたかっただけだった。負けたくなかった。一試合でも、一分でも、一秒でも、一本でも、多く、長く、コートの立って、ボールに触れていたかっただけだった。ただ、それだけだったけれど。それは、独りよがりで、自己中心的で、幼稚な、ワガママだったのだろう。
それが故の"コート上の王様"だ。俺は、俺のことしか考えていない、独裁者だったのだ。それでは誰も付いてこない。当たり前だ。言われた言葉に対する反論が浮かばない。拳を握り締める。俺は。


「えっ、でもソレ、中学のハナシでしょ?」


おれにはちゃんとトス上がるから、別に関係ない。
何てことないように、当たり前のように、いたって普通の顔で、そのチビは言った。俺の過去とか葛藤とか、トラウマ的なものを、すべて蹴り飛ばして。チビは、日向翔陽は、全身で、全力で、コート上で飛び、俺のトスを呼んだ。


「影山!居るぞっ!!」


ボールの落ちる音がする。ボールが床を叩く音だけがする。
振り返る、その先に。誰もいないことは、ひどく恐ろしいことだ。


「おれはどこにだってとぶ!どんなボールだって打つ!だから!!」


―― その恐ろしさを忘れるくらい、強烈に。


「おれにトス、持って来い!!」


こいつとなら、烏野(ここ)でなら。
もう一度、俺が心の底からやりたかったバレーが、できるかもしれないと。
そう思わせるには、充分な、充分すぎるくらいの、言葉だった。


烏野でのバレー生活はとても充実していた。レベルの高い選手。自分の能力を驕ることなく努力を重ねるチームメイト。試合で出会った他校の選手だって、合同合宿をした東京のチームだって、みんなみんな、見習うべきものを持っていた。ひたすらに前を向いていられた。ひたすらに勝ちにこだわった。
時には衝突もした。喧嘩も、怒鳴り合いも、しょっちゅうだった。殴り合いだってしたことがある。意見を交わすうちに熱くなりすぎて先輩に叱られたことだってある。先輩は熱くなる俺に呆れるでもなく、最終的には仕方ないな、という目で見てくれていた。
同期も、先輩も信頼していた。だからトスを上げることに迷いがなくなった。誰かにトスを上げてもらって、自分で打つこともあった。この人たちなら大丈夫。みんな同じ気持ちだから、大丈夫だ。そう思った。迷わなかった、悩まなかった。バレーが好きだと、心から思えた。
中学時代、仲違いしたまま別れてしまった元チームメイトとも、何度も試合をする機会があった。最初は声をかけることも恐ろしかったが、ネットを挟んで相対するうちに、いつの間にかわだかまりはなくなっていたように思えた。試合が終われば自然と声を掛けた。練習試合をすることがあれば、遠慮なく相手の良いところ悪いところを言い合えた。
中学の時も、こうやって言い合えたらよかったのにな。ぽつりと落としたのは、俺だったか元チームメイトの奴らだったか。仮定の話をしてもしょうがないけどな。そうやって笑ったのも、俺か、元チームメイトの奴らだったはずだ。


烏野でプレーした三年間、俺はただただ、バレーが好きだった。
毎日飽きることなくボールを追った。上げたトスは、いつだって誰かが相手コートに叩き込んでくれた。苦手だったハイタッチもできるようになった。相変わらずぎこちねえな、と笑ったのは、あのチビだ。それでも、何だかんだと、そのチビとハイタッチを交わす回数が一番多かったように思う。
バレーの楽しさも、負けた悔しさも、試合に勝った喜びも、思うように行かない怒りも、それでもボールを触っていたいと、コートに立っていたいと思う気持ちも。全部全部。烏野で教えてもらった。


―― バレーはひとりではできないのだと知りました。
―― チームメイトがいるから。セッターまで繋げてくれる人がいるから。俺が上げたトスを打つスパイカーがいるから。背中を守ってくれる人がいるから。俺を呼ぶ人がいるから。
―― 俺は今、ここでバレーができるんです。




「以上、影山選手のロングインタビューでした。影山選手、ありがとうございましたー!」


隣から掛けられた声に、ゆっくりと瞬き。体育館とはまた違う照明の眩しさに目を細める。一気に喋ったからか口の中はからからだ。インタビュアーが苦笑して水を差しだしてくれる。その水を有難く受け取って、一気に呷る。程よく冷えた水が口の中を潤してくれた。
何台も並ぶテレビカメラにもすっかり慣れてしまった。カメラの前でいい顔をするのは苦手なままだけれど、映るだけならば問題ない。極力カメラと目を合わさないようにするコツも掴んだ。スタジオの熱気は、どことなく体育館の熱気と似ている気がする。そう言ったら、前のチームメイトだったか今のチームメイトだったかが、お前、何でもバレーと繋ぎ合わせるのな!と笑っていたのを思い出した。


「はい、ということで本日のゲストは日本代表の影山飛雄選手です。影山選手、先日のワールドカップでは大活躍でしたね!」

「あ、ありがとうございます…」

「影山選手の武器と言えば、やっぱりあの針の穴を通すような精密なトス回しですね!スパイカーたちが生き生きとスパイクを打っているのがこちらにも伝わってきます!」

「…昔は、俺、スパイカーに合わせるってことが分かってなくて。物凄く苦手でした。何で俺に合わせないんだ、俺の言うことを聞け、ってそればっかりで」

「へえ、意外です。そんな風に見えたことはないですが…」

「もしそうだって言うなら、それも高校時代に得たものに間違いないです」

「…影山選手は、本当に高校時代のバレー部が好きなんですねえ」


インタビュアーであるアナウンサーが緩く笑う。俺も釣られて少しだけ笑って、大したこと話せなくてすみません、と謝った。アナウンサーは大袈裟に手を振って、とんでもないです!と言う。なんとなく、雰囲気が烏野にいた頃の同期のマネージャーに似ているな、と思った。
では、次のコーナーに行きましょう。その前に、一旦コマーシャルです。アナウンサーの声がして、スタジオ内ががやがやと騒がしくなる。


烏野を卒業して、大学はスポーツ推薦で東京の強豪校に入学した。高校一年の春高のときから俺に声を掛けてくれていた大学だ。監督とも何度も直接話をして、チームの練習にも参加させてもらって、それでようやく決めた。
進路を決めたとき、真っ先に相棒に報告した。その次に、同期の残りの三人。先輩たちにも連絡して、東京に進学していた先輩から歓迎会まで開いてもらった。
相棒もまた、東京の大学に進学していた。違う大学に進んだその相棒は、不敵な笑みを浮かべ、お前を倒すのは絶対おれだからな、と釘を刺して行った。相棒が進んだ大学と俺の大学は比較的近所にあることから、頻繁に練習試合を組んでいた。相棒が言ったその言葉の通り、俺達の大学と相棒のいる大学とは互角の勝負をしていた。

日本代表選手として招集されたのは、大学三年の時だった。生で見る代表選手たちはやはりレベルが違うように見えた。負けてられない、と練習に打ち込んだ。
そして、アナウンサーが言っていた今年のワールドカップ。俺はそこで初めて正セッターとして起用され、世界を相手に戦うことになった。目の当たりにして初めて、世界の壁を感じた。でかい。物理的に、だ。日本人選手で二メートル超えなんてそうそういないが、海外選手では二メートル超えがスタンダード。打っても打っても打ち抜けない壁に辟易したのを覚えている。


「影山選手と言えば、忘れてはいけないのがこの方ですね!」


アナウンサーが話すのを横に、ぼんやりと先日のワールドカップのプレーについて思い返す。あそこのトスが、あの場面でブロックに捕まっていなければ、やっぱり全日本のチームはこの辺りが弱点だな、なんて。滔々と考えていた。撮影中だろうが何だろうが、バレーのことを考え始めると別のことに意識が向かなくなるのは俺の昔からの悪い癖だ。
スタジオ内が一段と騒がしくなる。足元に転がってくる青と黄色、それから白色が混ざったバレーボール。いつの間にかスタジオ内に立てられたネット。反射的にボールを拾い上げて、顔を上げて。


ネットのこっち側で、バレー選手にしては小さな身体をフルに使って助走している、橙色が、強烈に。


「影山っ!」


声を聞くのが早いか、助走をしていたあいつが跳躍するのが早いか。


「持って来い!!」


ボールから手を離し、セットアップの体勢を作り、見慣れすぎた相棒の、最高打点を見極める。ボールが落ちてくる。手にしっくり馴染む感触。何千、何万と上げてきた。最高のトス。
トスを上げる。ほんの刹那。空を飛ぶ相棒が、ここに居るぞ、と。笑った。


「日向っ!」


名を呼んで、相棒の打点に、ボールを持って行く。ボールが相棒の手に触れる、その一瞬。相棒が、コースを見極めるように、大きな目をぎらりと煌めかせた。
掌に、ボールが当たる。ボールは衝撃を殺さないまま、ネットを超え、地面に叩き付けられる。体育館とはまた違う音だったけれど。それは確かに、スパイクの音だった。
静かに着地を決めた相棒と、目が合う。どちらからともなく歩み寄り、そして。


「っしゃ!」


パン、と乾いた音を立てて、俺の掌と、相棒の掌が、重なり合う。何百何千と繰り返したハイタッチ。音が響くと同時、スタジオ内を包む拍手喝采。


「今日も素晴らしいコンビネーションです!では、改めて紹介しましょう!影山選手と同じく日本代表の、日向翔陽選手です!」


中学のあの日の試合で強烈に焼き付いた橙色は、今も俺の隣でバレーをしている。
十年後も、二十年後も、お前を倒すのはおれだ、と。それが日本のテッペンでも、世界でも。同じ舞台にいる、と。宣言したように。俺の、本当の意味での初めてのチームメイトは、飽きずにまだ、俺とチームメイトをしている。


俺がトスを上げたその先に。こいつや、チームメイトが。待ち構えてくれているのだったら。俺の名を呼んでくれるのだったら。俺は、指先が擦り切れようとも、トスを上げ続けるのだろう。それは、予感でも、希望でもなく。ただの事実だ。
そうやって、俺は。毎日、愛しくてたまらないボールに触れて。一生、バレーという競技を愛し続けていくのだろう。




ぼくらの愛したダイヤモンドダスト




だが、その前に。


「日向ボゲェ!ボゲ日向ァ!なんだ今のジャンプはっ!軸ぶれっぶれじゃねえか!!踏み切り甘すぎ!ナメてんのか!!」

「ううう、うっせえええ!!お、おれだって緊張くらいすんだよっ!」

「緊張なんかしてんじゃねえ!おまえ、こんなんで緊張するとかなあ、オリンピックがどんだけ緊張すると思ってんだボゲェ!それでも日本代表か!!」

「え、影山でも緊張すんの!?」

「そういう話をしてんじゃねえんだよボゲ!」


颯爽と出てきた割には調子のいい時の一割も威力を出せていない相棒を叱りつけるくらい、許してほしい。その勢いのまま、ここがテレビ局のスタジオだってことも忘れてスパイク練習に入ってしまうバレー馬鹿二人を、どうか許してほしい。


「あのっ!生放送なのでその辺にしていただけますでしょうかっ!!」




20161225


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -