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「行かないでください」


制服の裾を掴んで、影山がそう呟いた。珍しい、と眼を見張る。素直に自分の気持ちを吐露する影山は、コート上の雰囲気など微塵も感じさせないくらい小さく見えた。


「行かないでください」


影山がもう一度呟く。細く、小さく、震えた声で。行かないでください、と。必死に告げる。
どん、と腰に衝撃。それから、腹に回される細い腕。小さな手のひら。首だけで振り返ると、ふわふわと揺れる橙色の髪の毛があった。日向だ。


「行かないでください」


影山よりももっと震えた声で、日向が言う。ず、と鼻をすする音がした。いやです、いやです、いかないでください。迷子の子供のような頼りない声。いつもの元気はどうした、と言ってやりたいけれど、そうもいかない。
行かないでください、と日向と影山が言う。そんなか細い声で言われてしまうと、行きたくないなあ、なんて思ってしまうから困ったものだ。行きたくないなあ。まだ、こいつらとバレーしてえなあ。離れたくねえなあ。卒業、したくねえなあ。思ってしまった。
日向が、行かないでください、と言う。それはそれは酷い声だった。涙に塗れてぐしゃぐしゃな声だった。影山が、行かないでください、と言う。日向よりも随分ましだけど、それでも酷い声だった。


「行かないでください、スガさん、行かないでください、まだ、一緒にバレーしたいです、まだ、いろんなこと教えてもらいたいです、まだ、まだ、話したいこと、やりたいこと、たくさんあります、だから、行かないでください、行かないでください、いやです、いやです、スガさん、すがさん、」


ぼたぼたぼた、と地面が濡れる音がした。日向の大きな目から落ちる涙の音だった。釣られるように、影山の喉から、ぐう、と酷い音がした。涙を堪える音のような気がする。ぼたぼた、地面を濡らす音が増える。
影山が、裾を掴む手に力を込めた。まるで、行かせないとでも言うようで、笑ってしまった。縋るようなそれが、くすぐったくて仕方ない。慕われてたんだなあ。知ってたけど。でも、そんなに握ると大事な手、痛めるぞ。そっと影山の手を握って、力を緩めさせようとする。影山はまた、ぐう、と唸った。


「行かないでください、菅原さん。菅原さんがいなくなったら、俺、セッターのこと、誰に相談したらいいんですか。俺、菅原さんにいっぱい教えてもらいました。まだ、聞きたいこと、いっぱいあるんです。行かないでください、行かないでください。菅原さん、いやです、いかないでください、おねがいです、」


影山の顔は、そりゃあもう酷いものだった。日向の顔も負けず劣らず。二人して涙だの鼻水だので顔中を濡らして、真っ赤にして、俺を見ている。呼んでいる。そんなに泣くなよ、って笑ってやりたくて、失敗する。泣くなよ、泣くなよ。二人の頭をそっと撫でて、そのまま抱き締めてやった。


「俺はもう行くよ」


腕の中で日向と影山が肩を揺らす。嫌です、と声を揃える。かわいいなあ。こんなに、こんなに素直になって。全然何も教えてやれなかったのに。先輩らしいこと、ほとんどできなかったのに。こんなにも俺を引きとめようとしてくれて。本当に、かわいい後輩たちだ。


「日向。影山。大丈夫だよ。俺がいなくても、俺たちがいなくなっても、お前らは大丈夫。烏野は大丈夫。田中も西谷も、縁下も木下も成田もいるだろ。月島も山口もいる。あとちょっとしたら新しい部員も入ってくる。烏野はもっともっと強くなるんだ。だから、大丈夫。大丈夫、大丈夫だよ。な?」


だから、もう泣くな。
そう言った声は、みっともなく震えていて、目が痛くて、熱くて、涙が止まらなくて、胸元を彩る花が少しだけ憎らしくて、黒い筒を、卒業証書を握る右手を今すぐ振りかぶってしまいたくて。だけど、そんなことができるはずもなくて。
日向と影山が、遂に声を上げて泣き出してしまう。スガさん、菅原さん。泣きながら名前を呼んでくれる。かわいいかわいい、俺の後輩。行かないでください、言い募る。菅原さん、と彼らが呼んでくれる自分の名前がとても特別なもののように感じた。さびしい、さびしいと。全身全霊で伝えてくれる。嬉しくて、可愛くて、やっぱり寂しくて。ああ、卒業してしまうんだなあと思った。


「スガさん、おれ、もっと上手になります。レシーブの練習ももっと頑張ります。影山との速攻も、もっともっと決められるようになります。伊達工にも、青城にも、白鳥沢にも、絶対、ぜったい負けません。全国行って、今度こそ、誰にも負けません。スガさんに教えてもらったこと、ちゃんと全部できるようになります。だから、だから、」

「菅原さん、俺、もっともっと頑張ります。菅原さんみたいに、みんなに信頼してもらえるセッターになります。ちゃんと笑って、コートのみんなを安心させられるようになります。もう負けません、ぜったいに負けません、勝って、勝って、俺たちが一番長く、コートに立ちます。だから、だから、」


日向と影山が同時に顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃな顔で、それでも力強く笑っている。頼もしい後輩だ。彼らはもっともっと強くなって、いつか世界の舞台でも戦うんだろうなあ、と漠然と思った。


「「だから、いってらっしゃい!」」


綺麗に揃った言葉。笑ってしまった。最初の頃、せーの、って言ってようやく声を揃えることができたような二人が。今はしっかりと、何の合図もなしに二人で合わせることができる。嬉しかった。たった一年。されど一年。高校生の一年は、あっという間で、こんなにも長い。


「おう!行ってきます!」


かわいいかわいい後輩たちを置いて、俺たちは今日、烏野高校を卒業する。
欲を言えば、まだまだこいつらとバレーしたかったし、まだまだやりたいことも、教えたいことも、教わりたいこともたくさんあった。バレーをやり切っただなんて到底思えないし、でも、満足はしていた。
大地と旭と清水と、三年間戦い抜けたこと。田中と西谷、縁下と木下と成田にチームを託せたこと。月島と山口がバレーに本気で向き合ってくれていること。谷っちゃんがチームを支える覚悟を持ってくれていること。日向と影山が高く高く羽ばたいて、烏野を頂まで連れて行ってくれること。
どれもこれもが物足りなくて、どれもこれもが満足で、振り返るまでもなく、いい三年間だったと言い切れること。言い張れること。自慢できること。最高だったと思えること。
幸せだと、本気でそう思った。


「整列!」


新主将の縁下の号令で、一、二年が一列に並ぶ。三年は彼らの対面に立つ。これで、本当に最後だ。寂しいなあ。そう思って隣を見る。大地が真っ赤な目をして歯を食いしばっていた。旭は極悪人みたいな顔で泣いていた。清水はハンカチで目元を押さえながら笑っていた。みんな、気持ちは同じかあ。三年間を共にした仲間と目が合った。寂しいな、ああ、寂しい。もっとやりたかったな、そうだな。もう、目を見るだけで何が言いたいのか分かるようになってしまった。一番信頼して、一番頼って頼られて、一番支えて支えられて、泣いて、笑って、時には喧嘩して、一番長い間、一緒にコートにいた、仲間たち。
今日でさよなら。で、今日から新しいスタート。なあ、そうだよな?


「三年間、お疲れ様でした!ありがとうございましたっ!!」

「ありがとうございましたっ!!」


黒いジャージが翻る。烏野高校排球部、という白い文字が、春の麗らかな陽射しに照らされる。三年前、先輩たちの背中に見た文字を、今日この日、後輩たちの背中に見ることが、こんなにも嬉しいだなんて。
大地が俺たちを見た。すう、と息を吸う。


「三年間、ありがとうっ!」

「ありがとうございましたっ!」


頭を下げた。色んな気持ちを込めて、全てを涙に込めて、いっぱい、いっぱい言いたいことを我慢して、代わりにたくさんのありがとうを詰め込んで。
顔を上げる。後輩たちはみんなきらきらとした顔で笑っている。だから俺たちも笑う。寂しくてたまらないけれど、永遠の別れではないし、今日は始まりの日だから。


「よーし、円陣組むぞ!」


大地が両腕を広げた。右に俺、左に旭。俺の隣に清水。後輩たちも順番に肩を組んで、いつもは面倒臭そうな顔をする月島も、今日ばかりは鼻を真っ赤にしながら素直に従って。こうやって、烏野高校排球部としてこいつらと顔を付き合わせるのも、今日、これで最後。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。最高の三年間。最高の青春。最高の日々。ありがとう。ありがとう。最高の、仲間たち。


「烏野ーっ!ファイ、」

「オースッ!!」





(まだ肌寒い東北の春、桜が咲くのはもうすぐそこ。)




20171204/20191007


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