03






授業参観から数日が経ったある日、エルが家に数人の友達を連れてきた。女の子と男の子が同じ数くらいずつ。招かれた子供たちよりも初めて友達を連れてきたエルの方が緊張している様子で、思わず笑ってしまった。目敏く気付いたエルにしっかりと怒られたけれど。
エルが学校に行っている間に作っていたおやつを子供たちに振る舞って、子供たちの時間を邪魔しないようにと俺は自室に籠ることにする。ちなみに今日のおやつはナップルのケーキとチョコプリンである。ナップルはアルヴィンからリーゼ・マクシア産の新鮮なものを売ってもらったので、味には自信がある。


「ねーねー、エルちゃん!あの人、こないだも来てたよね!」

「誰?お父さん?」


部屋に籠ったからと言って防音性に優れているわけではないので、子供たちの会話は筒抜けだ。美味しい、すごい、と聞こえてくるおやつの感想を背に料理本を捲っていたが、ふいに聞こえた会話につい耳を澄ませてしまった。
俺とエルの関係について、エルは何と答えるのだろう。分史世界のパパ?保護者?相棒?答えに悩むエルの姿を想像して、頬が緩んでしまう。子供たちにはエルが何故悩んでいるか分からないようで、頻りに黙ってしまったエルの名前を呼んでいる。


「んー、」


エルの声が聞こえた。俺はそっと椅子から立ち上がって、ドアに片耳を押し付ける。大人げない行動かもしれないが、エルは俺のことどう思っているのか気になるのだから仕方ない。


「…おにいちゃん?」


咄嗟に両手で口を押さえた。変な声が出そうになったからである。お兄ちゃん!お兄ちゃんって!まあ戸籍上はそうなのだけれど、まさかエルの口からお兄ちゃんだなんて言葉が出て来ると思わなかった。エルが可愛すぎて体が震える。


「ルドガーはルドガーだよ!」


兄さんが俺を猫可愛がりするのもこんな理由か。お兄ちゃんって呼ばれるのっていいな。エルにお兄ちゃんって呼んでほしいかもしれない等々。そんなことを考えていた俺には、後に続いたそんなエルの言葉など当然聞こえていなかった。




その日の夕飯の席で、俺はにやける顔を隠そうともせずエルを見ていた。嫌に上機嫌な俺を見て兄さんは訝しげにしていたけれど、有頂天だった俺にはそんなことは関係ない。エルはそんな俺の視線にも気付いていないようだ。


「なあ、エル」


テンションが上がりに上がった俺が気合を入れて作ったビーフシチューを美味しそうに頬張っていたエルが顔を上げて、何、と言う。


「俺のこと、お兄ちゃんって呼んでもいいんだぞ?」

「…ルドガー…」


俺としては冗談ではなく本気で言ったのだが、エルに今まで見られたことのないような冷たい目で見られてしまった。兄さんからも憐みの目を向けられる。そんな目で俺を見るな!
俺が落ち込んでるのをいいことに、兄さんは名案だとばかりに顔を輝かせてエルを見る。口の端にビーフシチュー付いてるよ、というエルの指摘も聞こえていないらしい。ビーフシチューを付けたまま、兄さんはきらきらした顔をした。


「ならば俺はお父さんでどうだ?」

「エルのパパはパパだけだもん」

「そうか…」


正に一刀両断。兄さんはその大きな体をしょんぼりと小さくして、大人しくビーフシチューを啜っていた。
俺と兄さんが落ち込んでしまったのを見て、今度はエルが慌て出す。あわあわと視線を俺と兄さんに送って、椅子から立ち上がらんばかりの勢いで言葉を紡いだ。


「で、でも!エルとルドガーはアイボーだし!その…」


エルの顔は真っ赤だ。ちょっと泣きそうなのもまた可愛い。癒される。さっきまでの落ち込みようはさっさとどこかに飛んで行って、ただただエルの可愛さに微笑んでいた。
エルがぎゅ、と目を瞑って。これ以上ないほど顔を赤くして、大きな同じ色をした目で俺を見た。


「ルドガーが、呼んでほしいなら…、エル、頑張って『お兄ちゃん』って呼ぶレンシューする!」


あ、なにこの子可愛い。変な声を上げなかった俺を誰か誉めてほしい。迅速に自分の椅子から立ち上がってエルを抱き締める。エルはぶつぶつ文句を言っていたが、そんなの照れ隠しだって分かってるから気にしない。次第にエルも大人しくなって、されるがままになってくれた。


「あ、でも。メガネのおじさんはパパって呼ばないからね」


しっかりと釘を刺された兄さんは見ていて可哀想なほどに落ち込んでいた。俺はそんな兄さんを励ますわけでもなく、エルを抱き締めながら優越感に浸っていたわけだけど。
翌日、果物のお礼を言うついでにアルヴィンにその話をすると、お前らのエルコンっぷりはいっそ清々しいな、なんて苦い顔で言われてしまった。




そんなことがあって、更に数日が過ぎた。
今日は休日を貰ったため家でゆっくり過ごしていた。溜まった家事や料理の研究に勤しみ、空いた時間はソファの上でだらだらする。今日もエルは友達を連れて来るかな、連れてきた時のために簡単なおやつでも作っておくか、なんて。そんなことを考えて冷蔵庫の中身を確認していた時だった。


「ただいまー」


玄関が開き、エルが帰ってきた。友達を連れてきている様子はない。俺の姿を見つけるなりぱっと顔を綻ばせてくれるのは大変可愛らしいのだが、それにしても帰ってくるのが早過ぎやしないか。


「エル、今日も早いんだな」


今日も、というのも、エルは毎日帰宅が早いのである。少なくとも俺の仕事が休みのときはいつもこの時間には帰宅している。先日の様子からしても、放課後に遊ぶ友達がいないわけでもあるまい。


「友達とは遊ばないのか?」

「うん。お風呂入れて、勉強しなきゃ」


エルは家の手伝いをよくしてくれる。風呂の掃除や洗濯物を取り入れて片付けたり。それが終わったら学校の宿題に取り組み、分からないところは夕飯の後に俺や兄さんに尋ねる。
家の手伝いをしてくれることや勉強熱心なのはいいことなのだが、もっと学校で遊んできてもいいのに、というのが本音である。


「ルドガー、今日はお料理教えて!」

「あ、ああ…」


最初は、俺と離れたくないのかなあなんて自惚れていた。あの旅の間はいつだって一緒に行動していたのだし、相棒だし。
だけど、さすがにそろそろ学校にも慣れてきた頃だろう。友達はたくさんいるようだし、少しくらい帰りが遅くなったところで心配はするが怒りはしない。どうしたものか。


ぱたぱたと部屋へ駆けていくエルの後姿を見送りながら、俺は少しだけ首を捻った。




「あ、」


翌日。俺はいつものようにレストランへ出勤し、いつものように仕事をしていた。今は客が少ない時間帯なので、ごみ出しや店先の掃除などの雑用をしている。
そんなとき、目の前を見知った少年が通り過ぎていった。ええと、名前は何といったか。エルの隣の席の。


「君!エルの友達だよな?」

「あ、こんにちは!」


そう、カリン君だ。突然声を掛けたのにも関わらず、カリン君は笑顔でお辞儀をしてくれた。どうやら俺のことを覚えていたらしい。なんて礼儀正しいいい子なんだ。


「なあ、ちょっと聞いていいか?」

「うん、いいよ」


これはチャンスだ、と思った俺は、思い切って彼に尋ねることにした。もちろんエルのことについてだ。


「エル、学校が終わってから友達と遊んだりしてるか?いつも帰って来るのが早いんだ」


彼はきっとエルと一番の仲良しであるだろうし、あれだけ仲がいいのだ、遊びにだって誘ったことはあるはずだ。エルを誑かす男は許さないが、まあカリン君とエルの仲はまだまだ友達止まりだろう。
うーん、というカリン君の声に脱線した思考を元に戻す。カリン君は言ってもいいものか、というように眉間に皺を寄せていた。気遣いもできるいい子のようだ。


「オレたちはね、いつも一緒に遊ぼうってさそうんだ。でもエルちゃん、おうちの手伝いしなきゃいけないから帰る!って」

「…そうなのか?」

「うん。学校終わったらすぐ!」


寝耳に水だった。友達からの誘いも断って家へと帰る。別に俺はエルに手伝いをするよう言い聞かせているわけではない。むしろ手伝いなんかいいから思う存分遊んで来い、くらいの考えだ。これは兄さんも同じだろう。
だけどエルは一直線に家へと帰っている。あんなに楽しそうに学校の話をしているのだ、友達と遊ぶのが嫌なわけではないだろう。


「…そうか、ありがとう」


だとすれば、結論は一つだ。辿り着いた結論に少し悲しくなりながら、カリン君に礼を言う。彼は小さく手を振り、家へと帰っていった。
気分が重い。少なからずショックを受けた。はあ、溜め息を一つ。こんな気分では仕事になりそうもない。早く帰ってエルと話がしたい。はああ、もう一つ溜め息。


どうやって残りの時間を過ごしたか分からない。ぼんやりとしすぎてオーナーにも奥さんにも心配を掛けてしまったようだった。終業時間になると同時に上がっていい、と声を掛けられ、俺はどんよりとした気分で兄さんにメールを打った。


『相談したいことがある。一緒に帰らないか?』


兄さんが俺の頼みを断るはずがない。店を出たその足でクランスピア社へと向かえば、息を切らした兄さんが社のロビーから転がり出て来るところだった。ほら、やっぱり。




「…エル、無理に家の手伝いとか勉強とかしなくていいんだぞ?」

「遊びたいなら遊んできて構わない。子供は子供らしく、な?」


食卓を囲みながら、いつものように報告会をする。エルはやっぱり楽しそうに学校のことを話していて、だからこそ余計に我慢させているのだと心苦しくなった。
タイミングを見計らい、俺と兄さんは切り出した。兄さんには帰り道に最近のエルの様子や今日カリン君に聞いたことを話している。兄さんもひどく寂しそうにしていたから、俺と考えていることは同じだろう。


そう、俺たちは寂しいのだ。エルがいつまでも俺たちに甘えてくれないことが。


「だって…」


エルは何かを堪えるように俯いた。スプーンを持つ手が小さく震えている。エルの顔から笑顔が消える。


「だって、エルはイソーローだから…」


小さな、小さな声だった。だけどその声は俺と兄さんにしっかりと届いていて。目の奥が熱くなった。


「エル、お金持ってないし。だから、なにかしないとって、」


ああ、不甲斐ない。もうどれだけ一緒に暮らしていたというんだ。数か月、一緒に暮らしていたのに。俺は、俺たちは、こんな小さな子供にも。甘えさせることができていなかったのか。


「エル」


思ったよりも低い声が出た。エルはびくりと身を震わせる。エルは視線で兄さんに助けを求めるが、兄さんもまた、俺と同じような表情をしているはずだ。エルの顔が泣きそうに歪み、大きな目にはみるみるうちに涙が溜まっていく。


「居候って、どうしてそんなこと言うんだ」

「だ、だって…!」

「だってじゃない」


収まりきらなかった涙が一粒、エルの目から溢れる。俺は彼女の隣に立って、その小さな頭を撫でた。


「俺たち、家族だろ?」


エルは驚いたように顔を上げた。俺は笑う。


「居候とか言うな。家族なんだから、一緒に住んで一緒にご飯を食べて、一緒にいるのが当たり前なんだ。エルが俺たちに甘えるのも、俺たちがエルを甘やかすのも、当たり前のことだろ」


なんか泣きそうだ。相変わらず目の奥は熱くて、気を抜いたら涙が出そうである。でもここで泣いたら駄目だ。気合いで涙を引っ込めて、俺はエルに、一番大事なことを問い掛ける。


「それとも、エルにとって、俺たちは家族じゃなかったか?」


ぶわり、とエルの目から大粒の涙が溢れ出した。ひく、と嗚咽を零しながら、エルは次々に溢れる涙をその小さな両手で受け止める。俺はそんなエルの手を取って、エプロンで涙を拭ってやった。


「ちが、う…っ!エルと、ルドガーと、ユリウス、…家族だよ…ぅ!」


エルのまだまだ小さな体。力を入れたら壊れてしまいそうな体を、出来る限り優しく抱きしめる。あやすようにそっと背中を叩いて、温もりを与える。遂には声を上げて泣くエルに、釣られて少し涙が出た。そんな俺とエルを、上から兄さんがその大きな腕で包み込んでくれる。


ほら、温かい。こんなに温かい人たちを、家族と言わずして何と言う。


俺たちは家族だ。俺と兄さんとエル、そしてルル。三人と一匹で、家族。血の繋がりとか、そんなものじゃなくて。もっと深いところで繋がっている、大事な、大切な、家族。
これからも変わらない、たった一つの事実。




泣き疲れて眠ったエルをベッドへ運び、リビングへ戻る。リビングでは兄さんが穏やかに微笑んでいて、俺は堪え切れなくなってぼたぼたと涙を流した。その涙を拭ってくれる兄さんは、やっぱり優しく笑っていた。


「それにしても、お前があんなことを言うとは思わなかったよ」


兄さんが淹れてくれたお茶を飲みながら、なんとか気持ちを落ち着かせる。兄さんは滅多にお茶なんか淹れないから少しだけ渋かったが、それは黙っておくことにした。


「あんなことって?」

「エルが俺たちに甘えるのは当たり前のことだ、ってやつだよ」


かっと頬に熱が集まるのが分かった。泣いていたからとか、そんなことじゃない。兄さんは俺の反応が面白かったのか、にやにやと意地悪く笑っている。


「…うるさいな」


出た言葉はそれだけ。ああ、随分昔のことを思い出してしまった。
そうだ。エルに言った言葉は、ただの受け売り。


「そうやって諭されたのはお前のくせに」

「俺だって子供だったんだよ!」


ずっとずっと前。まだ俺たちが本当の『家族』になったばかりの頃。あの時はたったひとりしかいなかった、俺の『家族』から貰った言葉。






あるひとつの家族のかたち





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