senyu | ナノ







私はその日、光を見た。


私は人間界を訪れてからずっと俯いて歩いていた。人間界の太陽は魔界のそれよりもずっとずっと眩しい気がして、羽織ったマントと被ったフードで必死に太陽から逃げていたのだ。何より眩しかったのは、太陽の下で家族と笑い合う人々。私はパパもママもいなくなってしまったのに、他のみんなには当たり前のようにパパとママがいる。家族みんなで笑っている。眩しくて悔しくて悲しかった。
パパもママも理不尽に奪われた。その悲しみに暮れる間もなく、ポップコーンは弾けた。次々と飛び出していく魔物たちに呆然としたことを覚えている。それから、私は三代目魔王なのだから。私がしっかりしないと。私が、パパとママの代わりに魔界を治めないと。そう自分を奮い立たせて、右も左もわからぬ人間界へと踏み入れた。
飛び出した魔物たちのゆくえはわからなかった。そもそも、私は弱いのだ。魔物を見つけたところで魔界へ帰す手段もない。うまく交渉して穏便に帰ってくれればいいけれど、みんながみんな、いい魔物、いい魔族だとは限らない。私はそうパパに教わっていた。それでも私は立ち止まるわけにはいかなかった。それは、私の両肩にずっしりとのしかかる"三代目魔王"という肩書ゆえだった。


頭に衝撃。それから人の声。ああ、倒れたんだ。そう気づいたのは視界に誰かの顔が映ったから。誰かさんの頭越しに見える太陽はやっぱり眩しくて、喉が渇いたなあ、そう思った。随分と久しぶりに空を見上げた気がした。
誰かさんは勇者だと言った。隣に立っているのは戦士だと言う。戦士だと名乗った男の人の顔には見覚えがあった。勇者って、逆じゃないの。思わずそう言ってしまいそうだったけれど、私が魔王だと名乗った途端に目の色を変えた戦士さんに、言わなくてよかった、と思った。


私はその日、光を見た。
剥ぎ取られたマントとフード。久しぶりに見るフード越しではない空は、楽しそうに晴れ渡っていてやけに青かった。まるで、私とあの人たちとの出会いを祝福してくれているようだった。


勇者さんと戦士さんとのとても短かった旅は、ひとりぼっちの間に空っぽになってしまった私の心を満たしてくれた。旅の間に出会った人たちはとても優しくて、住む場所が違っても、種族が違っても、友達になることができるのだと知った。
勇者さんはとてもじゃないけど勇者らしくなくて、戦士さんの方は私が聞いていた彼とは全然違っていて、世界の危機とか、魔物の封印とか、そんなことがどうでもよくなるくらいに、彼らと一緒にいることは楽しくて、こんな時間がずっと続けばいいのになあ、と。そんな詮無き事を考えては、この夢もいつかは終わってしまうのだろうな、と首を振った。
私の予想は見事に的中して、それからすぐに戦士さんはいなくなってしまった。勇者クレアシオンという、私が持つ三代目魔王という重たい肩書に負けないくらいに、いいや、それよりももっと重い肩書を背負って、これがオレの義務だから仕方がないんだよ、そんな顔をして。勇者さんに、がんばれよ、と一言だけ残して。彼はいなくなった。残ったのは私と勇者さんと、私たちの間に確かに刻まれた絆と、赤いスカーフだけだった。
ずるいなあ、ロスさん。私は誰に言うでもなくそう囁いた。いなくなるんだったらちゃんと、何も残さないようにしてくれないと困るよ。ロスさんも、パパも、ママも。たくさんのものを残して、突然いなくなってしまう。残された私のことなんてちっとも考えていない。置いていかれるのがどれほど悲しいか、ちっともわかってない。
ねえ、そう思うでしょ、アルバさん。私は振り返って、赤いスカーフを握り締める勇者さんを見て、まぶしい、と呟く。私があの日見た光。フード越しではない空に浮かぶ太陽だと思っていたけれど、もしかしたら、太陽なんかよりもずっとずっと眩しい、勇者さんの瞳だったのかもしれないなと思った。


それからずっと、私はその光に魅入られていた。あの日、私が見た光。決して消えることなく、どこまでもどこまでも照らす、暁の光。
その光に魅入られて、その光の強さに憧れて、その光の明るさに希望を見て、その光に道を示されて、その光に導かれて、私はその光の後ろを歩く。
ただでさえ眩しかったその光は、時を経るごとに輝きを増して、私だけでなく、勇者クレアシオンの未来をも照らした。真っ暗な中を彷徨っていた勇者クレアシオンは、その光に暗いものを全部払われてしまった。勇者クレアシオンの旅は終わり。そうやって、千年もの間勇者を続けた彼の、重い肩書を投げ捨てて、光が勇者クレアシオンをただの人間に変えてしまった。
あーあ、かわいそうに。私は笑ってしまう。あなたもこの光に魅入られてしまったんだね。ううん、違うか。最初から魅入られていたから、あなたはこの人を選んだんだもんね。そうでしょ、ロスさん。


光は世界に平和を、私に家族を、勇者クレアシオンには終わりを齎して、自分には"勇者"という枷を嵌めた。
放っておけばまるで神様みたいなことを仕出かす彼を、私とロスさん、二人がかりで地上へ縫い付けて、必死に人間という枠に押し留めて、そうまでしてでも、私たちはせっかく手に入れた、やっと手に入れた光を、手放したくなかったのだ。知らぬは光ばかり。私とロスさんが二人で笑っていると、拗ねたように口を尖らせる彼は、私とロスさんが共犯者であるということをたぶん一生、知ることはないだろう。




――私はその日、光を見た。
その日から、どれだけの時間が流れただろう。




「……ルキ?寝てるの?」


優しい声がした。大好きな声。パパとママと妹の次に好きな声。家族以外では一番好きな声。私の光。私の導。睡魔に負けてうっすらとしか開かない瞼のその先に、見覚えのある赤い尻尾が揺れていた。


「寝かせておいてあげたらいいんじゃないですか。別に急ぎでもないですし」

「まあそうなんだけど。ルキ、今日のこと楽しみにしてただろ」

「どこかの誰かさんが研究研究で時間を作ろうとしませんからね」

「……だから、それは悪かったって。何度も謝っただろ」

「オレじゃなくてルキに謝ってくださいよ」


私の頭を撫でるのは優しい手だった。すぐにわかる。長い間、自分のためではなく誰かのために振るわれてきた手。あたたかくて、やわらかくて、私は大切な人を守るために使われてきたこの手が大好きだった。
ああ、なんだかとてもいい夢を見ていた気がする。まだ眠っていたいけれど、起きなければいけなかったかもしれない。大好きな声に名前を呼ばれて、大好きな手に頭を撫でられて、まだ夢の中にいるみたいに幸せで。この幸せを再び手放すことになったときは、世界を滅ぼしてしまうだろうなあ。そんな物騒なことを考えるくらいには、私はとても幸せだった。


「そういえば、今日で何回目だっけ?」

「そんなことも覚えてないんですか。さすが脳ミソ空っぽなだけはありますね!」

「入ってるからね!?」


数秒の間。それからくすくすとささやかな笑い声。このやり取りも何度目だろうなあ。さあ、何度目でしょうね。指折り数えるロスさんの姿がすぐに思い浮かんで、そんなロスさんを呆れたように見ているアルバさんの姿も、同じくらい簡単に思い浮かんだ。二人で楽しそうにしてずるい。文句を言いたかったけれど、心の広い魔王様は許してあげるのだ。今日だけだけど。


「でも、本当にボクたちだけでよかったのかな。誘ったらみんな喜んで来てくれそうだけど」

「本人がそれでいいって言うんだからいいんじゃないですか?うだうだ言ってるとまた殴られますよ」

「……それは遠慮したいかな」


私の身体にそっと掛けられたのはきっと毛布だろう。ほんの少し魔法の気配がしたから、きっとアルバさんが魔法で取り出したものだ。魔力の無駄遣いしてるとロスさんに怒られるんだからね。突然得た魔力をうまく扱えなくて牢屋に放り込まれていたアルバさんの姿を思い出して懐かしくなる。今のアルバさんは国営の魔法研究所なるものの所長を務めていて、魔法の扱いはそこらの魔族よりもずっと上手だ。よく魔法を暴発させてはロスさんにアバラを殴られていたアルバさんはとっくの昔にいなくなった。寂しくもあるけれど、それ以上に誇らしいのは、私が私の光に対して盲目だからだろう。


「そういえばさ、ロス。お前、ちゃんと用意したか?」

「当然でしょう。まあもっとも、誰かさんがケチケチしてないでちゃんと給料払ってくれればもっといいものが用意できたんですがね」

「給料はちゃんと払ってるだろ!?人聞きの悪いこと言うなよな!」

「なんですか、その言い方。この間の研究、先に進んだのは誰のおかげだと思ってるんですか」

「エルフたちだろ」

「……」


痛い痛いと悲鳴が聞こえる。きっとロスさんがアルバさんのアバラを殴っているのだろう。魔法を暴発させてロスさんにアバラを殴られるアルバさんはいなくなったけれど、理不尽にアバラを殴られるアルバさんは健在なのだ。まったく、何年経っても変わらない人たちなんだから。
私はあたたかくて優しいにおいのする毛布に潜り込んで、二人にばれないようにこっそりと笑う。寝たふりを続けていればもう少し二人の会話を聞いていられるだろうか。最近は私もアルバさんもロスさんも忙しくて、こんな風に会話を楽しむ時間も少なくなった。懐かしいような、少し寂しいような、そんな気分になって、笑っているのにつんと鼻の奥が痛んだ。


「ルキ」


名前を呼ばれて、毛布の上から頭を撫でられて、お見通しなんだよなあと苦笑する。きっと二人は私が起きていることにも、敢えて寝たふりをしていることにも、少しだけ泣いてしまったことにも気づいていて、だからこうして、私をあやすように名前を呼んで、頭を撫でるのだ。まるで昔のように。いつだって三人一緒にいた、あの頃のように。


「……もう。私、もう子どもじゃないんだからね」


私は観念して毛布から顔を出す。あの頃よりも落ち着いた、それでもなお眩しい光が二つ。慈愛に満ちた目で、私を見ていた。


「オレからしたらルキも勇者さんもいつまでも子どもだよ」

「ロスさん、千歳超えてるもんね」

「生まれたのが千年前ってだけで、実際の年齢はボクたちとほとんど変わらないだろ」

「まあ、それもそっか」


ロスさんはアルバさんのアバラに渾身の一撃を放って、それから同じ手で私の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。やめてよお!悲鳴を上げたら、あの頃よりも伸びたママ譲りの桃色の髪がロスさんの手にそっと梳かれていった。そんなに優しい手つきで梳かれてしまえば、それ以上の文句は出てこない。まったく、いつからこんなに私の扱いが上手くなったんだか。


「おはよう、ルキ」

「おはよう、アルバさん」

「気分はどうだ?」

「最高だよ、ロスさん」


二人の手を借りて立ち上がる。あの頃。はじめて光を見たあの日よりもずっと近くなったアルバさんとロスさんの目を見て、その中に映り込む私の姿に笑う。この中に宿る光と、映る私は、どれだけ時間が経っても変わらない。それがとても幸せだと思えた。


「さて、今日は何の日でしょう?」


私の質問に、アルバさんとロスさんが顔を見合わせる。それからほとんど同時に噴き出して、アルバさんが宙に出したゲートに二人揃って手を突っ込んだ。アルバさんが取り出したのは大きな花束で、ロスさんが取り出したのは大きなりんごのケーキだった。想像通りのものが飛び出してきたので、私は声を上げて笑ってしまった。これを貰った最初の日に私がいたく喜んだから。二人はそれから毎年、この日には花束とケーキを用意してくれるのだ。
またですか、とアルバさんの手の中にある花束を見てロスさんが呆れたように溜め息をつく。そっちこそ、とロスさんの手の中にあるりんごのケーキを見てアルバさんが苦笑した。私はもう何度も聞いたそのやり取りに、胸の奥から温かな気持ちが溢れてくるのを感じていた。ああ、幸せすぎて泣いてしまいそうだ。


「「二十歳の誕生日おめでとう、ルキ」」


あれから十年。あの日、光と出会って、十年だ。あれから十年経っても私たちはここにいて、一緒に同じ時間を生きていて、毎年私の誕生日には花束とケーキを用意してくれる彼らがいて、これを幸せだと言わずして何と言えばいいだろう。少なくとも私はその言葉以上にふさわしい言葉を知らないし、きっと、人間界と魔界の言葉のすべてを尽くしても、これ以上の言葉は見つからない。それでいいのだ。だって、私は幸せなのだから。


「ありがとう!アルバさん、ロスさん!」


私は勢いをつけて二人に抱き着いて、二人は私の行動がわかっていたかのように当たり前に抱き留めてくれる。花束とケーキはいつの間にかテーブルの上に。二人の両手は私の背中に。私の両手は彼らの背中に。三人でお団子のようにぎゅうぎゅうと抱き締め合って、顔を突き合わせて、ただ笑う。これから先もずっと続くだろうこの幸せに、私は。


「ずっとずっと大好きだよ!」




せかいにあいしているよとささやいた




20200827


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