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(シランの後日談)



時折夢に見る。
雲一つない青空。穏やかに吹き抜ける風。
手のひらから舞い上がる、やわらかい光。


その時オレは笑っていて、きっとあの人も笑っていて。世界があの人の旅立ちを祝福しているような、そんな気持ちになったことを覚えている。
世界は決して優しくはなかったけれど、決して冷たくもなかったのだ。


時折夢を見る。
自分のはじまり。千年の眠り。目覚めた先で出会った人々。戦い、取り戻した友。失った父。全てをすくいあげてくれたあの人。置いて行った呑気な自分。最期まで笑っていたあの人。そして、生の終わり。


夢を見る。
その夢が現実かどうかも分からないのだけれど。
夢を見る。夢を見る。
苦しくはない、優しく、やわらかい夢を見る。






「おーい!何してるんだよ戦士!」

「ロスさん、置いてっちゃうよー」


天気は晴れ。雲一つない青空。今日も今日とて勇者と戦士と魔王という妙なパーティは目的も曖昧なまま旅をする。
無邪気にはしゃぐ勇者と魔王。歩みの遅いオレを、数歩先から呼んでいる。手に持った花をどうするつもりなのだろうか。戦士にあげるよ、だなんて言われたら思わず手が出てしまうかもしれない。お礼(物理)である。深い意味はない。


「それにしても今日はあったかいなあ」


二人に追いついて、とりあえず勇者さんを殴っておく。殴られた勇者さんはこの理不尽な暴力にも慣れたのかほんの少しだけ文句を言ったあとに意識を別の所へ向けた。この切り替えの早さは見習うべきところかもしれない。


「もうすぐ春だもんねえ」


勇者さんの隣に並んで、同じように空を見上げるルキ。何か珍しいものでもあるのだろうかと倣ってみるが、そこにはただただ青い空が広がっているばかりである。
何が楽しいのか、にこにこと笑っている勇者さん。ルキも笑っている。この二人の間に流れる空気はたまによく分からない。何故笑っているのか聞いても、きっとオレに分かる返答は来ないだろう。期待していない。


「なんかさあ、」


遂には足を止めて空を見上げる勇者さんが、ぼんやりと呟いた。それは独り言なのかもしれないし、オレたちに聞かせるために発した言葉なのかもしれない。ルキと揃って勇者さんを見る。相変わらずアホっぽい顔である。


「ボク、青空って好きなんだよなあ」


なんてことはない、そんな言葉。その言葉に、心臓がどくりと脈を打つ。どくり、どくり、途端に不規則になる脈拍の音が頭の奥まで響き渡る。
どうしてこんなに動揺しているのだろう。何を狼狽えることがある。冷静さを取り戻せ、と命じたところで心臓は正直だ。どくり、どくり。


ああ、捕まえないと。いなくなってしまう。


「…なんだよ、戦士」


不審そうな目。不審そうな、というよりも驚きと心配の色を濃く宿している。瞬きをひとつ。いつの間に掴んだのだろう、男にしてはまだ細い腕が、オレの手の中にあった。
離さなければ。そう思うのに、手の力は緩まるどころか強くなる一方だ。ほら、勇者さんが困っているだろう。頭の中の冷静な自分はそうやって言っているのに、オレの手は言うことを聞かない。聞いてくれない。
小さく震える手。悟られてはいけない。噛み殺す。仕舞い込む。蓋をする。大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫。


「大丈夫だよ」


そっと触れる小さな手。ルキが困ったように笑っていた。泣きそうにも見えた。


「大丈夫だよ、ロスさん」


手を離す。強く握られた腕には赤い手形がくっきりと浮かび上がっていた。勇者さんは心配そうにこちらを窺っている。ルキは、ただオレの手を握っている。
ああ、ほら、大丈夫じゃないか。オレが手を離したって、勇者さんはいなくならない。当たり前だ。あれは夢だ。夢だったのだ。だから大丈夫。大丈夫だ。


「戦士?大丈夫か?具合でも悪いのか?」


額に手を当てられる。温かいてのひらだ。大丈夫。もう一度自分に言い聞かせて、勇者さんの顔を見た。眉をハの字に下げた情けない表情。笑えた。


「勇者さんに心配されるとか、オレも落ちたものですね」

「なんだよ!人がせっかく心配してやったのに!」

「別に頼んでませんけど」

「そう言うと思ったよチクショウ!」


いつものようなやり取り。いつからか日常となった。オレの言葉にテンポよく返答をする、よく通る溌剌とした声。時には大袈裟な身振り手振りを交えながら、時には呆れたようにぽつりと。オレの言葉に応える彼。
どんなに理不尽なことをされても、次の瞬間には笑っていた。許容範囲が広く、滅多なことで怒らない勇者さん。いつだって笑っているし、よく泣いている。感情表現が豊かで、底抜けにお人好しな勇者さん。


『ありがとな、』


あの瞬間も、彼は確かに、笑っていて。


「さて、そろそろ行かないと今日も野宿になっちゃうな!」

「誰が足を止めたと思ってるんですか。野宿は勇者さん一人でしてください」

「えー…。いや、まあ、足止めたのボクだけどさあ…」

「アルバさん、頑張ってね!」

「ボク野宿する前提なの!?」


またいつか、と願った。
またいつか、彼に会うことができたなら。今度こそ伝えたい言葉があるのだと。それだけを願っていた。


あのとき生きていたシオン――または勇者クレアシオン、或いは戦士ロス――が終わる瞬間まで。彼を思い出す度に、きっと願っていた。
またいつか、があるならば。そのときはどうか、幸福な日常を、幸福なさいごを、あの人に。


「ほら、行きますよ」

「わ、待ってよ!」


あのとき、あの夢の中の自分が、すくいあげてもらったように。今度は、自分が。置いて行かず、守り抜いて、守り抜いて、今度は、今度こそは、見送る側でなく、見送られる側に。今度こそ、今度こそ。
そして最後の瞬間に、いつものように笑いながら、いつものようなやり取りをしながら、あのとき伝えられなかった、届かなかっただろう言葉を、彼に。


「…待って!置いてかないでよー!」


ルキがオレの手を取った。反対側の手で勇者さんの手も取る。ひとつに繋がった手を見て、ほんの少しのくすぐったさを感じた。ぎゅ、と意外なほど強い力で繋がれる手。少女は決して泣くことはない。
ああ、ごめんな。頭を撫でてやると、ルキは嬉しそうに顔を綻ばせた。そうして上機嫌に、繋いだ手を大きく振る。それにバランスを崩した勇者さんが悲鳴を上げて転びそうになる。その姿を見て二人で笑う。勇者さんは少しだけ文句を言って、すぐにへらりと笑う。そんな、日常。


「ボク、なんだかんだでこうやって戦士とルキと旅してるの、気に入ってるんだ」


ぼんやりと青空を見上げながら、勇者さんは言う。人の良さが滲み出る、他人を安心させるようなやわらかい表情。


「空は青いし、風は気持ちいいし。太陽の光はあったかいし。世界は眩しくて、こんなに綺麗だし」


オレとルキが足を止めたのにも気付かず、勇者さんは数歩先を歩く。一歩一歩、踏み締めるように歩く、彼の姿が。夢の中での頼もしい彼の背中と重なって。
くるり、振り返った勇者さんは、見たこともないようなやわらかい笑顔で、オレとルキを見た。


「ありがとな」


また、一緒に旅をしてくれて。
彼が小さく落とした言葉は、突然吹いた風にも掻き消されることなく、しっかりとオレとルキの耳まで届いた。


運命の悪戯か、それともこれは、奇跡と呼ぶべきなのか。
分からないけれど。


「うん。…もう、置いて行かないでね」


ルキが笑う。目にいっぱい涙を溜めて、しっかりと笑う。少女の零れそうな涙をそっと拭った彼もまた、うっすらと涙を浮かべていた。目を伏せる。言い表せない気持ちを、ともすれば口から滑り落ちてしまいそうな言葉を、それでもなんとか内に留めて。笑う。


「一緒に行こう。アルバ、ルキ」


手を伸ばす。触れて、繋がる、みっつの手。温もり。かけがえのない、友。やっと、つかまえた。






時折夢に見る。
雲一つない青空。穏やかに吹き抜ける風。
両の手のひらを包む、あたたかさ。


その時オレは笑っていて、あの人も、あの少女も笑っていて。世界がオレたちの旅立ちを、再会を、祝福しているような、そんな気持ちになったことを覚えている。
世界は決して優しくはなかったけれど、決して冷たくもなかったのだ。世界は、こんなにもあたたかかった。


時折夢を見る。
自分のはじまり。千年の眠り。目覚めた先で出会った人々。戦い、取り戻した友。失った父。全てをすくいあげてくれたあの人。置いて行った呑気な自分。最期まで笑っていたあの人。そして、生の終わり。
新しい生と、出会い。再会。何もかもを知って、それでもなお笑い合う姿。共に歩く、暖かな太陽の下。繋がる手。


夢を見る。
その夢が、夢でないことを知りながら。
夢を見る。夢を見る。
苦しくはない、優しく、やわらかい夢を見る。






こんにちは、お元気ですか

(また会えたときには何を話そうか。)
(思い出話でもしてみようか。)

(さあ、あなたのはなしをきかせてください。)







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