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「シーたん!シーたんシーたん!シオーンっ!!」


ばたばたばたん。騒々しく駆けてくる足音が聞こえる。今更驚くようなことじゃない。こうやって騒がしいのも日常茶飯事である。以前じゃ考えられなかったその音も、自分の名前を呼ぶその声にも慣れきってしまった自分に少しだけ笑みが浮かんだ。


「シーオーンっ!」

「…なんだよ、レイク」


転がるように部屋に飛び込んでくるのは小さな姿。オレよりもいくつも年下のこいつは、なんとオレの兄らしい。黒い髪だったり赤い目だったり。どこをどう取っても似たところばかりのそいつは、ただひとつ、性格だけが正反対だ。オレはこんな風に騒がしく人の名前を叫んだりしないし、泥まみれで家に上がったりもしない。
頬にも服にも泥をつけた小さな兄の姿に溜め息をひとつ、部屋に常備してあるタオルを投げつける。わぷ、だなんて情けない声を上げて、兄はそれでもなんだか楽しそうに笑ってごしごしと顔を拭いた。そのタオルを投げ返してくることもなく、シーたん、ともう一度オレの名前を呼びながら歩を進める。


「シーたん!」

「だから、なんだって」

「オレ、シーたんのお兄ちゃんだよ!」

「…はあ?」


誰に似たんだか、兄が突拍子もないことを言うのはいつものことである。それは今は隣家に住む幼馴染のようでも、遠い昔に置いてきた父のようでもあった。重なる姿に、もう一度小さく溜め息。そんなところばっかり似なくてもいいものを。


「あのね、シーたん!」

「…うん」

「オレ、シーたんのお兄ちゃんだから」


えへん、と小さな胸を張り、どうだと言わんばかりにオレを見る。正直、何が言いたいのかさっぱり分からない。首を傾げて兄を見る。兄はそんなオレの様子に、今度は不服だと言わんばかりに頬を膨らませた。
そんな顔をされても、何が言いたいのかわからないのだから仕方ない。どうしたもんかと眉間に皺を寄せて考える。小さな兄は膨らませた頬から空気を抜いて、満面の笑みでこう告げた。


「お兄ちゃんって呼んでいいぞ!」

「何言ってるんだお前」


告げられた言葉は予想の斜め上を行っていた。何言ってるんだコイツ、と思ったら、そっくりそのままの言葉が口から飛び出していた。何で言い直した!?遠く遠く、どこかの空の下にいるだろう勇者さんのツッコミの声が聞こえた気がした。勇者さんマジパネー。


「だーかーら!オレのこと!お兄ちゃんって!呼んで!!」


じたじたと手足を動かし、駄々を捏ねる小さな兄。なんでそんなことを急に言い出したのか本気で分からず、戸惑うオレ。そんなオレたちの様子を、ドアの向こうからにやにやと見守る幼馴染。
オレは手元にあった枕を引っ掴んで、幼馴染に向けて全力投球。スピードに乗ったそれを真正面から顔面キャッチした幼馴染は、悲鳴を上げる間もなくノックアウト。さすがオレ。平和ボケしても反射神経は衰えていないようである。


「クレアさん!?」


物凄い音に飛び上がった兄が、ドアの向こうで倒れ伏している幼馴染に駆け寄っていく。幼馴染は兄の姿を見つけると、ぐっと親指を立てて静かに目を閉じた。
幼馴染の名を呼び、何度も彼の肩をゆする兄。それにも反応せず、ぐったりとした幼馴染。なんだこの茶番。とりあえずドアを閉めて鍵も掛けておいた。椅子に腰掛け、読みかけていた本を開く。


「シーたん開けてよお!」

「シーたんお兄ちゃんだよお!」

「シーたん!」

「シーたん!」


ドアの向こうから涙混じりの声。激しくドアを叩く音。オレの名前を呼ぶ声が幾重にも重なって、わんわんと反響する。文字に目を落としても、一向に内容は頭に入らない。


「ええい、うるさい!」


ドアを開けると、犬二匹。間違えた。兄と幼馴染の二人が、涙目でドアに縋りついていた。オレと目が合うや否や、ひっしと足にしがみつく。とりあえずそれを振り払って、オレは二人の頭を掴んだ。アイアンクローである。


「い、いだだだ!痛い、いだい!!」

「ちょ、シーたん!ひどい!痛い!オレ、お兄ちゃんなのに!」


オレの手の中がみしり、と音を立てる。ぎゃあ、と揃って悲鳴を上げる兄と幼馴染。オレは手の力を緩めることなく、にっこりと笑った。


「ごめんなさい、だろ?」

「「ごめんなさいいいいっ!」」


素直な言葉に手を離してやる。床にうずくまって頭を抱える二人の姿がなんだか無性に可笑しくて、ぶふ、と噴き出してしまった。本当に、こいつらは見てて飽きない。
一度笑ってしまえば、とめどなく笑いが込み上げてくる。くすくす、止まらない笑いに、遂には腹を抱えてしまった。笑い転げているオレの姿をきょとんと見る二人。その顔がじわじわと緩んでいき、二人は顔を見合わせる。


「シーたん、楽しいみたい」

「そうみたい」


がばりと起き上がって、オレに向かってタックルしてくる。完全に油断していたオレは、二人分の体重を支えることができず、そのまま床に尻餅をついた。笑いも引っ込んで、とりあえず一発殴ろうと拳を固めて。はた、と気付く。なんでこいつら涙目なんだ。
ぎゅうぎゅうと抱き締められる。痛い。痛いけれど温かい。この二つの温もりを、助けて、助けられて。そうしてこんな平和な日々を送っているのだと、唐突に気付く。胸が温かくなる。


「クレア、…兄さん」


名前を呼ばれ、ばっと顔を上げた二人の顔は想像していたよりもずっと情けなくて、そんな二人の目に映ったオレの顔も、相当情けないものだった。


「…ありがとう」


ぼろり、二人の目から涙が溢れて、また名前を呼ばれる。何度も何度もしつこいくらいにオレの名前を呼ぶその声は、温かくて心地いい。馬鹿みたいだ。馬鹿みたいに幸せだ。


「レイク、シオン、クレアくんも。ケーキ焼いたけど、食べる…って、あら」


聞こえた声に顔を上げる。男三人が寄り添って涙を浮かべているその姿を見た母さんは、困ったように笑って。その細い腕で、オレ達をまとめて抱き締めた。


「ああ、幸せね」


ねえ、ルキメデス。母さんが囁いたその名前は、憎くて仕方なかったあいつの名前ではなく、昔々、大好きだった父さんの名前だった。






あまいあまいフルーツタルト
(切り分けて、五等分。)






20141019


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