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(ひあるば+シオン)



ぼろぼろになった赤いスカーフ。身の丈に合わない大剣。傷だらけの身体。何より変わったのは、その目だった。
あんなに丸くて大きくて、見るもの全てにきらきらと輝いて、汚れなんてなくてただただ純粋に前を向いていたはずの目が。どこか遠くを見て、くすんだ色をして、それでもぎらぎらと燃え滾っていた。
ああ、似合わないなあ。なんて。呑気に考えている間にも。彼は大剣を大きく薙いで、魔物を両断する。返り血を浴びようとも関係ない。隣で少女が泣きそうな顔をしていてもお構いなし。あんた、そんな人じゃなかったでしょう。呆れて溜め息が出る。


ばかだなあ。ただ、そう思った。
オレのためなんかにそんなに頑張らなくてもよかったんですよ。あんたはあんたのために、好きに生きたらよかったんです。別にオレはあのまま眠っていてもよかった。そりゃあ欲を言えばもっと彼らと旅をしていたかったし、こうして千年越しに平和な世界を親友と歩くのも悪くはないから、現状に不満はまったくないのだけれど。
ばかですね。元々ばかでしたけど、オレがいる世界のあなたの方が、もう少しだけ賢かったかもしれません。


少年がスカーフを握り締めた。そうしてたまに泣きそうな顔をするくせに。何を大人ぶっているのだか。
その格好もその大剣も、あなたに似合ってないですよ。身の丈を知ってください。あなたはスピードタイプなんですから、大剣なんて持たなくてもいいんです。短剣で敵の隙をつけばいいんです。
そうやって一生懸命、オレの姿を追わなくていいんですよ。


少年は時折声を殺して泣いていた。少女が泣き疲れて眠ったころ。宿の外で空を見上げながら。嗚咽を飲み込んで泣いていた。悔しいのか悲しいのか、傍から見ているだけのオレには分からなかったけれど。ただただ、ばかだなあ、と思って。オレはひっそりと笑うのである。


ねえ、勇者さん。あんた、ばかですよね。
声を掛けてみる。大きな瞳からぼろぼろと零れ落ちていた涙が一瞬で掻き消えて、あの似合わない乾いた目に戻る。
誰だ。彼が精一杯の低い声を出してこちらを威嚇する。それは確かに彼のことを知らない人からすれば恐ろしいものかもしれなかったけれど、スライム一匹にぴーぴー泣き喚く彼を知っているオレからすれば愉快なものでしかなかった。


ねえ、勇者さん。オレはあんたにそんなこと望んでなかったですよ。あんたの好きに生きてくれればよかったんです。オレのためにそんなに必死にならなくてよかった。あんたとルキと、それからあの短い旅で出会った奴らが今まで通りに平和に生きて、小さなことで笑って、そうして最期の瞬間を迎えてくれたら。オレがあのときあの行動を取った意味があったんです。
オレの影を追わなくていいんですよ。頑張らなくていいんです。誰のためでも、何かのためでもなく、自分のために、生きてくれれば。それでよかったんです。


オレの言葉に、少年は瞳を揺らがせた。


でもね、勇者さん。オレはね、オレの世界のあなたには言いませんけど、嬉しかったんですよ。
オレのために必死になってくれる人がいる。オレのために泣いてくれる人がいる。オレの笑顔を、幸せを、願ってくれる人がいる。こんなオレの隣で笑ってくれる人がいる。こんな幸せがあっていいものか、って。クレアとの旅を始めた当初はずっと思っていました。夢なんじゃないかって、何度も思いました。
でも、夢じゃなかった。この幸せは紛れもなく現実で、紛れもなくあなたがくれたもので、オレはこの幸せの中で生きてもいいのだと、あなたが許してくれたんです。あなたがオレを生かしたんです。
こんなこと、絶対に言いませんけど。オレは、今、とても幸せなんですよ。


少年のまだまだ細くて小さな肩が震える。ばかだなあ、と笑ってしまった。泣きたければ泣けばいいのだ。昔は出来ていたことが、たったの数か月で出来なくなるはずがないのに。


「もういいよ」


そっと頬に触れた。痩せこけて骨しか残っていない頬。ふっくらと丸みを帯びていた、引っぱったら面白いくらい伸びていた、子供のような頬は、そこにはなかった。そこにあるのは、彼が死に物狂いで強くあろうとした、証だけ。


「オレは幸せですよ。だから、もう頑張らなくていいんです」


ねえ、勇者さん。もう泣いていいですよ。あんたのお陰で、オレはここにこうして、立っていられるのだから。


「…ろす、」


ぽつり、と彼の口から漏れた言葉は、そりゃあもう情けないものだった。掠れて、涙に濡れて、迷子の子供みたいな、そんな声だった。


「はい、なんですか、勇者さん」


あやすように、自分に出来る限りの優しい声を出す。頬を滑らせていた手を頭に置いて、そのぱさぱさの髪を掻き回すように撫でた。その拍子に彼の大きな目から落ちる、涙。


「ボク、もうがんばらなくていいの?」


がんばるのは痛いんだ。つらいんだ。涙が出るんだ。ボクは何もできないんだ。いつもお前に助けてもらってたんだ。ルキは泣いてばかりで、お前の手がかりは何も見つからなくて、魔物は怖くて、夜が怖くて、でもがんばらなきゃいけなくて。もう嫌なんだ、がんばりたくないんだ、でもお前のことは諦めたくないんだ。だって、お前はボクの仲間で、大事な友達だから。
また一緒に旅がしたいんだ。ボクはお前に言いたいことがたくさんあるんだ。まだたった数か月しか一緒に旅をしていないじゃないか。もっともっと、お前と見たいものがあるんだ。


「はいはい。勇者さんは仕方ないですねえ」


ぼろぼろ、目から、口から、溢れ出る、彼の本音が。痛いくらいに胸を突く。申し訳なさと嬉しさが綯い交ぜになって、笑ってしまった。本当に、ばかなひとだ。


「もう頑張らなくていいですよ。オレは充分しあわせです」


さっきから言ってるでしょう。そう言って頭を一発殴れば、殴られた場所を手で押さえながら、やっと少年が顔を上げた。


「そっか」


満面の笑み。憑き物が落ちた顔で笑う少年を、そうそうこれだ、ともう一発殴っておいた。痛い、と小さく零しながら、少年はまた笑う。殴られて笑うとか、勇者さんってとんだマゾヒストですね。そう言ったら、お前はそういうやつだよ、と声を上げて笑った。


勇者さん。オレは彼を呼んだ。何、と返事をする少年の目は、オレの良く知っている彼のものだった。


「もう頑張らなくていいです。だけど、」


オレのことを、諦めないでいてくれますか。この世界のオレのことを、迎えに行ってやってくれますか。問い掛ける。
オレは今とても幸せで、それは間違えようのないもので。だけどこの世界のオレは、未だにどことも知れない場所で、哀しくて苦しくて寂しい思いをしているのだ。こう言うのは非常に癪ではあるけれども、やっぱりオレは、この人に、迎えに行ってやってほしい。
ただひとり、オレを友だと呼んで、オレを諦めないでいてくれた、この人に。


「当たり前だろ!」


だってボクは、そのために強くなるんだ。間髪入れずに返ってきた答えに安心して、また笑う。よかった。これでこちらの世界のオレも、幸せになれそうだ。


「じゃあひとつ言っときますけど、その似合わない大剣やめた方がいいですよ。似合ってないしあんたの特性を殺してます。似合ってないし」

「似合ってないって三回も言うなよっ!」

「いやだって、似合ってないですし。何ですかその格好、オレの真似でもしてるんですか。ぷーくすくす」

「ちっくしょう!分かったよ、やめるよ!やめればいいんだろ、もうっ!」


顔を見合わせて、笑う。拳をぶつけて、しっかりと顔を見る。これでこそオレの知っている勇者さんだ。勝手に満足して、そうして彼の背中を蹴り飛ばした。


「ぐへっ!」

「ほらほら、いつまでも辛気臭い顔してないで、さっさと寝てください。次にルキのこと泣かしたら通報しますからね」

「うう…わかったよ、気を付けるよ…」


宿へ向かう彼の背中に、オレは囁いた。ありがとうございます。その言葉は聞こえたのかどうか。彼は一度だけ肩を揺らしたけれど、振り返りはしなかった。


「いってらっしゃい、勇者さん」

「いってきます、どこかの世界のロス」


そうだ、元の世界に戻ったら、うちの勇者さんにクリームあんみつでも買って行ってやるか。そんなことを何とはなしに考えた。家庭教師の日でもないけれど、特別な日でもないけれど。そんなことをしたら、化け物を見るような目をするだろうことも想像には難くないけれども。
あんたのおかげで、オレは今しあわせなんですよ。そんな言葉を吐くことはきっと一生ないけれど。言わなくてもどうせ分かっているに違いないけれど。たまには、そう、本当にたまには。感謝を伝えてみるのも悪くない。
頑張ってくれてありがとう、と。そんな言葉を吐くのも、悪くない。そんな言葉を聞いて、ぼろぼろ年甲斐もなく泣き始めるだろう彼をからかってやるのも、きっと悪くない。


暁の空。夜明けは近い。






前略、さようならを知らない君へ
(きっといつかまた会えると、そう信じて止まない。)






20140608



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