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ごめんなさい、と言われた。
助けてください、と言われた。
助けてあげてください、と言われた。
頭を下げられた。泣きながら懇願された。私たちのせいです、と言われた。どんな罵りでも受けます、だから助けてください、と少女は地面に頭を擦り付けた。言われている意味が分からなかった。何を言っているのだろうと思った。

言われている意味が理解できた瞬間、へらりと笑ったあの人の顔が頭の中に浮かんだ。それもすぐに消えた。

迎えに行こうと思っていた。いい加減二人旅は飽きたんで一緒に行きませんか。そう言うつもりでいたのだ。土産話もいくつも用意して、どんな会話をしようとか、背が追い越されていたらどうしようとか、そんなどうでもいいことを考えていたのだ。


そこにいた兵士は疲れ切った顔をしていた。通してくれ、と言うと、無表情で鍵を手にした。手にして、兵士はぼろりと涙を零した。泣きながら、そこまで案内してくれた。


ひどい臭いだった。魔力を封印するためのお札がべたべたと貼られた監獄。冷たくて暗い場所。そこが今の彼の部屋らしい。見慣れた白黒の服の上にいつから着ているのか汚れた上着を羽織り、隅の方で横になっている姿。
兵士は涙で濡れた声で、すみません、と言った。何がなんだか分からなかった。彼を呼んでも、彼はぴくりとも動かなかった。それが何故か腹立たしくて、オレは鉄格子を力任せに殴った。がしゃん、と派手な音が響く。

振り向いた顔は、見慣れたそれではなかった。


酷く小さな声で、名前を呼ばれた。兵士は嗚咽を堪えながら牢の鍵を開ける。オレが中に入ったことを確認して、また牢の鍵を閉める。すみません、頻りに謝る声が聞こえていた。


久しぶりだな、背が伸びたな、日焼けもした。クレアは元気か。そんな言葉を、ゆっくり、吐息に紛れそうな小さな声で紡ぐ。少し話しては大きく息を吸い、荒く呼吸をする。あんなに元気な声でオレの言葉一つ一つにツッコミを入れていた人とは思えなかった。


「ごめん、ボク、人とはなすの、ひさしぶり…なんだ。うまく、はなせて、ない?」


その言葉に、目の奥が熱くなった。オレは一体何をしていたのだろう。自分を責めた。どうしてこの人を置いて行ったのだろう。何も伝えずに行ってしまったのだろう。責めた。だけどその行為も自分のエゴなのだと気付いて吐き気がした。


「…っ、…いいえ。ちゃんと話せてますよ」


彼の横に腰を下ろす。覚えている姿よりも随分と小さくなった。きっと服の下には骨と皮ばかりがあるのだろう。あんなに強くなったのに。もうこの人は、一人で立ち上がることもできない。


「なんですか。勇者さんがまたこんなところに入ってるっていうから笑いに来たのに。あなたって本当に馬鹿ですね、って言いに来たんですよ、オレ」


そうだ。笑ってやろうと。そう思って、ここまで帰ってきた。風の噂で、彼が膨大な魔力を持て余して自身を封印した、と聞いた。お人好しなあの人がやりそうだ、とクレアと話して。
迎えに行こう、と言ったのはオレだ。まだ封印されてるのかな、とクレアは言った。あれから随分と長い時間が経ったから、さすがに自力で魔力を操作できるようになってるだろう、と笑った。まさかこの牢から一度も出してもらえていないなんて、誰が考えるだろう。


こんなことなら。もっと早く、迎えに来てやればよかった。そうすれば、そうすれば。この人を、こんな目に遭わせはしなかったのに。


「…すみません…っ」

「ろす?」

「…すみません、勇者さん、オレ、オレは…」


いくら謝罪をしても足りない。オレは、オレ達を救ってくれた人に、何て仕打ちをしたのだろう。
今なら分かる。あの少女が地面に頭を擦り付けた理由。誰も彼もが泣きそうな顔で、或いは本当に泣きながら、ここへ向かう俺を見送った理由。彼は、慕われていたのだろう。だからこそ、彼を救えるのはオレしかいないと考えたのだろう。

色違いの目が俺を見る。オレは彼の目を見ることができなかった。


「もっと早く、ここに来るべきでしたね」


そうしたら、あなたをこんなに苦しめることはなかったのに。思わず零れてしまった言葉。こんなに、苦しめたくはなかった。

彼の額に触れる。柔らかそうだった彼の髪はもうあの頃のような艶もない。オレよりも体温の高かったはずの彼の額は冷たい。彼は、大きな黒目から、一粒だけ涙を流した。


オレは彼に魔法をかけた。彼の魔力を抑え込む魔法。抑え込んだ魔力をオレに移す魔法。痛みや苦しみを取り除く魔法。体力を回復させる魔法。そして、彼の思考がオレに伝わる魔法。


「…目…」

「目?目がどうしたんですか?」

「ぼくのいろ?」


あどけない顔で彼はそう訊いた。両の目は、見慣れた色をしている。だからオレは、小さく笑って、彼の頭を撫でた。


「はい。あなたに似合いの、あなたの色です」


彼は気付いているだろうか。もう見えていないだろうか。
オレの後ろに立つ、魂の魔法使い。彼が、少しだけ寂しそうな顔で微笑んでいる姿。きっと見えてはいまい。だからオレは、立ち上がって、あの人に手を差し出す。


「一緒に行こう、アルバ」


オレの手を取るために持ち上げられた手は、オレに届くことなく空を掴んだ。オレはもう一度彼の横に膝をつき、その手を取る。


「…頼む、」

「はい、分かりました」


魂の魔法使いが、痩せ細った彼に触れた。どこか愛しげに触れる様子を見て、こいつもこの人のことが大切だったんだなあと他人事のように考えた。
淡い光。ゆらゆらと、弱々しく、それでもあの人らしく優しく光る。その光をそっと受け取って、大切に、大事に、両手で包み込む。伝わってくる彼の言葉。それにひとつひとつ、あの頃のように応えて。


外に出る。千年前から何も変わらない青空が視界いっぱいに広がる。穏やかな風が頬を撫でる。ああ、いい日だ。


「ありがとな、」


頭の中に聞こえる、あの人の声。あの人はきっと笑っている。


「それはこっちの台詞だ」


聞こえているだろうか。聞こえているだろうか。


「ありがとう、アルバ」


てのひらから、ふわりと舞う、光。
それがあまりに美しかったから、あの人らしいなあと、笑ってしまった。






さよならなんていわないよ

(だからまたいつか、)
(またいつか、)







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