senyu | ナノ



※おくすりロスさん(閲覧注意)



ざらり、瓶の中の錠剤が揺れる。蓋を開け、瓶を振る。手の中に零れ落ちる白い粒。ぼう、とそれを眺めた。これを飲み始めたのはいつだっただろうか。きっとそれは遠い遠い昔のこと。全てを夢だと信じて眠りを望んだあのとき。相反して眠りを求めない身体。こんなものに頼ったって、そう思いながら、白い錠剤を手放さない自分は酷く滑稽だ。
つい数十分前にも同じだけ飲んだというのに、ちっとも効きやしない。舌打ちして、手の中に乗った錠剤を一気に呷った。決められた量からひとつ増え、ふたつ増え。到底数えきれない量の錠剤を手に落とすようになった。ああ、馬鹿みたいだ。
噛み砕き、嚥下する。それでも。こんなものでも。満たされるような気がした。生きていると実感した。眠れるのだと信じた。頭が揺れる。ぐらぐら。何も見えなくなって、墜ちる。墜ちる。全部夢だったらいいのに。そう願いながら目を、閉じて。


そうして、次に目を開けたとき。朝日の眩しさと、何も変わらない現実に、ただただ、絶望していたのである。






「戦士、ちゃんと寝てる?」


小さく弱い勇者にそう問い掛けられたのは、旅を始めてどれくらい経った頃だったろうか。そのときはまだ、ただ単純に興味からの問い掛けのようだった。あんたには関係ないでしょう。そう言って突き放せば、ああだこうだと文句を言いながらも引き下がっていた。そう、それでいいんだ。オレはベッドで呑気な寝息を立てる勇者を横目に錠剤を呷っていた。


そういうときは決まって夢を見た。幼い頃。戻らない過去。幸せを感じて笑っていた自分。がらがらとそれが崩れていく。音が聞こえる。視界が赤く染まる。腕が、足が。吹っ飛ばされる感覚。痛い、なんて感じる前に。ブラックアウトしていく視界。何が起こったのか未だに分からないのに、記憶にはしっかりと刻まれていた。
一度は落ちた意識を引き上げて。自分のものではない腕だとすぐに気付いた。この手は。見慣れた、手だ。ふらふらと、ただ歩いて。辿り着いた先で待つ、幸せを踏みにじった、男。そいつは笑ってオレの名前を呼んで、倒れるそいつだったものを踏み付けて、また、笑うのだ。


「シオン」


もう捨てたはずのその名を呼んで、笑って、オレを、あいつを、切り裂いて、殺す。あいつが、頭の中で、何度も何度もオレの名を呼んで。わんわんと反響して、鳴り止まない耳鳴りが、頭痛が、吐き気が。耐えられなくなって、目を覚ます。冷や汗で濡れたシャツ。込み上げてくる胃液を押し留めて、トイレへと駆け込んだ。嘔吐して、吐いて、吐いて、泣いて、笑って、口元を拭った。ああ、馬鹿みたいだ。
ざらざら。ざらざら。ざらざら。瓶から零れ落ちる錠剤を受け止める気力もなく、そのまま口に放り込んだ。噛み砕く。このまま舌まで噛み切ってやろうか。そんな考えは過ぎるばかりだった。実行する勇気もない臆病者。はは、とまた笑う。


握り締めた瓶。感情のままにそれを投げつけようとして、止める。隣のベッドからはすうすうと規則正しい寝息が聞こえる。平和なもんだ。こいつは、きっと、何も知らないまま、何も、何も考えないまま、ここにいるのだろうな。死にたいとすら思わなくなったオレのことなど、知る由もないのだろうな。
瓶を、手から落とす。瓶は小さな音を立ててベッドに落ちる。ぎしり、二人分の体重で沈むベッド。ああ、平和なもんだな、本当に。真っ暗で、何も見えなくて、自分の行く先も、どうしようもない感情も、沼に足を取られる感覚も。すべてすべてすべて、知らないまま。明るいところを歩くこの少年を。勇者と、呼んで。ああ、滑稽だ。
知らず、腕が伸びていた。ゆっくり、ゆっくり、少年の生を、殺そうとする、その腕に。多くの命を終わらせてきたその腕に。自分のものではないその腕に。真っ赤な血液を見て。どくり、少年の脈拍に、何か得体の知れないものを感じて。ベッドから飛び降りる。もう吐くものはない。喉が、胃が、痛むばかりだ。


「…お前、本当に寝てるのか?」

「しつこいですね。寝てますよ」

「…本当に?」

「あんたはベッドに飛び込んだ瞬間から朝日がしっかりと昇るまで爆睡してますから知らないでしょうけど」

「…そっか、」


少年は不審そうな目でこちらを見ていた。慣れているのだ。今更心配などされなくとも、眠らないことにも、悪夢にも、ひとりにも、意識が落ちる感覚にも、慣れている。そんなもの、今更、必要ないのである。


「っ何やってんだよ…っ!」


だから、油断していた。まさか起きているだなんて思わないだろう。
いつものようにざらざらと錠剤を流し込む。がりがり、脳の奥まで響く不快な音。荒くなる呼吸。早く、早く。今日を終わらせなければ。そうやって、夢中になっていた。だから、少年がこちらを呆然と見ていることにも気付かなかった。


「戦士!お前…!」


とうとう見つかってしまった。少年は青い顔をしてオレの手から瓶を取り上げた。ざらり、瓶の中で残り少ない錠剤が揺れた。ああ、上手くやっていたのに。


「返せ」


少年の手から瓶を取り返そうとして、逃げられる。舌打ちをして、少年を殴るために拳を握った。返せ、嫌だ。そんな押し問答。少年は震えている。震えるくらいならさっさと渡してしまえばいいのに。どうせ関係のない話だ。
少年の歯軋りが聞こえた。開け放たれる窓。彼はあろうことか、瓶を窓から放り投げてしまった。ぱりん、窓の外から聞こえる音。血の気が引いた。あれがないと。あれがないと、今日を終わらせることができない。今日が終わらない。息が苦しい。目が回る。吐きそうだ、そう思った瞬間にはもう、胃が悲鳴を上げていた。


「大丈夫か!戦士、戦士!」


尋常ではないオレの姿に勇者さんが駆け寄ってくる。近寄るな、精一杯声を張ったのにも関わらず、彼はオレに触れようとする。さわるな、もうほとんど声は出ない。彼の手が、オレに、触れる。意識が飛ぶ。






我に返ったとき、オレの手の中には、彼の細い首が収まっていた。せんし、オレを呼ぶ、か細い声。シオン、シーたん。耳鳴りのように反響する声。笑い声、泣き声。皹が入って、落ちる。ああ、ああ、ああ、煩い。


手を離す。彼から距離を取る。部屋の隅にまとめてあった荷物に飛びついてひっくり返した。瓶を探す。錠剤が、今日を終わらせなければ、満たされなければ、きっと、きっと。予備がどこかに。この間買い込んだはずだ。どこだ、どこだ。咳き込む声が背後から聞こえる。ざらり、揺れる音。取り出して、蓋を開ける。ざらざら。手から溢れる白い錠剤。口に含んで、飲み込んだ。




ごめんなさい。そうして意識が落ちていく。






「なあ、シオン」


未だに夢を見る。飛び起きて、胃の中を全て吐き出して、空っぽになった身体に、薬を植え付ける。今日を終わらせるために満たして、眠りを望まない身体を、落として。


「お前、まだ飲んでるの」


ぽつり、ある日、少年だった彼が、呟いた。静かな空間では小さなその声も簡単に拾えてしまう。オレは持ってきた荷物に視線を送って、溜め息をついた。いいからさっさと課題をしろ、やってるよ。オレの視線の先を追って、彼はくしゃりと顔を歪めた。


「まだ必要なの」

「必要ですよ」

「どうして」

「夜は恐ろしいですから」


夜になると、多くの人が訪れる。恨みつらみを重ねて、こちらに手を伸ばして、引き摺り込もうとする。どこかも分からない場所へ連れて行こうとする。だから今日を終わらせなければならない。夢を見ることもないくらいに深く、深く、意識を落とし込んで。でないと、連れて行かれてしまう。シオン、と。優しくオレの名を呼ぶあの人に、連れて行かれてしまう。


「クレアさんは」

「さあ。知らないんじゃないですか。知ってたら今頃旅なんかしてません」

「お前はそれでいいの」

「…今更、どうしろって言うんですか」


だって愛していたのだ。たったひとりの父を。あんなことがあっても、自分では殺せなかった。一緒に死ぬことも出来なかった。あいつと言葉を交わすことも出来なかった。そんなことをしたら、連れて行かれてしまうじゃないか。オレは、ついて行ってしまうのだ。おいで、シオン。そう言われたら、あの優しかった父に呼ばれてしまえば、オレは、もう、きっと、二度と。戻れない。
だから恐ろしい。夜は恐ろしい。暗闇から誰かがオレを呼んでいる。多くの人が呼んでいる。耳の奥で、名前を呼ぶ声がするのだ。優しく、優しく。こちらにおいで、と。笑っているのだ。


「ねえシオン。それは、本当に必要なの」


言いながら、彼は立ち上がる。オレの荷物に近付いて、暴く。取り出したのは小さな薬瓶。そこを満たす白い錠剤。オレは彼の一挙一動をぼんやりと見て。ぱりん、と瓶が割れる甲高い音でようやく、一度だけ瞬きをした。


「お前はもう大丈夫だろ?」


彼は歪んだままの顔で笑っていた。眉を寄せて、泣きそうな顔で笑って、オレを見ていた。


「シオン」

「近付かないでください」

「シオン」

「…っ触るなっ!」


正面に立つ彼が、腕を伸ばす。冷や汗が背中を伝う。来るな、叫んだ声は声にならなかった。彼はただ微笑んでいた。やめろ、さわるな、すみません、ごめん、ごめんなさい、どくどくと脈打つ心臓。視界が揺れる。ぐらぐら。世界が揺れる。
彼の手が、オレに届く。ぬくもりに、吐き気がこみ上げる。何も入っていない。空っぽだ。埋めなければ。満たさなければ。苦しい。背中に回る手。ゆっくりと、ぎこちなく。オレを抱き締める腕。


「もういいんだよ」


もう必要ない。夜から逃げる必要もない。そんなもので満たす必要はない。夜は恐ろしくない。眠ることも恐ろしくない。怖くない。夜が来れば朝が来るだろう。幸せな夢を見ることもあるだろう。喩え何か恐ろしい夢を見たとしても、もうお前はひとりじゃないじゃないか。
彼は言う。オレを抱き締めながら、告げる。優しく、やわらかく、そして強く。逃げるな、と。恐怖と戦え、と。告げる。


「ボクがいる。クレアさんがいる。ルキがいる」

「…どうせいなくなる」

「いなくならない。ボクたちはお前をひとりにしない」

「オレは、あいつに名前を呼ばれたら、行ってしまう」

「じゃあボクらがもっと大きな声でお前を呼ぶ。お前が歩き始めたら全身全霊で引き止める」

「あれがないと、今日が終わらない」

「大丈夫だよ、シオン」


もう、眠れるさ。だから安心しておやすみ。


その声を最後に、オレの意識は落ちていく。
いつもとは違う、あたたかな光の中。落ちていく。






「シーたん。シオン。もういいんだよ」

「何を、」

「オレを許そうとしなくていい。愛そうとしなくていい。お前はお前の時間を生きていい。縛られなくていい。オレを恨んでもいい。すべてをオレに押し付けてもいいんだよ、シーたん」

「嫌だ」

「シオン」

「嫌に決まってんだろこのクソ親父!オレが、お前を、恨むわけないだろう!」

「…うん」

「お前はオレの父親なんだ!家族なんだ!オレをここまで育ててくれただろう!オレは、オレは、」

「うん」

「ちゃんと、お前を、許して、愛していたいんだ」

「そっか。ありがとね、シーたん」

「とうさん、オレ、お前のこと、ちゃんと好きだったよ」

「知ってるよ。シオンはオレの自慢の息子だからね」






手の中にある小さな瓶を、握り締める。そっと口づけを落として、振り被った。しゃらしゃら。瓶の中で揺れる白い錠剤が音を立てて。きらきらと光って。美しい弧を描いて。遠く、遠く。遠く、消えていく。さようなら。さようなら。






ソメリンを投げ捨てた日
(もうきっと、必要のないものだ。)






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