senyu | ナノ






「じゃあ、家庭教師最後の授業…、はじめますよ、勇者さん」

「こここここ、こいよおおお!」


向かい合う二人の姿があった。足をがたがたと震わせながら涙を浮かべているアルバと、彼の正面で不敵に笑っているのはシオンである。
シオンの頭では魔力ツクール君がゆらゆらと揺れていて、彼が臨戦態勢であることが窺い知れる。一方のアルバは視線をあちらこちらに彷徨わせ、未だ覚悟を決めていない様子だった。そんなアルバの様子を見て、シオンは愉快そうに笑い声を上げる。


「なんです、勇者さん。"勇者アルバ"が過去の遺物である"伝説の勇者クレアシオン"に恐れ慄いていていいんですか」


ほら、オレは本気ですよ。シオンはそう口にしながら両手で魔力を練った。彼が得意とする初級魔法である。練られた魔力は真っ直ぐアルバへ向かって飛んで行き、彼の頭部を狙う。避ける動作を取らないアルバにシオンは笑みを消し、彼を見る。
ぱん、と何かが弾け飛ぶ音がした。シオンはその音を聞くや否や再び魔力を練り始める。雨霰と降り注ぐは炎や氷、石飛礫。ぱん、ぱん。それら全てが音を立てて弾け飛ぶ。音の中心にはアルバ。シオンは手を休めることなく魔法を放ち続け、アルバの姿は砂煙に巻かれて消え失せる。


「そんなの、いいわけないだろ」


シオンは振り返る。そのまま魔力でかつて彼が愛用していたような大剣を瞬時に作り出し、背後に向かって振り被った。がん、と鈍い音。ぎり、と力を入れて剣にかかった重さを押し返す。大剣を横に薙ぎ、息を吐く。少し離れた場所に着地する影。魔法に巻かれていたアルバが、煌々と光る剣を携えて笑っていた。


「ボクは勇者アルバだ。勇者は、誰よりも強くなくちゃいけない」


そうだろ、笑うアルバに、シオンも眉間に寄せていた皺を消し、そうして笑った。


「上等です」


大剣を構えて、シオンが間合いを詰めた。上段から振り下ろす。それより一瞬早く反応したアルバが地面を蹴るのと同時に、シオンの大剣が地面を抉った。飛び散る土を左手を一振りすることで払いのけ、アルバは再び地面を蹴った。宙に身体を躍らせる。
光。辺り一面を包んだ眩い光にシオンは目を細める。一歩、足を引き、落ちてきた光の槍を避けた。一歩、また一歩。シオンが歩いたあとには光の槍が降り注ぐ。彼は徐に両手を上げ、手の前に透明な膜を張った。降ってくる槍を受け止め、右手で掴み、勢いをつけて投げ返す。


「げえええ!?」


上空にいたアルバは、自分に向かって一直線に向かってくる槍に顔を青褪めさせる。しかし、それもほんのわずかな間だけだった。魔力を練り、剣を作り出し、彼は宙を斬った。現れる真っ黒な穴。シオンが放った槍は穴に吸い込まれていく。
シオンの赤い目がそれを見届ける。器用なことができるもんだ、と感心なのか呆れなのか分からない口調で言葉を落とし、左手を突き出した。溢れる魔力。きぃん、甲高い音が響く。


「…あんた、もうちょっと捻った攻撃できないんですか」

「十分捻ってるよ!なんで全部読むんだよ!」

「あんたの動きが馬鹿みたいに一直線だから読みやすいんです。騙し討ちってのは、」


こうやるんですよ。ふ、とシオンが息を吐いた。魔力で己の身体を包み込み、彼は駆ける。シオンの動きを律儀に目で追ったアルバは、自分の目を疑うことになる。


「は、はあああ!?分身とか卑怯だろ!」


シオンはアルバの目の前にいた。一人や二人ではない。視界に入るだけでも両手では足りない人数である。シオンは何も話さない。ゆらゆら、彼の頭では青い炎が揺れている。


「本物はどれでしょうね?」


幾人ものシオンに囲まれたアルバはだらだらと汗を流す。これ、本物見つけられなかったらボク確実にぼこられるよね。自分のそう遠くない未来を瞬時に想像してしまって、アルバは口の端を引きつらせた。シオンが魔力を集める。
ぼーっとしてていいんですか、そんなシオンの声が幾重にも聞こえたときには、アルバの視界は奪われていた。先程とは比にならない量の火炎弾、氷の槍、石飛礫。咄嗟に両手で顔面を庇い、シオンの攻撃を全身で受け止めた。馬鹿ですか、シオンは溜め息を吐く。
シオンは無表情でアルバを見た。正確には、アルバがいるだろう地点を、である。シオンの放った魔法によって、今度こそアルバの姿は見えない。先程と同じ手で逃げられないよう、アルバを囲うように結界まで張っている。二度同じ過ちはしない。


「死にますよ」


ぼそり、シオンが呟いた、そのとき。魔法の中心から弾丸のように飛び出してくる影。シオンはそちらを見て、口角を上げた。背負っていた大剣を構え、影が飛び出していったのとは逆の方向、つまり自分の放った魔法の中心へと駆ける。剣を大きく薙いで、魔法を打ち消した。見える白と黒の囚人服。その残骸。
軽い足音。爆風。バチ、と魔力が反発しあう音がする。大剣と短剣が交差して、弾け飛ぶ。片目を赤くしたアルバが、頬を血に染めながら、笑っていた。シオンも笑う。ぶわり、アルバの手から放たれた魔力の風が、二人を囲むように立っていたシオンの分身をひとつ残らず掻き消した。
やわらかい光。アルバの全身を包む。細かい傷だらけだった体が元の状態に戻って、後に残るのは土汚れだけである。短剣を右手から左手へと持ち替え、アルバは後方へと跳ぶ。追うように足を踏み出すシオン。
大剣と短剣が交わった瞬間。バチバチ、と先程よりも酷い音がして、彼らの持つ武器が消え失せる。魔力によって生成された武器は、相反する魔力を注ぎ込まれて形を保つことができなくなった。触れた個所から相手の武器に大量の魔力を注ぎ込み、相殺させたのである。


「…っ!」


アルバが魔力を練った。作り出したのは槍だ。片手に構え、大きく一振り。シオンはそれを長剣を作り出すことによって防ぎ、弾き飛ばす。アルバの手から離れた槍は地面に突き刺さると同時に音もなく消えた。がきん、と今度はシオンの長剣が宙を舞った。足を振り上げるアルバ、蹴られた腕に回復魔法を掛けるシオン。
アルバの足が地面に付く前にシオンが重心を落とす。軸にしている足を払われ、アルバはバランスを崩した。倒れ込むアルバにシオンは容赦無く膝を叩き込み、そのままの勢いで足を振り下ろす。アルバはそれを間一髪で避けると、地面に転がった姿勢のまま足を垂直に振り上げた。軌道にあるのはシオンの上体。足に伝わるのは確かな感触。自分の攻撃の行く先など確かめず、アルバは一気に起き上がり、間合いを取った。


息を吸い、吐く。これまでよりも更に多くの、数倍にもなる魔力を集める。額に伝う汗。目を閉じて、いつかの感覚を思い出す。小さな魔力を大きな魔力に変換していく。いきなり大きな魔力を集めようとしたって上手くいくわけないんですよ。アルバはシオンの言葉を思い出していた。少しずつ大きく、大きく。いつか家庭教師が言った言葉を、思い出して。


「まあ、そんなことしなくても扱いに慣れてれば魔力なんてすぐに集められるんですけどね」


耳元で聞こえたそんな言葉に、息を詰めた。アルバが声を出す前にシオンの拳が彼の腹に埋まった。骨が軋む音がする。集めた魔力は霧散して、アルバは逆流してくる胃の中身を必死に飲み込んだ。涙で滲む視界の端で、汚れ一つ無い顔でシオンがサディスティックに笑っている。
シオンは両手を広げ、大きく息を吸い込んだ。ごう、と彼の頭にある炎が燃え上がる。びりびりと肌を突き刺すほどの魔力。魔力のない人間が傍にいれば確実に当てられるだろうその魔力の量に、アルバはひくりと喉を鳴らした。おいこいつマジだ。アルバの頭の中で警鐘が鳴り響く。


「そういえば、オレ、あまりあなたに魔法見せたことありませんでしたね」

「い、いや、もう十分見たから」

「まあそう遠慮せずに。せっかくですから、オレのとっておきを見せてあげますね!」

「いらない!なんか嫌な予感しかしないからいらない!」


アルバは叫びながらいつにない速度で駆け出した。出来るだけ遠くへ、遠くへ。シオンから離れなければ、自分の命が危ない。がんがんと鳴り響く警鐘。肌を焼く魔力。自分の体内で魔力が共鳴しているのが分かる。"勇者クレアシオン"の魔力に反応しているのだ。まずい、これは本当にまずい。
走って走って、ゲートの魔法も併用しながらできるだけ遠くに逃げた。それでもシオンの魔力は感じ取れる。アルバは滝のような汗を流しながら、必死に呼吸を整えた。シオンの魔力に、アルバの中に眠る"勇者クレアシオン"の魔力が引きずり出されていく。これは、もう、ボクの魔力だ。アルバは出ていこうとする魔力を自らの中に押し留め、ただひたすらに魔力を集めた。


「勇者さん、見ーつけた」


アルバの目の前が真っ黒に染まった。比喩ではない。アルバは目を見開く。彼の目の前には真っ黒な壁が立ちはだかっていた。正確には壁ではない。これは、穴だ。
目の前に突如現れたそれが、仲間である魔王が得意とするゲートだと理解したアルバは、中途半端に集めた魔力である魔法を構築する。急げ、急げ、急げ!アルバは念じる。


「背中ががら空きですよ」


アルバの背後に、小さな黒い穴が開いた。そこから飛び出してくるのはシオン。鉄製の、魔力で作り上げた紛い物ではない本物の大剣を上段に構えて、穴から飛び出した勢いのままアルバに向かって振り下ろした。しかし、剣はアルバに届く前に、見えない何かに弾き飛ばされる。がらん、地面を滑っていく大剣を目で追うこともなく、シオンはアルバの目の前の穴から、自身が集めた魔力を、引きずり出した。


「オレの勝ちですかね」

「…さ、せるかああっ!」


アルバが目を開く。彼の左目は、燃えるような赤。普段よりもずっと深く濃く、赤に染まったその瞳を見て、シオンは咄嗟に防御魔法を練る。発動した魔法は止まらない。真っ黒な穴から飛び出してくる自分の最高レベルの魔法を見て、アルバが構築した魔法を悟って、シオンは、今日一番の顔で、笑った。勇者さんと無理心中とかマジないわ。






――自分の家から妻と共にその様子を見ていた二代目魔王ルキメデスは、後に語る。

あの人たち、ボクが千年かけて作った魔界を灰にする気だったんですかね。






「で、どっちが勝ったの?」

「見ればわかるでしょ、引き分けだよ」

「マジかよ!つまんねーの!」

「私、アルバさんはともかくロスさんはもう少し頭いいと思ってたんだけどなあ」

「シーたん、あれで案外負けず嫌いで子供っぽいとこあるからなあ」


魔界の城の一室で、少女と青年が呑気にお喋りに興じていた。青年は片手に林檎、片手にナイフを持っていて、少女は口の中で飴を転がしていた。はい、できたよ。青年が少女に皮を剥いた林檎を手渡すと、少女は口の中に残っていた飴を噛み砕く。

しゃくしゃく、甘くて瑞々しい林檎を齧りながら、少女と青年は同じ場所へ視線を投げた。


「バカだねえ」

「うん、バカだなあ」


ベッドに横たわる全身包帯塗れのアルバとシオンを見て、少女と青年は呆れたように溜め息を吐く。勇者様の活躍はこれからだって言うのに。


「まあ、アルバさんとロスさんらしいね!」

「確かにそうかもな!」


少女と青年は、同時に林檎を口の中へと放り込んだ。しゃくしゃく。ごくん。飲み込んでも、もう一つ食べようか、とお見舞いの品だという林檎に手を伸ばしても。

魔力を使い果たしてノックアウトしたアルバとシオンは、ぴくりともしなかった。






勇者の出番はこれにて終了!
(御隠居様は悠々自適にベッドから観戦!)






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