senyu | ナノ






「勇者さんはオレがここにいなかったらどうしていましたか」


参考書を捲る音がするだけの静かな洞窟の中で、シオンが言った言葉だけが響いていた。ボクは睨み付けていた課題から顔を上げてシオンを見る。シオンは本から目を離さないままだったから、ボクも再び視線を課題にやった。


「ひとりでぼんやりしてたんじゃない?」

「脳ミソ入ってんですか」

「入ってるよ。失礼な」


鉛筆を動かして紙に書き込む。消しゴムで消して、その上からまた文字を書く。時折、机の上にずらりと並べられている参考書を捲っては課題に向き合って。シオンは何をするわけでもなく、ただ本を読んでいた。


「千年前、あのバカが魔法の研究をすることなく、オレは千年前で生きて死んでいて。何事もなく今この時を迎えていた勇者さんは、どうしていたんですかって聞いてるんです」


そんな言葉にボクはちらりと視線を上げた。シオンは変わらない表情で文字を目で追っている。かさり、長い指がページを捲る。


「さあね」


あ、また間違えた。消しゴムを掛けながら、何を言っているんだろうこいつは、と首を傾げた。時々よくわからないことを言うやつだとは思っていたけれど、一体どうしたと言うのか。頭のいい奴の考えることはよく分からないな、と自己完結。シオンもこれ以上その話題を続けようとは思っていなかったようで、洞窟の中に響くのは再び参考書を捲る音だけになった。
かさり。かりかり。そんな音だけが響く、少しだけ肌寒い洞窟。ボクの目は必死になって文字を追い、そしてシオンの目も、きっと文字を追っていた。


「オレはね、思うんですよ」


ふと零れ落ちたように吐き出されたシオンの言葉に、必死に文字を綴っていた手を止める。彼は本に視線を落としたままで、きっとボクが彼を見ていることにも気付いていないだろう。シオンは続ける。


「もしも、オレが千年前に生きて死んでいたら。もしも、あいつが魔王になんてならなかったら。もしも、あの時にあいつを封印するという選択肢を選ばなかったら。もしも、情報収集に城へ行こうと思い立たなかったら。もしも、45番の勇者の戦士を、引き当てなかったら」


ボクは彼から紡がれる言葉を黙って聞いていた。彼の視線は尚も文字を追い、手は分厚い本を支えている。


「オレはどうしていたのだろう。何をしていたのだろう。どうやって生きていたのだろう。どうやって死ぬのだろう」


彼の言葉に従って、ボクは考える。もしも、勇者の子孫に選ばれていなかったら。もしも、村を出ていなかったら。もしも、45番の勇者でなかったら。もしも、戦士がロスでなかったら。そんなたくさんのもしもを考えて。


「そんな、もう二度と見ることの叶わない、仮想の人生に思いを馳せて。そうして、笑ってしまうんです」


笑ってしまうのだ。


「まあ、何が起こったって人生だしな」

「勇者さんが言うと深いですね」

「お前もな」


ぱたん、と閉じた本をシオンが机の上に放り投げた。せっかくやりやすいように並べていた課題が散乱して、ボクは思わず悲鳴を上げる。『勇者クレアシオンの伝説』、彼が放り投げた分厚い本の表紙には、金色の文字でそう書かれていた。


「勇者さん、ここ冷えるんですけど。あったかいお茶とか持ってきてくださいよ」

「ボク課題中なんですけど!?」

「奇遇ですね。オレは家庭教師中です」


くそ、と心の中で小さく悪態を吐いて、ボクは椅子から立ち上がった。シオンはやりかけの課題に手を伸ばして、ぷすー、と奇妙な声を上げる。勇者さん、半分くらい間違ってますよ。あんた本当に脳ミソ入ってないですね。余計なお世話である。


「ボクには想像できないよ」

「は?」

「お前、さっき言っただろ。お前がここにいなかったら、ボクはどうしてたかって」


こぽこぽとお湯をポットに注ぎながら、ボクは空想する。旅立たなかったボク。勇者と戦士というパーティを組まなかったボク。シオンを迎えに行かなかったボク。魔力を放り込まれなかったボク。どんな空想をしても、ボクにはボクがどんな表情を浮かべているのか分からなかった。つまりはそういうことなのだ。


「結局、ボクもお前も、こんな人生を歩んでるわけだし」


だからこうして、一緒にお茶を飲むこともできるわけだし。寒々しい洞窟には似合わない高級そうなティーカップをシオンの前に置いて、お茶を淹れた。ほわりと湯気が立つ。甘いかおりが鼻孔をくすぐって、頬が緩んだ。


「まあ、それでいいんじゃない?」


椅子に座って、お茶を一口。ボクは鉛筆を握って、シオンの元から課題を取り返した。半分だけ埋まった紙の、埋まった方の半分の更に半分は間違っているらしい。ええと、どこが間違っているんだ。ボクは課題と参考書を睨み付ける。
シオンはボクが出したお茶をゆっくりと飲んで、そして鞄から一冊の本を取り出した。彼はまた視線を本に落として、ボクは課題に集中する。かさり。かりかり。洞窟の中にはそんな音が響く。


「そうですね」


ぱさ、シオンは机の上に読んでいた本を投げて、ティーカップにお茶を注いだ。まだほんの少しだけ温かかったらしいそれは、ほんのりと湯気を見せる。ボクはちらりと彼と、机の上に投げ出された本に視線をやって、すっかり見慣れてしまった課題に向き合った。
『勇者クレアシオンの伝説』という分厚い本の上に投げ置かれたのは、『勇者アルバの伝説』という、何とも言い難い装丁をした薄っぺらい本だった。


「きっと人生なんてそんなもんです」






愚者の行進、聖者の埋葬
(さあさあ、終わり目指して歩き出せ。)
(その道がどんなものであろうと、振り返ってはならないのである。)







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