senyu | ナノ






ロスに会わなければよかったのだろうか。彼に会わなければボクはこうしてこんな薄暗く狭い場所に閉じこめられることはなかったのだろうか。それともルキに会わなかったら?いつかボクは強くなってルキを倒していたのだろうか。
いや、そもそも勇者にならなかったら?母さんと二人、質素ながらも慎ましやかな生活を送れていたのだろうか。


結局すべては仮定の話。ボクは勇者に選ばれたし、ロスに出会ったし、ルキに出会った。魔族のいざこざに巻き込まれて、途中で一度死んで、ロスによって生き返らされて、ロスの笑顔のために旅に出て、強くなって、魔族を倒せるまでに成長して、勇者と魔王の魔力を手に入れた。そして封印されている。これが結果の話。


世界を救った勇者だから褒め称えろとは思わない。世界に影響の出るほどの魔力を放置しておくほどあの王も愚かではあるまい。だからこれは当然の結果であるし、それほど怒りは湧いてこない。ただ、少し、空しいだけだ。
ここには誰も来ない。食事や着替えを運んでくれる人が来るだけだ。ほとんどの人は気さくだ。今、姫様たちがここから出ても大丈夫な方法を探していますから。しばしお待ちください。そう労って去っていく。だけど時折、ボクを見て恐れるように瞳を揺らす人がいる。それが少し、悲しい。




こんな静かで薄暗い場所に長い間一人でいると、どうも思考が鈍ってくるようだ。最初はいつ出られるのか、出たら何をしようか、なんて気楽に考えていた。だけどボクは、次第に考えなくなっていった。

いつからか、ボクが悪いのだと、思い込むようになっていった。

だってそうだろう?
ボクが魔法や魔力について詳しければ。こんなところにいることもなかった。自分の魔力を自分で封印して、外を自由に歩けたはずだ。
あの時、ボクがもっと強くありさえすれば。ロスは魔力を使わないで済んだ。魔王の封印も解けなかった。ロスはもっと時間をかけてクレアさんを助ける方法を探せただろうし、いつかはトイフェルさんに辿り着いていたはずだ。
あの時、ボクがロスのことを助ける、なんて思わなければ。すべて、解決していたのかもしれないのに。
あの時、その時。ボクが、あれを選ばなければ。ボクがすべてを狂わせてしまったのではないか。考える。


出会って、生きて、自分が行ったこと。それに後悔なんてしていないんだ。これは本当。
だけど、だけどさ。少し嫌にならないか?
どうしてこんなところでただぼんやりと生きているのだろうって。もっと外を歩きたかった。ここから出たかった。もっと楽しいことを、もっと、もっと。

すべてボクが悪いのだけれど。自業自得の結果なのだけれど。もう、よく分からないのだけれど。




いつしか食べ物も食べられなくなっていた。手や足もうまく動かなくなっていた。物を考えることも億劫になっていた。
ヒメちゃんやアレスさん、ミーちゃんやルドルフさん。フォイフォイさんやトイフェルさん。あの旅で知り合った人がたまにここを訪れてくれるのだけれど、ボクは笑えなくなっていた。




眠って、起きて、ご飯を食べて、また眠る。それだけの生活。日の光も浴びれない。そんな生活。


「もう、疲れたなあ」


ぽつりと落とした声が存外響いて、ボクは久しぶりに少しだけ笑った。




目を開ける。最後に起きていたのは今からどれくらい前だろう。どれくらい眠ってどれくらい起きているかなんてもう分からないのだ。だってここにはカレンダーもなければ時計もない。今は何月何日で何時なのかも、いつからか分からなくなってしまっていた。


置かれた食事が冷めてしまっている。食事はいらないと言っているのに。申し訳ないなあ。スプーンを手に取って、少しだけスープを飲む。スープは冷めても美味しくて一度は胃の中に収まったけれど、牢屋の隅に全部吐いてしまった。もったいない。


「勇者さん」


嘔吐して疲れてしまったボクはまたごろりと横になる。冷たくて固い床にもすっかり慣れてしまった。


「…勇者さんっ!」


がしゃん、と鉄格子が揺れる音がして、そちらを向いた。真っ赤な目が見えた。


「…あ、」


いつもお世話になっている兵士さんが牢の鍵を開けてくれる。開いた扉から入ってきたその人は、何も言わずにボクの前に立っている。兵士さんは俯きながらまた扉に鍵を掛ける。


「…勇者さん、」

「ろす、…シオン。ひさしぶりだな、あ」


声がうまく出ない。笑えているだろうか。表情筋も、ここしばらく使っていない。


「おまえ、背が、のびたか?…はは、焼けた、なあ。クレアさん、は、げんき?」


たくさんの言葉を話して疲れてしまう。はあ、と大きく呼吸をして、起き上がろうと努力する。体は動かない。仕方がないのでそのまま、立ったままの彼を見上げる。
背が伸びた気がする。髪はあの頃より少し短くなっている。健康的に焼けた肌。あの頃よりももっとしっかりした体つき。変わらない真っ赤な目。どうしてだか、あの頃のような馬鹿にした笑みは浮かべていない。ボクがまたこんなところにいると知ったら、笑い飛ばしてくれると思ったのに。


「ろ、…シオン?なん、だよ、…わらわないのか?」

「……っ」

「ごめん、ボク、人とはなすの、ひさしぶり…なんだ。うまく、はなせて、ない?」


ぜえ、と息が漏れる。苦しい。まあ、少しくらい苦しくったって死なない。人間、殴られたって蹴られたって刺されたって死なないのだから。


「…っ、…いいえ。ちゃんと話せてますよ」


ようやくシオンの声が聞こえた。よかった。ちゃんと話せていたようだ。声も届く。膝を折ってボクの横に腰を下ろしたシオンの顔は、まだ見えない。


「なんですか。勇者さんがまたこんなところに入ってるっていうから笑いに来たのに。あなたって本当に馬鹿ですね、って言いに来たんですよ、オレ」


変わってないなあ。ボクは笑う。そんなボクの顔を見たシオンの顔。はっきり見えた。歪んでいる。笑おうとして失敗したような、今にも泣きそうな、そんな顔。


「…すみません…っ」

「ろす?」

「…すみません、勇者さん、オレ、オレは…」


ロスが震えていた。彼の赤い目はボクを見ない。


「どう、したんだよ…」

「もっと早く、ここに来るべきでしたね」


そうしたら、あなたをこんなに苦しめることはなかったのに。そう言いながらボクの額に触れる手。あたたかい。人の温度を感じたのはいつぶりだろう。温かくて、涙が出た。

ふわり、身体が軽くなる。ああ、ロスが魔力を封印してくれたんだ。ぐるぐると渦巻くように身体の中を暴れまわっていた勇者の魔力と魔王の魔力。それが大人しくなったのが分かった。


「…目…」

「目?目がどうしたんですか?」

「ぼくのいろ?」


尋ねると、ロスは笑った。初めて見る顔だった。


「はい。あなたに似合いの、あなたの色です」


よかった。やっぱりボクには似合わない。あの赤は、ロスのためにある色だ。赤い目は、ロスのもの。
ロスが立ち上がる。ボクに手を差し出す。ロスは笑みを浮かべたまま、ボクにこう言った。


「一緒に行こう、アルバ」




行きたいなあ。だけどボクはもう歩けない。腕も動かないし、剣も振れない。ボクは、もう旅はできないよ、ロス。

「何言ってるんですか。旅くらいしてくれないと困ります。オレもクレアも、まだ行ってないところがたくさんあるんです。あなたと行くんだ、ってクレアも我慢してるんですから」

そうか。ボクも一緒に連れて行ってくれるつもりだったんだね。なんかちょっと嬉しいよ。

「勇者さんが素直だと気持ち悪いですね」

うるさいな。お前が素直なのよりは気持ち悪くないだろ。

「オレはいつでも素直です」

どの辺りが?ボクにやたらと暴力的なところが?

「分かってるじゃないですか」




そんないつものやり取りに、今度こそボクは本当に声を上げて笑った。笑った拍子に、また涙が出た。嬉しかったのかもしれないし、悲しかったのかもしれない。よく分からなかったけど、涙が出た。

ロスの手を取った。ボクは思っていたよりもすんなり立ち上がることができた。歩き方を忘れてしまっているかも、と言えば、ロスはさすが勇者さんですね、と馬鹿にしたように笑った。歩き方はちゃんと覚えていた。


「行きましょう」

「うん」


ロスの手は温かかった。久しぶりに浴びた日の光はとても気持ち良くて、青空は透き通っていた。風が気持ち良くて、ボクは思わず目を細めた。


「ありがとな、」


名前は呼べなかった。あいつが見たことのないような穏やかな笑顔でボクを見ていたからだ。笑ってるなあ、そう思ったら、ボクも笑えた。よかった。

ボクはやっぱり、この道を選んでよかったんだ。




ざあ、と一際強い風が吹く。思わず目を閉じて、風が止むのを待って目を開く。


世界はこんなにも眩しくて、温かくて、美しい。


だからボクは、ロスの、シオンの手を、離す。






おわりをむかえたある日のはなし








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