senyu | ナノ






目の前に乱雑に投げ出された紙や本。それらが危ういバランスで山を築いている。ランプのにおいと古い紙のにおい。とりあえず、少し休憩。目が霞んでうまく見えない。気分で掛けている眼鏡を外して、眉間を揉んだ。首と肩を回す。ごきり、といい音がした。コーヒーが飲みたい。
部屋にばらまかれた資料たちを踏まないように気を付けながら部屋から出る。今度は腰が鳴った。足も重い。日の光がまぶしい。ところで今は、何日の何時だろうか。


「うっわ!ロス、お前ひどいぞ!」


コーヒーを取りに行くついでに、気分転換に中庭の辺りを歩いてみる。空気が冷たいから今はきっと朝だ。鳥が鳴いている。あの理論をどうやって使うんだったか、この物質とあの物質って混ぜてよかったんだっけ。そんなことを考えていたら、正面から声が聞こえた。顔を上げる。泥にまみれた勇者さんだった。


「ひどいとは何ですか。自分だって人には言えない格好してるくせに」

「これは今さっきそこで転がされたから仕方ないの!」


彼の指差す先には少しだけ申し訳なさそうな顔をした二代目がいた。その更に先には小さなものから大きなものまで、数多くのクレーターが出来ている。どんな戦闘訓練してるんだか。


「久しぶりに出てきたと思ったら…。お前、ちゃんと飯食ってんの?」

「食べてますよ。ルキが持ってくるんで」

「睡眠は?」

「まあ、それなりに」

「…風呂は?」

「まあ、それなりに」


それなりってどんなだよ、と勇者さんが呆れたように溜め息をついた。そんなことを言われても、集中していると今が何時かなんてこと、いちいち考えないのだから仕方ないだろう。文句を言おうとした口からは欠伸がひとつ。よれた白衣の袖口で涙を拭った。


「…髪ぼさぼさ。髭も。隈もあるし。お前、今日は研究禁止な」

「何言ってんですか。勝手に決めないでください」

「じゃあまずは風呂入って、飯食って、ちょっと寝ろ。お前が寝るまでボクが見張ってるからな」


面倒臭いことになった。こうなった勇者さんは梃子でも動かない。それなりに休息は取っているのだから問題ないだろう。そう反論しようとして口を開いたと同時、勇者さんが目尻を下げて、へらりと笑った。


「なんかこうして見ると、お前ってやっぱり父親似だな」


目の色は母親譲りなんだっけ。聞き捨てならない。誰が、どいつと似ているだって。


「誰が、どいつと似てるだって?」


地を這うような声が出た。思ったことがそのまま、言葉として飛び出してきた。その声にも怯えなくなった勇者さんが、だから、お前の父さんだよ、とけろりと言ってのけた。


「眼鏡だし、白衣だし。髪もぼさぼさ、無精髭。ボクがお前の故郷で見たルキメデスとそっくり」


親子だなあ、なんて笑う勇者さんの鳩尾に一発決めてやった。前のように地面に倒れ込むことはなくなったにしろ、やはり痛いものは痛いらしい。ついでにもう一発、今度はアバラを狙って拳を繰り出した。避ける術のない勇者さんは今度こそ地面に転がった。


「し、しおん…、おま…っ!」

「貴方が不快なことを言うからです」

「だからって全力で殴るなよ!」


ボクだって疲れてるんだからな!そんな勇者さんの怒りも右から左。耳を通り抜けて行った言葉が、後ろの壁に当たって消えた。気がした。


「なんだ、意識してるわけじゃなかったのか」


てっきり、研究者だった父親の真似してるんだと思ってたよ。へらりと笑う勇者さん。頬を殴ろうとしたら避けられた。くそ、無駄にすばしっこくなりやがって。


「…別に、あいつの真似をしたわけではありません」


思った以上に不貞腐れた声が出た。勇者さんはまた笑う。腹立たしい。
研究者といえば白衣と眼鏡だろうが。誰に言うでもなく言い訳する。古今東西、研究者といえば白衣と眼鏡が必需品だ。そう決まってるからオレもそれに倣ったんだ。だから決して、あいつの真似をしているわけじゃ。


「まあ、研究者といえば白衣と眼鏡だもんな。ルキメデスも同じこと考えてあんな格好してたのかな」


あいつ、形から入るタイプだったしな。頭の羽とかコンタクトとか。魔族っぽい格好してたし。それ以上言葉が続く前に殴り飛ばしてやった。
反射的に手が出たオレは悪くない。勇者さんが悪い。つらつらと言葉を重ねる勇者さんが悪いのだ。だからオレは悪くない。地面に伸びた勇者さんを踏んづけて、二代目に勇者さんの処理を任せる。遊んでいる暇はない。コーヒー飲んだら研究の続きだ。


「クレアシオンさん」


二代目に呼び止められる。苦笑しながら勇者さんを抱えている。なんだ、何か言いたいのか。


「…大きくなりましたね」


まるで親のような目だった。本物の親には向けられたことのない目線。愛情だったり、心配だったり、喜びだったり、懐かしさだったり。いろんなものを含んだ目。ひとつ、瞬き。


「お前を拾ったの、もう何年前のことだと思ってんだ」

「ええっと、千年と少し前ですかね」

「そんだけあったらオレだって成長する」

「はは、確かに」


じゃあな、と手を振った。後で娘に食事を届けさせます、二代目は言った。助かる、と言って、日の下から逃げ出した。眩しすぎる。
コーヒーを飲んだら研究の続きだ。たまには勇者さんたちと食事でもするか。ラーメンが食べたいかもしれない。そんなことを言うと、もっと健康的なものを食えと怒鳴られるだろうけど。仕方ない。高級な食事は舌に合わない。つらつらと考える。


鏡の前を通りがかった。廊下の壁に掛けられた鏡。こんなに広い城だというのに、誰が掃除しているのか、鏡には埃ひとつ積もっていない。薄暗い照明を反射して、ゆらゆらと光っている。一度は通り過ぎたその前に戻ってしまったのも。ボクがお前の故郷で見たルキメデスとそっくり。勇者さんの声が蘇ったのだから、仕方ない。
鏡の向こうには、千年と少しを共に過ごしてきたオレが映っていた。ぼさぼさの髪、うっすらと生えた無精髭。母親譲りの赤い目の下には濃い隈。それを覆い隠すように掛けられた眼鏡。よれよれの白衣。誰かを髣髴とさせるその姿に、知らず、口から言葉が零れ落ちる。うわ、似てきた。そっくりじゃねえか。溜め息をついた。

コーヒー飲んだら、まずは風呂に入ろう。それから飯だ。睡眠も取ろう。きっと寝過ごすから、勇者さんに起こしてもらえばいい。起きれなくても勇者さんのせいにすればいい。
鏡の向こうに映った自分と、それを見て思い出した誰かの姿を見なかったことにして、オレは食堂へと歩いていった。






五十歩百歩
(だれもが一度は通る道だしね。)






130929



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