かしゃん、と食器の重なる涼やかな音。かしゃん、かちゃん。ことん。重ねた食器を順番に机の上に並べる。一番大きいのはシオンの。一番小さいのはルキの。そして中くらいのがボクの。
机の上にひとつ。大きなお皿。ぱちん、と指を弾く音が聞こえたと思ったら、大きなお皿の上には美味しそうに湯気を立てた料理が現れた。いい匂いがする。ぐう、とお腹の虫が鳴いた。
「シオン、コップ持ってきて」
「オレをこき使うなんていい度胸ですね」
「こき使ってなんかないだろ!」
かしゃん、かちゃん。ことん。スプーンとフォークを並べて、シオンが持ってきたコップを三つ、お皿と同じように順番に机に並べた。一番大きいのはシオンの。一番小さいのはルキの。そして中くらいのがボクの。
「ルキ、何飲む?」
「んーっとね…、オレンジジュース!」
「了解。シオンは?」
「オレもそれで」
コップになみなみと注がれていく橙の液体。柑橘類のいい香りがして、今度は口の中で唾液が溢れた。ごくり、唾液を飲み込む。
「じゃあ、ご飯にしようか」
円卓を囲んで三人。いつもの席に座る。ボクの右側にシオン、左側にルキ。三人は等間隔に並んでいるから、少し手を伸ばせば両方に座る二人に簡単に手が届く。
試しにシオンの方へ手を伸ばす。触れる。叩き落とされる手。次にルキの方へ手を伸ばす。触れる。彼女のやわらかい髪をくしゃりと撫でると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
だん、と遠くの方で強い音がした。この音は一体何だろう。頻繁に鳴っては遠ざかり、近付いてきたかと思えばすぐ消える。だんだん、何かを叩くような、壊すような、そんな音が。遠くの遠くの、ずっと遠くの方で鳴っている。
「お昼ご飯は何を食べる?」
「今朝食を食べてるって言うのにもう昼食の話ですか」
「アルバさんって食い意地張ってるね」
「しょ、しょうがないだろ!今聞いとかないと準備するの大変なんだからな!」
かしゃん、かちゃん。ことん。今日は何をしようか。裏山の花畑に行きたいね。その前に家の大掃除です。水も汲みに行かなきゃね。かしゃん。かちゃん。ことん。お昼ご飯はサンドイッチがいいな。じゃあみんなで作ろうか。アルバさんのはオレが気持ちを込めて作ってあげますね。遠慮しとくよ。アルバさん、チーズってあったっけ。かしゃん。かちゃん。ことん。だんだん。ああほら、ルキ、こぼすぞ。大丈夫だよ、子ども扱いしないでよ。シオンも、朝からデザートは太るぞ。太りません。かちゃん。ことん。だんだんだん。
「…今日はやけにうるさいですね」
「でもまあ、いつもみたいに放っておけば聞こえなくなるさ」
「そうだよ。静かになったら外に行こうね」
外は今日もいい天気だ。寒くも暑くもない、春のような陽気な日々。晴れが五日、曇りが一日、ランダムに雨が降ったり降らなかったり。雲はいつだって流れているし、風は心地よく吹いている。さわさわ、草木が揺れる音が、優しく聴こえる。
だん、と一際大きな音がして、あの音は聞こえなくなった。ボクたちは三人揃って窓の外を見て、その瞬間だけは、お互いの顔を見ないことにしている。三人ルールだ。
「じゃあ、サンドイッチ作ってピクニックにでも行くかあ」
かしゃん、かちゃん。ことん。机に並べられた食器を重ねて、コップを持って、オレンジジュースを冷やして。ざあ、水で流す。ボクが綺麗に洗った食器はシオンが拭く。その間に机の上を片付けるのがルキの仕事だ。あっという間に片付いた台所と机。今度はトマトやレタス、パンやチーズを作り出して、まな板の上に並べた。
パンをスライスするのは案外難しい。不器用なボクを見かねたシオンが、鼻で笑いながらボクの手から包丁を取り上げた。シオンの白い手が、パンを均等にスライスしていく。それを更に半分に切って、ナイフで野菜を切っておく。ルキはサンドする係だ。ルキはパンから具がはみ出さないようにするのが上手なのだ。ボクがやったら食べるときにトマトが転がり落ちてしまう。ボクは不器用なのだ。
「あ」
ほら、言わんこっちゃない。手から滑り落ちたトマトを追って、足を踏み出した。だん、響く音。跳ね上がる二人の肩。咄嗟に二人に手を伸ばして、抱え込む。大丈夫、大丈夫、大丈夫。
「アルバさんトマト臭いんで離れてください」
「アルバさん暑苦しいよ」
そう言いながら二人に体を引きはがされた。二人は何事もなかったかのようにサンドイッチ作りに戻って、残ったのはボクの心音だけだった。だん、だん。まるで内側から誰かに殴られているかのように、ボクの心音は暴力的だった。
だん、だん、だん。
ボクらは、随分と遠くから聞こえるその音の正体を、知っている。
「…また来たんですか」
「何度でも来るよ。オレは君たちの友達だから」
血みどろの、もう原型が分からないくらいに変形した手。ボクの知っている彼とはかけ離れてしまった姿。痩せ細って、髪はぼさぼさで、服もぼろぼろで。
彼の周りにはいろいろなものが落ちている。ボクらが落としてきてしまったものを丁寧に丁寧に拾い集めて、彼はここまで届けてくれるのだ。だけどボクらは、それを受け取るわけにはいかない。
「ねえ、帰ろうよ」
だん、と響く音。彼の手から、また新しい血が散った。
「帰らない」
だん、だん。弱々しくなる音。ボクは必死にその音から意識を逸らして、目を閉じた。飛び散ってどす黒くなった血が、そこら中に模様を描いている。ぼろぼろになった彼の目は、それでも輝きを失わない。その目は、その目だけは、ボクらの知っている彼だった。
「…一緒に、帰ろうよ。アルバくん」
だん、また一度。見えない壁にその手を叩き付けて。彼は項垂れた。ぽたり、血ではない何かが、地面に落ちた。
「ボクたちは、今がしあわせだから」
だから、ごめんなさい。頭を下げて。ごめんなさい。謝罪した。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。でも、ボクたちはしあわせなんだ。
だん、遠ざかる音を背に、ボクはもう振り返らない。
今、ボクらはしあわせだ。
シオンもルキも、ボクだって傷付かない。
世界はボクらにどこまでも優しくて、ボクらはいつからか望んでいた幸福の中に、身を浸している。しあわせだ。
誰かが、友達が、シオンやルキが傷付かなければいけない世界なんて、もうどうだっていいだろう。
「アルバさーん!遅いよ、どこ行ってたの?」
「あんまり遅いから魔物にでも襲われてるのかと思いました」
「ごめんごめん!ちょっとね!」
三人並んで、晴れ渡った空の下を歩く。誰も邪魔をしない、誰の邪魔もしない、ボクらだけの幸福な世界。ずっと望んでいた世界。ボクらだけがしあわせな世界。
「ルキ、サンドイッチ持った?」
「当たり前でしょ!オレンジジュースだって持ったんだから!」
「オレはアルバさんを殴るためにバットを用意しました!」
「シオン、それはいらないから置いていこう」
風に草木が揺れる音がする。ボクの大好きな声がする。大切な人の足音がする。ボクたちの笑い声がする。だん。それに混じって、ずっとずっと遠くの方から、ボクたちを呼ぶ声がした。あの人の名前は何だっけ。もう、忘れた。
一番大きいシオンと、一番小さいルキと、中くらいのボク。三つ並んだ影は仲睦まじく寄り添っている。
これがボクらのしあわせの形なのである。
砂のお城のつくりかた
(箱庭の世界に閉じこめた。)
130831